第466話 私ちょうど種族がそういうやつですし

 ヤバいかもしれない、とデュロンは身構えていた。


 修道院内には共同浴場がある。男女で使用時間が分かれているのだが、またいつかのようにハメられるのを警戒していたデュロンに対し、アクエリカが「美容と健康のため〜」とか言って、夕食の後さっさと寝てしまったのは良かった。

 問題はユリアーナだ。廊下ですれ違う際に、邪気のない笑みでこう言ってきた。


「デュロンくんは毎晩遅くまで自己鍛錬に励むと、さっきアクエリカから聞いたんですけど、本当ですか?」

「あ、ああ。特に最近はやりたいことが増えたもんで……音は立てねーよう気をつけるよ」

「いえ、それはいいんです。それよりも、夜遅くに汗を流したくなるのではないかと思って」

「いや、それこそその辺で適当に水汲んで流すから、お構いなく」

「そういうわけにはいきません。私にとっては大切なアクエリカの大切な部下なわけですし、せっかくお風呂があるんですから利用してもらいたいんです」

「でもそのためにわざわざ……」

「というわけでもないんです。私も子供たちや、他のスタッフたちがみんな入り終わって寝静まった後に、一人ゆっくりお湯に浸かりたいことがありまして」

「そっか、それは確かに気持ち良さそうだな」

「わかります? すごく気持ちいいんですよ。というわけで、あなたにもその気持ちよさを味わってもらいたいんです。そうですね、午後十一時くらいに一緒に入りに来てくれませんか?」


 なにを言われたのか一瞬わからなかった。とりあえず一回笑ってみる。


「……ハハ。おもしれー冗談だな」

「あ、もう少し遅い時間の方が良かったですか?」

「えっ怖、なんで真顔で聞き返してくんの?」

「なにがですか?」

「ユリアーナの姐さん、頼むよ、カマトトぶるのも大概にしてくれよ」

「赤ちゃんってどうやって作るんですか? うふふふ。キャベツ畑でコウノトリさんが収穫するんですか?」

「ヤバいマジで怖くなってきたこの人」

「ごめんなさいさすがに冗談です。でもこの提案は本当です」

「こえーって。なに? なんなの? なにを目的としてんの?」

「もちろんあなたと親睦を深めるためですよ、デュロンくん」

「ドヒ〜……俺になにを言わせてーんだ、言ってみてくれよ、言わねーけど」

「怖いんですか?」

「だからさっきから言ってんじゃん、超こえーんだよ」

「いえ、そうじゃなくて。そんなに自分の理性が本能に敗けるのが怖いんですか?」

「んんん???」

「聖職者なら性欲なんか捩じ伏せて当たり前ですよね。私が全裸で目の前に座っていても、私の話を真面目に聞けますよね?」

「こんな正面突破ある?」

「私は心配なんです。アクエリカに誘惑されて堕ちたみたいな話をたまに聞きますけど、それをアクエリカのせいにするのはどうなのかなと思っていて。もし本当にアクエリカが誘惑したとして、それを言い訳にしてほしくないんですよね」

「うわ出た、久々だよこのタイプの人」

「私程度がちょっと誘惑して堕ちるようなら、アクエリカの部下なんか務まりませんものね。

 私は同時にあなたの心配もしてあげてるんですよ、デュロンくん。

 あなたの信念や目的意識の強度を測ってあげましょう、それが陰茎の膨張ごときで潰れるものなのかどうか。

 あなたが来るまで待ってますから、私が上気のぼせないように早く来てくださいね」

「ハーイ……」

「ふふ、いいお返事です。いい子ですね。

 夜が深くなっても、いい子のままでいてくださいね。それでは」


 結局曇りのない笑顔の圧に敗けた。心してかかった方がいいことを認識する。


 鍛錬に身が入らなさすぎるので、瞑想に近い性質である拡張活性のみを集中して行った。

 そうこうしているうちに約束の時間となり、重い気分で浴場へ向かうデュロン。


 十一月半ばであることもあり、体が心胆から冷えている。

 こんなに風呂に入りたいという気持ちと風呂に入りたくないという気持ちが鬩ぎ合ったことはかつてなかった。

 しかしやっぱり汗をかいていて寒いので、服を脱いで試練の場に向かう。


「来ましたね」

「来たよ」

「逃げなくて偉いですよ」

「どういう感情で言ってんだそれ……」


 ユリアーナは裸身にきっちりタオルを巻く程度の理性は残っているようで、そこはまず安心した。


 真ん中あたりにユリアーナが浸かっている、浅く広い湯船の少し手前に、なんの前触れもなく波紋が起こった。

 デュロンがなにかを落としたわけではない、というかデュロンも腰に巻いたタオル一枚以外裸なので、落とすようなものを持っていない。


 おもむろにユリアーナが立ち上がり、天秤のように両腕を広げたので、デュロンはそちらを注視した。

 真正の聖女は穏やかな笑みを浮かべ、胡乱な問いを投げかけてくる。


「あなたが落としたのは金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」

「……!」


 半年前、ちょうど似たような場面でレミレに対して起きたのと同じ状態に、デュロンは即座に入っていた。


「いいや。俺が落としたのは平凡な鉄の斧だ」


 真剣に答えなくてはならないのではなく、真剣に答えたい。

 これはおそらく、デュロンの根源を質す寓意であるがゆえ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る