第458話 こいつが魔族の間で「演劇の才能」が特別視される理由ってやつだな

 一方その頃、ゾーラ市内某所の路地裏では、おっさん二人がわちゃわちゃしていた。


「見つけたざんすよ、御方! なんでアタシからお逃げになるざんしょ!?」

「だってお前に見つかったら説教食らわされるじゃねぇか!」

「理由が子供! ああもう、なんすか!? じゃあアタシは聖下の密命を遂行して、あんたとオスティリタのお守りをして、で、さらにアンネの面倒まで見なきゃならんのざんすか!? いくら〈四騎士〉が多忙つったって、限度ってもんがあるざんしょ!?」

「落ち着け、そうカリカリすんな。アンネに関しては、あれだろ? パッと発火させられるのは元々あいつに演技の手解きを受けてた弟子……〈団員〉連中だけなんだろ? 誰彼構わず無差別ってんじゃねぇんなら、そこまで危険でもないんじゃねぇの?」

「ゼー、ハー……正確には、素地か素質のある者って感じざんすかね……ゲホッ……だから、例外がないわけじゃないざんす……」


 ようやくゲオルクが落ち着いてきたので、ジュナスも思索に耽ってみる。

 たとえば、そう……先ほどゲオルクと話題にしていた、リャルリャドネ家などが例としてわかりやすい。


 魔力とは思念の力である。精神を昂揚させたり負荷をかけるというのは、強力な固有魔術を発現・覚醒させるための理論としては、確かに的外れではない。

 ただもちろん、そのために子供を虐待するというのは、現実的な手法としてはどう考えても間違っている。結果的に上手くいった例があるに過ぎず、普通ならただ人格を歪めたり命を奪うだけで終わる可能性が高く、まったくの論外と言える。


 そこで「演技」だ。実際に憤怒や憎悪などの、トリガーとなりうる強い感情そのものを脳に刻むのでなく、芝居という感情表現・表出技法を通して代替的に発動することを目指す。

 つまり〈劇団〉は単なる劇場型犯罪組織ではなく、施設要らずの能力開発機関としての側面をも持っていることになる。


 もっともそれは、アンネの勧誘を受けて直接彼女の手解きを受けるに足る「演技の才能」と、発火に至れば爆発的な出力を発揮しうる「魔術の才能」、その両方を持ち合わせている場合に限る。

 なので〈劇団〉……〈刹那の棺箱〉の団員たちは、大半はその演技力を詐術に用いるという、普通の犯罪組織としての構成員に過ぎない。


 さらに、両方を持ち合わせていたとしても、適当に煽れば勝手に脳が発火するというほど、魔族たちの精神構造とて単純な代物ではない。

 豊潤な潜在能力を余すことなく引き出し、鮮烈な固有魔術を発現・覚醒させたいのなら、いくら下地を作ったアンネといえど、相手の出自や来歴を詳細に把握し、発達心理を精確に理解した上で働きかける必要があるだろう。


 もっともかの〈無貌の影〉がその程度をクリアできないとは思えない。

 なので問題は脳の発火に至る彼女の直弟子が、どこの誰かという点だ。




 耳朶を揉む甘い声が心をざわめかせる。

 これは悪魔の囁きと呼ぶべきものだ、そんなことはわかっている。

 しかし今のスティングには必要なのだ。

 妙に軽快な節を付けて、アンネ・モルクは歌うように諭してくる。


「あなたが死んだらどうなりますか?

 偉大な叔父貴が標的に?

 それより先にもう一段。

 仇を失うメルダルツ、

 矛先求めて血迷って、

 狙うは故郷のお母様♫」


 彼女の言う通りだ。せっかく復讐対象として認めたスティングが、こんなところで勝手に他の誰かに殺されてしまったら、メルダルツはよりギャディーヤを苦しめる方法として村へ取って返し、スティングの母イレイダを家ごと、いや共同体ごと消し飛ばすだろう。

 そうなったら困るのはイレイダの息子スティングと義弟ギャディーヤだけで、メルダルツやウォルコやサレウスにとっては、痛くも痒くも屁でも糞でもない。


 出会った頃から不安定な女だったが、今また口調が変わり、役人のように事務的に通達してくるアンネ。


「というわけなのでスティングくん、あなたに名誉の戦死などという甘い夢は用意されていません。あなたは相手が誰であろうと勝って……いえ、そうですね、最低でも逃げ延びなければならないのです。そのためになにをどうしなければならないか、あなたにはわかりますよね」

「……ありがとうございます、師匠。おかげ様で目が覚めまし……あれ、もういないか」


 言うだけ言ったと思ったら、返事も聞かずに消えている。

 相変わらず掴みどころのない人だ、と苦笑するスティングを見て、ウォルコが訝しげに眉をひそめた。


「……今、そこに誰かいたのか?」

「さあね。そうだとしてもあんたには関係ないことさ」


 そう、相手が誰だろうと関係ない。眼を瞑る瞼の裏に……いや、眼を開けていてすら、スティングの脳裏には十年を経てなお、いまだはっきりと父を殺された惨事の光景が焼きついている。

 もう二度と同じことを繰り返させまいと誓い旅立ったはずなのに、その本懐を見失うところだった。


 こんなことなら失うことをこそ恐れ、母の傍に残るべきだったのではないか……それは今考えることではない。

 次の瞬きまでの間に、スティングは父を殺された場面を想起し、母を殺される場面と叔父を殺される場面を想像した。


 刹那の内に愛する者を頭の中で棺箱に叩き込み、焚べて燃え盛る激情を己が力とする。

〈刹那の棺箱〉という名は、刹那的な激情に身を委ねて死に至る、ではなく、本来こういう意味で付けられたらしい。


 仮想の怒りと悲しみが満ち溢れ、実際に燃えているかのように脳が高熱を発するのがスティングにはわかった。

 視界に火花が散って眩むが構わず、感情の反芻と増幅を繰り返す。


 臨界に達し現実空間に伸びた一縷の魔力が、襲い来るウォルコの〈爪〉を、初めて完璧に防いでみせた。


「……!?」


 驚く顔が見られて良かった。しかしそれには留まらない。本気で〈災禍〉を倒すなら、まごまごしている暇はない。

 今ならジェドルやデュロンの考えがわかる。強くなりたいのなら、実力以上に強がって虚勢を張り、何度でも新しい自分に成り変わらなくてはならないのだ。


 別に明確なモデルを設定する必要はない。しかしスティングの中では、大切なものを守るための絶対的な強さのイメージは、〈災禍〉が使う謎の力でも、メルダルツの隕石でもサレウスの黒犬でもなく、だと相場が決まっている。


「ウォールコさんよォー……」


 やってみたはいいが、やっぱりこの口調は自分には合わないと、確信に至るスティング。

 だが構わない、この場でだけは憧れた背中に仮託しよう。


「悪ィなァ。てめェ程度を相手に、本気なんざ出す必要はねェと思ってたんだァ」


 見え透いたハッタリだが、口にするごとに、スティングの中では真実味を増していく。

 実際に自分の魔力出力が上がっていくのが、ウォルコが気圧されつつある理由だとわかる。


「気が変わった……やっぱ全力でブッ潰す!」


 奇しくもスティングの固有魔術は、敬意とともに想起した叔父のそれとはまったく正反対の、超攻撃的覚醒を遂げていた。

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