第485話 己を拾え
ユリアーナが現着したとき、エンリケはまだ己の精神世界で、悪魔相手に肉体の主導権を争っている最中のようで、虚ろな眼をして畑の真ん中に突っ立っていた。
デュロンが攻撃を仕掛けないのは、なにも紳士の協定に基づいてのことでもあるまい。
ユリアーナが背後から近づく気配に気づいたようで、彼は振り返らずに自嘲で笑ってみせた。
「ハハ……見てくれ、ユリアーナさん。このザマだ……情けないったらねーよ」
悪魔憑き状態のエンリケに対峙するデュロンは、拳を握って構えつつも、その腕は震えている。
それが怯懦によるものであるなら、話はもう少し単純だったに違いない。
アクエリカからこの半年間、デュロンが経験した戦歴を聞いたユリアーナは、彼が陥っているというスランプの原因を、そこはかとなく理解していた。
彼の失調は悪魔恐怖症によるものではない。いわば悪魔依存症、悪魔中毒とでも呼ぶべきものだろう。
悪魔憑依で一時的に強化され、ウォルコ・ウィラプスやファシム・アグニメットという、本来なら格上の相手に勝ててしまったことで、無意識にそれを求めるようになってしまったのだ。
魔性を持たない彼に取って、外付けの権能というのはどれだけ蠱惑的だっただろう。一度味わってしまったら、どれだけ地力が上がろうと、「今アレがあれば」「アレさえ来たら勝てるのに」と常に頭を過り、本来の動きすらできなくなってしまう。
なまじ体現してしまった理想の己を追いかけつつも、外法に走る禁忌を咎めて、自分で自分を止めてしまう……そんなところか。
金銀の斧が欲しいなら、所望すべきは鉄の斧だと、彼の頭はわかっていても、体が言うことを聞いてくれないのだろう。
言葉で諭しても詮はない。偉そうに説教垂れて動かしたところで、復調とは対極に向かわせるだけだ。
ドラゴスラヴのことを思い出しながら、ユリアーナは慎重に、しかし大胆に言葉を選ぶ。
「いいじゃないですか、悪魔。頼りたいなら、頼ればいいんです」
仮にも聖女と呼ばれるこの身から、そんな意見が飛び出すとは思わなかったのだろう。
エンリケから視線を外して振り返ってくるデュロンに、ユリアーナは微笑んでみせる。
「この場は私が、あなたの悪魔となりましょう。それであなたが己を拾い直せるのなら、お安い御用です」
その言葉に勇気付けられてくれたようで、少し表情に力の戻った彼は、悪魔の憑いたエンリケに向き直る。
それとほぼ同時に主導権争いが終わったようで、眼光が明晰を取り戻したエンリケが、その帰趨を示すべく口を開いた。
「あらあ♡ あなたは〈鏡の聖女〉ユリアーナね♡ これでちょうどよく二対二の形だわ、気兼ねなく戦えるというものよ♡」
「えっ……」「うわキッツ……」
思わず本音がダダ漏れたユリアーナとデュロンに対し、鰻の悪魔マヌアユンマは、乗っ取っているエンリケの、分厚い筋肉に覆われた大柄な体を巧みに操り、しなを作ってくねらせて、彼の声帯にかなり無理を強いているであろう、高い音域で抗議してくる。
「ちょっと、失礼じゃなあい!? 悪魔は基本的に術者に指定されるから、自分では憑く依代を選べないのよお!? アタシだってできれば……そう、ユリアーナちゃん、アンタみたいな美しい女の体に入りたかったわあ!」
「えっ。そ、それは、どうも、ありがとうございます……」
「ユリアーナさん、照れる相手と場面を選んでくれよ……」
デュロンに注意されてシャキッとするユリアーナを眺めつつ、悪魔は依代の厚い胸板をドンと叩いてみせた。
「ま、この体も性能的には悪くないんだけどね♡ 膂力も魔力も、期待値を満たしてはいるわ♡」
「そうでしょうね。それに正直その口調だと、普段のエンリケさん自身より強そうに見えますし」
「ああ……なんか敵組織の幹部からボス級の貫録が出てるのがこえーわ……」
魔族の甘言に気を良くしたようで、悪魔は依代に力を漲らせる。
「ふふん、そうでしょう♡ 固有魔術は使い勝手が悪そうだけど……使い手の技量を試されるというのもまた、悪い気分ではないかしら♡」
エンリケの固有魔術〈
悪魔が主導権を握ろうが握るまいが、悪魔憑きは依代自身の固有魔術の基本性能を無視することはできず、必ずそれに上乗せする形で、悪魔の魔力を行使することになるはずだ。
予測不能の無鉄砲というのは、裏を返せば最短距離や最適軌道を頼れず、有効射程がある程度縮こまることを意味する。
結果、エンリケの〈
〈
いや、問題はそこではないかもしれない。耐えるだけなら可能かもしれない。
だが耐えつつ進むとなると、ただでさえ調子を崩している今のデュロンにはおそらく無理だ。
爆裂の赤と雷霆の紫、二重の火花が散り咲く只中で、エンリケの顔は彼自身がしない妖艶な笑みを浮かべた。
「さあ、攻略できるものならやってみなさい♡」
ユリアーナは一瞬だけ思案した。悪魔憑きを相手に、活動限界まで時間稼ぎの専守防衛に徹するというのは、彼女の技量からすれば赤子の手をひねるより容易い。
しかしそれでは本当にただ、この場でユリアーナがデュロンの悪魔役を務めてやるだけとなってしまう。悪魔中毒がユリアーナ中毒に差し替わるだけ、実質事態は悪化する。
「ええ、やりますとも。さあデュロンくん、拳を温めておいてくださいね」
なのでユリアーナの切る啖呵は、必然的にこうなる。ハッタリのつもりはない、必ずデュロンを復調させてみせる。
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