第492話 背徳は業の深きほど良し、限度はあるがまだ限度には達していないものとする!
教皇庁に付属する宿舎にも、一定間隔で警備要員が配置されているわけだが、たとえば昼間ウォルコ・ウィラプスとファシム・アグニメットが現れたように、一定以上の強者による襲撃に際しては、ほとんどただのギャラリーと化してしまう。
この夜新任したその若い男が、いつも趣味で読む冒険小説でも、哨兵や門番といえば「まだなにも起きていない」ことを確認し、有事の際には真っ先に死ぬための……俗に言う「炭鉱のカナリア」程度の役割しか与えられていない。
現実とフィクションが別なのはわかっているが、実際今夜彼を始め警備が増員されているのも、昨夜グランギニョル枢機卿を狙った、謎の土人形たちにまんまと押し込まれてしまったことを受けての措置である。
幸い昨夜のグランギニョル枢機卿は、気まぐれゆえか周到ゆえか、部下一名を連れての外泊で難を逃れており、今夜に至っては残っていた部下たちすら、宿舎からゾロゾロ出ていくのを男も見ていた(しかもなんかすごく楽しそうだったし)。
彼らの気持ちもわからなくはないが、雑魚にも雑魚の矜持があるのも理解してほしい。
……いや、今はそんなことはどうでも良かった。持ち場を離れられずやきもきしていた男は、ちょうどよくブラブラ通りかかった警備主任のおっさんに、勢い込んで話しかける。
「主任! ご報告があります!」
「おうなんだ新任、そんなに血相変えて」
「ついさっきそこを、ゴージャスな金髪をモリモリアップのアップップにした、すんげえ露出度のドレス状のものを着た、おっぱいいっぱいいないないばあの女が通って、宿舎の中に入っていったのを見たんすけど!」
「お前の語彙が独特すぎて、いまいち伝わって来ねえんだが」
「とにかくやばいっすよ!? ここ教会総本山の寝床ですよね!? どこのアホの枢機卿ですか、あんな見ただけでわかる高級娼婦を堂々と連れ込んでんのは!? ジュナス教会は清廉を旨とするって聞いて来た、この俺の純真をどうしてくれるんですか!? 失望しました、ゲオルク様のファンやめます!」
「ゲオルク様のファンなのかよ、じゃあファン続けろよ。その女ってのはあれか、紫色系統のドレス着て、頭に赤い花挿してたか?」
「主任、あんたもか!?」
「ちげえよ。そうなんだな? ならその女はカンタリスだな」
新任の男も伊達にゾーラ在住なわけではない、その名前には聞き覚えがあった。
「カンタリス、っていうと、〈歓楽街の女王〉ですか!? あらゆる男を手玉に取り、ゾーラの街を影から牛耳るという、悪名高き夜の蝶!」
「そう、それよ」
「ならなおさらダメじゃないですか!?」
「いやでもお前、あれヴァレリアン様だぞ?」
「……ん?」
「だからよー、お前が見たっていうそのバインバインのオネーチャンは、〈赤騎士〉ヴァレリアン様が化けた姿だっつってんの」
ちょっと飲み込めない新任の肩を叩き、主任は順を追って説明してくれる。
「結論から言うと、カンタリスなる女は実在しない。ヴァレリアン様が変身し、噂だけを蔓延らせて作り上げた虚像だ。考えてもみろ、お前さんの言う通り、この〈聖都〉ゾーラの裏町を〈歓楽街の女王〉だかなんだかがマジで牛耳ってたら、教皇聖下の沽券に関わりすぎるだろ。実際はヴァレリアン様が情報制御に使ってる、仮の姿の一つに過ぎん」
「えっ……いやでも彼ら淫魔って、異性には変身できないって学校で習いましたよ? サキュバスは女にしかなれないし、インキュバスは男にしかなれないはずじゃ……」
「普通はな。だが……お前、〈
「初耳っす」
「ならこの機会に覚えるといい。たとえばよ、
「はあ、自分はまだ会ったことはないっす」
「俺もない。あいつら結構珍しいからな。なら実際に会う日のために、どっちがどっちだとは言わないでおくけどよ。あいつらには首がスッキリサッパリ元からないタイプと、切り落とされても死なず遠隔で頭部だけ操ったり腋に抱え込んだりできるタイプの二種類がいる……いや、昔はいたんだが、そのうち片方が自然淘汰の憂き目に遭って、ほとんどいなくなっちまった。そのもうほぼいない方が〈絶滅形質〉と呼ばれる」
