第463話 むさ苦しくてごめんなさい

「おぐっ……!」


 呻き声を上げて吹っ飛んでくれたのはいいが……悪魔の力で底上げしても、へなちょこパンチはへなちょこのままだ。

 なのでウォルコは、倒れたスティングを無感情に見下ろして……そのままスルーし扉を破壊して、礼拝堂から宿の外へと逃げていく。


「……え? なんで? 帰んの?」


 スティングが困惑する声が聞こえたが、その通り、ここらが引き際と判断した。理由は主に三つある。


 一つは悪魔憑依の仕様だ。これ以上スティングをボコボコにしたところで、制限時間到達とともにウォルコのただでさえ素でジリ貧な体力と魔力はさらにガツンと減り、ほぼ戦えも動けもしなくなる。

 その状態でバルトレイドの部下たちを相手にするのは、無謀以外のなんでもない。

 だったら悪魔憑依は、むしろ逃げるのにこそ使うべき。

 全力疾走で安全地帯に飛び込んだ後、好きなだけぐったりすれば良いのである。


 二つ目は先ほどウォルコも聞いていた、スティングがバルトレイドと交わした口約束の内容だ。

 ウォルコを撃退しても……つまり撤収に追い込むだけでも、スティングは勝利条件を満たすことになるらしい。

 だったら華を持たせてやろう。

 ついさっきまでの謙虚なスティングならともかく、覚醒を遂げて増長した今の彼を抱え込めば、必ずバルトレイドの負担になる。

 なんとか出した苦肉の策の置き土産としてはまあまあの、政敵陣営に重石を押し付けるという、軽い一仕事としてカウントしてもいいはずだ。


 三つ目は……もし勢い余ってスティングを殺してしまったら、メルダルツがどう動くかがまったくわからない。

 余計なリスクは踏まないに限る。というわけで、さよならだ。




 レオポルト・バルトレイドが真っ白く美しい、どこか神々しさすら感じさせる狼の悪魔に見入っているうちに、状況は決着を迎えていたようだ。


「バカな……なぜ彼奴あやつが」

「レオポルト様、どうなさいますか!?」


 どうって、なにをだ……とゴルディアンに問い返そうとして、レオポルトは同期リンク中の使い魔越しに聞こえてくる、配置していた部下たちの呻き声から、どうにもしようがないことを悟った。

 顔面蒼白でフラフラだった理由はわからないが、腐ってもウォルコ・ウィラプスが悪魔憑き状態で、やぶれかぶれの徹底抗戦ならまだしも、おそらく逃走に全力を傾けているのだ。


 仮に今からゴルディアンを差し向けたところで、今の奴を捕まえるのは相当に難しい。

 無駄死にが出ないよう、手を引かせる指示を出す直前で、別の使い魔が彼の耳目を引いた。


『どうも、バルトレイド枢機卿……見て……聞いてらっしゃいますよね』


 礼拝堂内に配置しておいた一匹だ。猫の眼の向こうで、スティングがこちらを見ている。

 顔は鼻血が止まったばかり、体は爆風の余波でボロボロだが、先ほど会っていたときの卑屈なほど謙虚な青年と同一とは思えない、覇気に満ちた面構えに変わっている。笑みを浮かべた口から出る言葉も、その印象に反するものではない。


『目的を達成できるなら、あなたの手下になってもいいと思ってたけど……気が変わったよ。ヴィクターたちを裏切ってまで、あんたに与する旨みはデカくなさそうだ』


 レオポルトが気に入りかけた、好青年然とした彼はどこへ消えたのか?

 スティングは両手で卑猥な仕草をしながら、眼をひん剥いて舌を出す。


『じゃあな。異端に脳を焼かれた、聖騎士パラディン崩れの腰抜け野郎!』


 凄まじい破砕音がしたと思ったら、レオポルト自身が座っている椅子の肘掛けを握り潰したせいだった。

 自覚が及んだことで憤怒が増幅し、そのまま指示に反映させる。


「……ウォルコ・ウィラプスはもういい、捨て置け。スティング・ラムチャプを引っ立てろ! 生死は問わん、儂の眼前に、あのガキの身柄を放ってこい!」

『了解し……』『ぐあっ!?』『なんだこ』『強』『ゴボッ』『報告! 猊』


 混乱の挙げ句まともな言葉が返ってこなくなった部下たちの様子に、レオポルトは額を押さえて息を吐くしかない。

 傍らのゴルディアンに視線を送ると、彼はゆっくりとかぶりを振った。


「レオポルト様、私の主務はあなたの護衛であることをお忘れなく」

「ッ、それは……」


 もし今のスティングがここへ戻ってきて、そのときゴルディアンがいなければ、この儂がスティングに敗けて殺される可能性があるということか……と問おうとしてやめた。

 代わりにその場で立ち上がり、座っていた椅子を意味もなく片手で持ち上げるレオポルト。


「ぬえェい!!」

「れ、レオポルト様……? それ結構重いのでは……」

「阿呆ぬかせ、軽かったら鍛錬にならんじゃろがい!」


 轟音を立てて床へ下ろし、激情でわなわなと震える体が落ち着くのを待ってから、レオポルトは直近の指示を出した。


「部下の誰より、儂が一番弛んどる! これでは示しのつけようがないわい! 要はお前が儂から離れなければいいだろう? 今から二人で倒れた部下たちを全員回収し、十分な休養を与える! そして……いいか、今から儂は〈戦う枢機卿〉となる! これはこれでなかなか格好がつくと思わんか!?」

「と、いうことは、レオポルト様……」

「ああ! かの救世主ジュナス様こそ原初にして最強の祓魔官エクソシスト、大いに結構! だがそれを超えて、新たな歴代最強を輩出してはならんという法もあるまい! 陣営の戦力がどうのこうのと、まどろっこしいことはもう言わん、〈災禍〉は儂がこの手で討つ! 畏れ多くもサレウス聖下亡き後は、儂が名実共に教会の武力と権力のトップに立つのだ!」


 ゴルディアンは呆れるかと思いきや、厳つい顔で号泣していた。


「レオポルト様、なんと雄々しい宣言を……! このゴルディアン、どこまでもついて行きますとも!」

「任せよ! 陽が落ちてからが魔族の本領じゃ、組み手に付き合え! 簡単には敗けぬぞ、そら、見ろこの筋肉を!」

「うおおっ!? レオポルト様、まったく衰えておられませんな!? ぬうん、私もまだまだ!」

「くっ、やはり現役最高峰はキレが違うわい、さすがじゃな……! 儂も本気で鍛え直さねば」


 宿の一室でむくつけき中年の巨漢同士が上半身裸になって、筋肉を強調するポーズを取り合っていても埒が明かない。

 しばらく首を捻っていた二人は、やがて妙案を得た。


「そうだ! 動けない部下たちは宿のスタッフに多めに料金を払ってお世話をお願いし、回復に努めさせるとして……元気な者たちを連れて、本庁の宿舎へ突撃し、合同稽古を持ちかけるというのはいかがでしょう!?」

「ゴルディアン貴様、冴えとるな! 今あそこには聖騎士パラディンから若手のエース級まで、有望株がよりどりみどり! 護衛たちからしても手持ち無沙汰で困っとるはずだ、そう嫌な顔もするまい!」

「そうと決まれば早速参りましょう!」

「うむ、善は急げというからな!」


 聖都の夜は更けていく。だが彼ら魔族が寝静まるには、もう少しだけ早いようだった。

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