第489話 聖女の聖女たるゆえん②

 現実世界で意識を取り戻したデュロンは、今度こそ暗黒物質と化して異界へ還っていくマヌアユンマを、他者事ひとごとのように見送った。


【全っ然釈然としないんですけどお!? 顔覚えたわよ狼坊や、今度会ったら覚悟しなさいね!?】


 そういえば最近、あれを言っていなかった。捨て台詞に応えて、デュロンはいつもの啖呵を切る。


「あばよ悪魔。暇になったら、また遊んでやるぜ」

「それはちょっと問題発言ですね、デュロンくん」


 苦笑しながら近づいてくるユリアーナが、指差す先を見てみると、畑の一角に動物たちが並び立ち、こちらをじっと監視している。

 犬、猫、アルマジロ、あと……アナグマみたいなやつと、キツネザルみたいなやつ。いずれからも尋常でない魔力の片鱗を感じる。


 危なかった。もし今デュロンが主導権を奪われて暴走でもしていたら、アクエリカが議場で豪語した「悪魔を退けるセオリー云々」が全部嘘になってしまうところだった。

 デュロンの状態については薄々以上に勘付いていただろうに、それでも言ってのけたアクエリカの剛胆さには、相も変わらず恐れ入る。


 ちなみに反対側を振り返ると、ヴィクターとパグパブはとうに退散している。

 どうもエンリケと共謀していたようだが、仲間になったわけではないようで、悪魔の抜けたガタイのいいあんちゃんは、体力が切れて気絶している。


 ヴィクターの動きは相変わらず鬱陶しいが、ひとまずこの場は一件落着と見て良さそうだった。

 枢機卿らの使い魔たちも、飽きた様子で解散していく。デュロンは改めて真正の聖女を顧みる。


「ありがとう、ユリアーナさん。おかげでちゃんと鉄の斧を拾えた、それも一番砥がれた状態でだ。やっぱスゲーんだな、アンタ……」

「いえいえ。私は少し背中を押したくらいで、大したことはしていませんから」


 この場で受けたアシストよりも、昨夜の話に遅効性があった気がする。

 あのときと同じように微笑み、ユリアーナは緩やかに念押ししてきた。


「これで改めて、安心してお願いできますね。アクエリカを守ってあげてくださいね、デュロンくん」

「ああ」

「終わったのね~。デュロン復調して良かったわね~」


 話題の蛇が今さらノコノコ現れたので、いちおう部下として苦言を呈しておく。


「アンタめちゃくちゃ静観してたよな、そういうところが総スカン食らう原因なんじゃねーの?」

「わたくしが手を貸すのは簡単よ、でもそれじゃ『〈予言の子〉なにするものぞ』、ひいては『ミレインてんで大したことないじゃん』との誹りは免れないわ。もとよりユリアーナなら、これくらいはやってくれると信じていましてよ~」

「ものは言いようってのはほんとこのことだな……」

「ふ、ふふ……」

「おいユリアーナさん、これで照れ喜びはマジでチョロすぎるぞ……」


 下手すればヒメキアやドルフィより調子に乗りやすい性格なのかもしれない。もしかして聖女はみんな精神年齢が一桁なのだろうか。ますますエルネヴァの双肩に余計な期待がかかる。

 やがてエンリケが眼を覚まし、ゆっくりと体を起こした。悪魔憑依中の記憶が甦ってきたようで、普段は血色のいいその顔が、みるみる青ざめていく。黙って彼を見下ろすユリアーナに代わり、アクエリカが変な方向に気遣いを発揮した。


「まあ確かに彼、ちょっと新たな自分を解放しすぎた気はするわね」

「そっちじゃねーよ、口調のことはいいだろ別に……それ言ったら一番ヤバかったのはウーバくんだろうよ」


 自分たちの精神衛生のために茶化しているだけなので、外野のことは気にしてくれなくていい。

 果たしてエンリケは五体投地し、掠れた声で詫びを入れ始めた。


「ごめんなさい、ユリアーナさん……とんでもないことをしでかしました。魔が差したとも、気の迷いとも言いません。悪は確かに、俺の中にある。かくなる上は、どこか遠くの……」

「やめてください、エンリケさん。顔を上げてください」


 ユリアーナは落ち着いたものだ。瞑目して微笑み、穏やかに合掌した指先を添えた口元が、慈悲の言葉を紡ぎゆく。


「誰にでも過ちはあり、悪魔はすでに去り、被害はありません。どうしてこの上、あなたを責める謂れがあるでしょう?

 私があなたを赦します。仮にあなたを見ていたサレウス聖下、バルトレイド猊下、ステヴィゴロ猊下、グーゼンバウアー猊下、ヴァレンタイン猊下の全員があなたを告発しようと、この私が全霊であなたを弁護し、断固としてあなたを赦します。

 だからそんな、寂しいことを言わないでください。あなたにはこれからも、私の隣人でいてほしいんですから」

「お、お……おおおお……! ありがとう、ございます……!」


 罪を解かれてなお平伏し、涙を流すエンリケの気持ちが、傍で見ているだけのデュロンにも理解できた。

 嗅覚感知の共感覚なのか、本当にそういうものが出ているのか、後光が差しているようにしか見えない。


「やべ、すげー聖女っぽいこと言ってる」

「わたくしも許すわよ~」

「アンタが言うと単に倫理観が緩い人に聞こえるんだよ、聖女としての格を競うな」

「失敬ね。このわたくしの昼寝を妨げるなど、本来は万死に値しましてよ」

「器ちっっさ……つーわけでよ、エンリケさん、まったく気にする必要はねーよ。むしろ気にしてくれんな、この〈青いなんかの人〉が調子乗るから」

「デュロンは本当にアホなのね、まだわたくしの二つ名を覚えていないのかしら」


 二人を振り向き笑みを返すエンリケだが、不意に顔を引き締めて、ユリアーナの正面に立ち上がる。

 そして改めて跪き、空の両手を汲んで差し出し、熱烈な言葉を吐き出した。


「こんなときに不謹慎かもしれませんが、言わせてください……ユリアーナさん、好きです! 結婚してください!」

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