第469話 この日の終わりに相応しき

 当代教皇サレウス一世が、かなり清濁併せ呑むタイプということもあり、〈聖都〉ゾーラの地下酒場には、素性のわからぬならず者たちがひしめいている。

 あの〈死教皇〉が足元の影を把握していないとは思えない。取り潰すでもなく黙認しているのは、あわよくばここの連中すら制御下に置きたいという、良く言えば強かさ、悪く言えば強欲さの為せる業なのだろう。

 テーブルに突っ伏し横を向くウォルコは、脇を通った賞金首の皮算用をしていたが、やがてそれにも飽き、眼を閉じて大欠伸を漏らす。


「あー疲れた……でも飯食わないで寝ると死んじゃいそう」

「大丈夫ですか、ウォルコさん? ていうか昼間から思ってましたけど、あんたなんでそんなにヘロヘロなんすか?」


 つむじに向かって降ってくるドガーレの問いに、ウォルコはキリッとした顔を上げて答えた。


「フ……俺はね、たった一人で背負っているのさ……血の対価の支払いをね……」

「格好良さげに言っているが、要するに自分が組んだローンで苦しんでいるだけだぞ」


 血の滴るような肉厚骨付きステーキを喰らいながら、冷静に茶々を入れてくるファシムに、ウォルコは力を振り絞り、飛び起きて抗弁した。


「おいおい、半分はあんたの分を肩代わりしてやってるんだぜ!? もう少し感謝してくれてもいいんじゃないの!?」

「それもついさっき三分の一になったようだが……そもそも別に貴様が一人で支払う必要もないのでは? あの場ならともかく、後々俺が消耗しようが、貴様に損はないはずだろうに」


 テーブルを両手で叩いて上体を起こしただけで立ちくらみがしたので、血の気が引いて冷静になり、声を低めるウォルコ。


「召喚したのは俺だからね。最低限の責任は取らないと。それに術者と生贄はともかく、依代と生贄は別個の役割として独立してないといけないんだ、混ぜたら危険だよ」

「妙なところで真面目な男だな、そしてもはや悪魔憑きの第一人者だ」

「悪魔憑きか、面白い。私も機会があればやってみたいものだ」


 妙にニコニコしながらワイングラスを回して言うメルダルツに、他の三人が一瞬黙り、代表してドガーレが尋ねた。


「大旦那、なんかいいことでもあったんすか?」

「いいや、なにも。むしろ街を吹き飛ばす機を逸して、普通にイライラしているよ」

「この人の情緒どうなってんすか、怖すぎるでしょ」

「気にするなドガーレ、その男はとうにブッ壊れている」

「なんも安心できる要素がないんすけど。ていうか俺はいつまで案内役ガイドをやれば?」

「お前は裏道をよく知っていて役に立つ男だ」

「答えになってないようでなってるなこれ……俺もこれからどうしようかと考えてたとこだ、もう少し付き合いますよ」


 手元の蜂蜜酒で栄養補給していたウォルコは、穏やかな気持ちでジョッキを置いた。


「いい子だ、ドガーレ。こっちからもそろそろ上の名前で呼んでいいかな? ヒョーディ? ヒョードくん?」

「急に距離詰めてくるなぁ」

「お前を見てると、俺の後輩を思い出す……そう、あれは三年前のこと」

「めんどくせぇ酔い方してきたぞ、入りませんからねその回想」

「ほらもっと飲めよ。それとも俺の酒が飲めないってのか!?」

「ファシムさんちょっとこの人マジでどうにかしてもらっていいすか?」

「調子が出てきてしまっているようだな」

「君たち、酒の勢いで騒ぐのは噛まないけど、せめてフードは深めに被るといい」


 誰が注視しているわけでもないが、誰が注視しているかわかったものでもない。

 慌てて忠告に従う他の三人だったが、どこか釈然としないものがあった。


「メルダルツの大旦那、ときどき正面から正論で殴ってくるんすよね」

「バカな、私はいつでも正しいことしか言わない。なぜなら正しい復讐を司る神だからだ」

「この男に関しては酔っていても酔っていなくても大して変わらんな」

「あのさ、さっきから気になってたんだけど」


 話題をぶった切って申し訳ないのだが、どうしても視界に入ってくるので、たまらずウォルコは言及する。


「あそこにいるあの人さ、俺たちの上着と似たようなの着てるよね」


 ジュナス教の聖職者たちとも、復讐または義憤の神を車に乗せる〈漆黒獅鷲ブラッキーグリフォン〉とも異なる、漆黒のローブに身を包み、フードを目深に被った人物が、ウォルコたちとは反対端の席で、一人しっぽり黄昏ている。

 酒場にたむろする荒くれどもも、なんとなくそいつを恐れて避けているように見え、只者でないのは察せられる。

 ヒョードリックが急に忙しなく視線を泳がせ、声をひそめて言ってくる。


「あのですね、旦那方……あっちのカウンターのとこに、この酒場の店主マスターがいるじゃないですか」

「うん、あの厳つい顔した愛想悪い親爺ね」

「俺、五年くらい前まではこの街に住んでたんすけど、当時ここの店主はあの人じゃなかったんで、たぶん代わったんだと思うんす」

「五年もあれば経営事情も変わろうな。それがどうかしたのか?」

「俺の記憶が正しければ、あの黒フードは五年前も変わらず、だいたいいつもあそこら辺の席に座ってたと思うんす。たぶん定位置なんす」

「そりゃ、単なるそういう常連なんでしょ」


 言っている間に、当の強面の店主が、黒フードに向かって歩いていく。

 どうやらただ注文を取りに行っただけのようだが……なにかやけに腰が低く、媚びへつらうような様子が見られた。

 ウォルコたち一般客に対しては先ほど、仏頂面でテーブルにジョッキを叩きつけてきたので、明らかに対応が異なる。

 優雅にワインを飲み干したメルダルツが、静かに口を開いた。


「人間時代の一般論を言うね。かつて死刑の執行には神が罰を与えるという儀式的側面があった、たとえばこの私がそうするように。しかしジュナス教の台頭と都市社会の形成によって、刑吏は単なる血生臭い汚れ仕事に成り下がり、その立場も聖職から賤業へと一気に転落する。それゆえ彼らは陽の元を顔を上げて歩けなくなるが、代わりに今我々がいるような、地下酒場の営業権を持っているらしい」

「……ちょっと待てよ。ことジュナス教会の中でも一切表に顔を出さない、死を司る執行者とされる、刑吏の親玉みたいな奴が、確かあんな格好をしていたような……」

「聞いたことがある……当代〈四騎士〉は一人を除き、なんらかの副業をやっていると。それがもし……」


 ウォルコとファシムの嫌な予感は、どうやら当たっているようだ。

 不意に振り向いた黒フードの中に、笑う白い歯が浮かび上がった。

 野生の〈青騎士〉が現れた。どうする? 戦う? それとも逃げる?

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