「そういやサキュバスとインキュバスも元々は表裏一体・雌雄同体・変幻自在の存在だったと聞いたっす。あっちの人間さんから採ったアレをそっちの人間さんにアレする、受粉用の蜜蜂みてえな……」
「それぜってえ言うなよ、全淫魔から総スカンだぞ」
「熱殺蜂球ですか」
「そのジョークもやめとけ。とにかくだ、ヴァレリアン様は性別も種族も問わず、いかなる存在にも変身でき……いや、違うな。あの人の固有魔術〈
「なんすか? 理想……といえば、淫魔はみんな相手の理想の姿に化けるって能力を持っているらしいですけど、それを突き詰めた感じですか?」
結構いい線行っていたようで、主任はニヤリと笑って答えを言った。
「そう……要するにヴァレリアン様は対峙した相手でなく、彼自身が理想とする存在に、能力含めていくらでも取っ替え引っ替え変身できるわけだが」
「最強じゃないですか。あ、だから〈赤騎士〉なのか」
「そうなんだけどな、それでも欠点があって、あの人は実在の人物には化けることができないんだ。理想の姿ってのもものは言いようで……自分が化けるべき架空の
「……それ地味にめちゃくちゃ大変なんじゃ」
「もちろん全部即興ってわけにもいかねえだろうぜ。だから……俺は昼間、ウォルコ・ウィラプスとファシム・アグニメットを、あの人が捌いてんのを見ていたんだが、すごかったぜー。『黒騎士の姉』『白騎士の姉』、しまいにゃあ『青騎士の正体』が飛び出る始末だ」
「青騎士の正体って……あ、そうか。実在する相手にはなれないんだから、つまり偽の正体をでっち上げて、それに変身してたわけだ」
「その通り。同様にゲオルク様やマキシル様に姉はいない。そうやってイメージしやすい役をいくつか常備してあるんだろうな。ストック・キャラクターっつー演劇用語があってな、類型的な人物像って意味なんだが、ヴァレリアン様の場合はまさに
よくわかった、不埒な枢機卿はいなかった、なによりだ。
胸を撫で下ろした新任だったが、ふと別の疑問が湧いてくる。
「ちょっと待ってくださいよ? てことはあれですか? ガチ女装したヴァレリアン様が双子の妹であるヴァイオレイン様のところへ行ったわけっすよね?」
「女装っつーか女体化だがな。他にもヴァレリアン様は色々な姿で出たり入ったりなされる。かつお二人とも淫魔だから、あの皮翼で窓から出入りしたりもされる。するとどうなるかわかるか?」
見当がつかない新任に、主任は両手をわちゃわちゃ動かす身振りをしてみせる。
「こうして外で見張ってる俺たちですら、あの人らが今どこにいるのかわからなくなるんだ。ヴァレリアン様がいるのかヴァイオレイン様がいないのかなんなのか、あるいはもう全然別の奴に全然別の奴に化けさせたりお二人のどちらかに化けさせたりしてグジャグジャ出入りされたらわけわからん。俺たち警備ですら把握できねえんだ、刺客に対しては在否をごまかす最悪の撹乱として機能する」
「なるほど、敵を欺くにはまず味方からということで……いや、そうじゃなくてですね」
「なんだ?」
「今ヴァイオレイン様の部屋には、女体化して娼婦に化けたヴァレリアン様が入って行かれたわけでしょ」
「ああ」
「やることやってないんすかね」
「お前は今自分がなにを言ってるかわかってんのか? いずれも地位と実績と実力ある教会の重鎮である35歳の異性双生児の片方が女体化した上での、せっかくだからと雰囲気に流されての女同士の絡みの有りや無しやを問うているんだよな?」
「もしそうだとしたら?」
「あ?」
「実際にそれが今中で行われているとしたら、主任、あんたはどう感じる?」
「興奮する」
「ここには長く勤めることができそうだ」
しかしその夜の業務日誌に「社会人近親百合最高(意訳)」と書いたら翌朝どちゃくそ怒られた。なぜだ。
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