第484話 ユリアーナという女

 この日ドラゴスラヴはラムダ村のラムチャプ家に何度目かの逗留を行おうとしていた。

 けっしてスティングのママさんがかわいいからという理由ではない、たまに眼をかけておいてほしいという、当代教皇直々の依頼だからだ。


 村の者たちも最初は怪しんでいたが、仕方なくドラゴスラヴが持ち前の交流能力を発揮し、イイ奴感を出しておいているので、今のところなにも言われていない。

 しかしラムダ村へ向かう街道を歩きながら、ドラゴスラヴはだんだんと己の自制心に対する信頼が揺らいでいった。


「今夜はいよいよダメかもしれねぇ。スティングのママは本当にかわいいんだ。俺がすっげぇかっこいい声で『イレイダ……』って呼んだら、心臓をトゥンクさせてしまうかもしれない。そういう流れになったとして俺に罪はねぇよな?」

『ドラゴスラヴ、お前……そんなアホなことを言っている場合ではないかもしれんぞ』

「は? なに? こっちでなんか起きそう?」


 傍らを歩く黒犬が、いきなり衝撃情報を伝えてくれる。


『そちらではない、こちらだ……今、ユリアーナの修道院にアクエリカとデュロンが泊まっているのだが、ユリアーナに惚れているムキムキマッシュの隣人が、悪魔憑き状態でユリアーナとデュロンに襲いかかろうとしている』

「なんだその状況、なんで早く言わねぇ!? 待ってろ、すぐ行くから!」

『無理だろう……竜の翼で最速飛行でも、半日くらいはかかろうな』


 立ち止まって歯噛みするドラゴスラヴ。こんなことならサレウスの意見を無視して、最初からゾーラへ行っておけば良かった。


「……フフッ』

「あんた今笑ったか!?」

『いや、すまない……お前でもこういうことで狼狽えるのだなと思ってな……彼女が心配か?』


 ドラゴスラヴは対スティングのママ用に使うはずだった、とっておきのかっこいい顔と声をサレウス相手に空費する。


「惚れた女を案じたとして、それがなにかおかしなことか?」

『なにも……ただ、どうだろうな……私も今、手を貸すべきか決めかねている』

「なんでだ? あんたが俺と異なる一番大きな点は、アクエリカがあんたの後釜に座ってもいいと考えてることだと思ってたが」

『間違っていないぞ……しかし、そうじゃない……必要ないのではないかと思ってな』


 サレウスの言うことも一理ある。ドラゴスラヴは記憶を探った。


 ユリアーナがジュナス教会という組織の中で頭角を現し始めたのは、およそ十三年前の一件が発端だとされている。

 当時十五歳のユリアーナはまだ一修道女に過ぎず、修行と巡礼の旅に出ていた時期だったと彼女自身が言っていた。


 あるときユリアーナは山の中で、慌てふためき逃げてくる地元のガキどもに出くわした。

 話を聞くとそいつらは、竜の領域を侵犯してしまい、追い立てられる最中だったそうな。


 現行社会で竜や巨人がクソ雑魚魔族どもを隣人として許しているのは、きちんと棲み分けの線引きができているからだ。

 ルールを破った者の結末は死ぬか逃げ切るか、戦って勝つかの三つしかない。


 もとよりジュナス教徒かもわからない、辺境のよくわからん種族かつ民族の連中がやったことだ。

 ユリアーナに彼らを助ける義理がないのはもちろん、最寄りの教会施設から救援が来るとしても時間がかかる。


 この条件ならドラゴスラヴは、にっこり笑って見なかったことにし、「お疲れっ!」と爽やかに立ち去るだろう。

 サレウスも間違いなくそうだし、デュロンを始めとする祓魔官たちも、〈四騎士〉に至るまでほぼ全員が見捨てるはずだ。


 だがユリアーナはそうしなかった。ガキどもを引き連れ、もろともに彷徨う。

 近くに城砦……というか城跡のような場所があったので、そこに駆け込んで籠城を決め込んだ。


 もちろん防護機能のようなものはない、壁さえちゃんとしていたか微妙だったはずだ。

 当然竜がやって来た、それも十メートルほどのやつが三頭。殺意全開で攻撃してくる。


 ユリアーナの固有魔術はドラゴスラヴのそれに似ている……というか逆だ。

 ユリアーナの固有魔術をドラゴスラヴが真似るというか、モデルにして確立したので、その過程で彼女の実力を、おそらく他の誰よりも理解しているのがドラゴスラヴだ(ちなみにこれは自慢)。


 ユリアーナの固有魔術に、竜を殺傷どころか撃退できる性能はない。威力らしきものはほぼないと考えていい。

 そのくせなまじ純粋な攻撃属性の魔力を生得してしまっているので、特異な搦め手で嵌める技も持っていない。


 彼女は魔力自体はドラゴスラヴより豊富だが、魔術の連続発動時間が短い。ドラゴスラヴが十秒なら、彼女はせいぜい二秒が限界だ。

 そして出力もかなり小さく弱いのだが、代わりに彼女はいくつも同時展開でき、発動中止からの再発動も速く、魔力燃費効率も良い。


 だから彼女はこうした。砦の天辺に立ち、竜たちに向かって無意味な謝罪を叫び続けながら、魔力シールドを展開する。

 竜の鉤爪も突進も息吹も、彼女は魔力シールド一枚で一回だけ防御することができた。


 ユリアーナの〈鏡の聖女〉という二つ名は、彼女の高潔さを前に己を鑑み身につまされるとか、彼女が反射系の能力を持っているといった意味ではない。

 ただ彼女の展開する魔力シールドが、金属を磨いた鏡のように美しいという、それだけの由来なのだ。


 だがユリアーナは諦めなかった。シールドが破壊されるたび、新しいものを構築する。

 もとより竜は頑丈だ、生半可な攻撃が無駄なのは確かだが……今のドラゴスラヴでも、そこまで防御に徹し切ることができるとは思えない。


 結局、約一時間後に地元の祓魔官たちが救援に到着する直前に、根負けした竜たちが『飽きた』と捨て台詞を吐いて帰っていったそうだ。

 最小の魔力でギリギリの防御を続けていたユリアーナは、何度か受け損ねたり余波を食らい、ズタボロの再生限界になっていたが、ついに彼女が砦の天辺から下りることはなかった。


 なぜそんなことをしたのかとドラゴスラヴも尋ねたのだが、「理由はない。なんとなく、かわいそうだったし」とのことである。

 そんな感じで助けられたガキどもの眼に、ユリアーナの姿がどう映ったかは、言わずもがなだろう。


 その後年も何度か似たようなことをやった挙げ句、なにも特別な力を持っていないはずのユリアーナは、〈鏡〉の二つ名とともに聖女認定を受けたわけだ。

 そもそもドラゴスラヴは、彼女を揺籃の師と慕っている身だ。そんな相手を案じるというのがどうかしていた。


『ユリアーナはともかく、デュロンのことは気にならないのか?』


 サレウスが問うが、その答えもまた決まっている。


「ユリアーナのところにいるんだろ? だったら俺が、あいつの心配をする理由はねぇな」

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