第457話 アンネ・モルクがあらわれた

 礼拝堂の唯一の出入口である両開きの扉はガタが来ているようで、室内に向かってわずかに隙間が空いたところで閉まり切らずに止まる。

 先行して奥へ荷物を放ったウォルコが、振り返って構えたところまでは、スティングもまだ冷静でいられた。


 実力差はわかっていたつもりだ。しかしここまで防戦一方になるとは思わなかった。


「どうしたスティング、今日は調子が悪いのか?」

「……ッ!」


 息切れで軽口すら返せないが、スティング自身はいつもと変わりなく、普通に全力を出した上でまったく歯が立たないのだ。


 スティングが固有魔術〈濃縮還元コンセントレダクト〉で両手から連続生成し、錬成圧で刺しに行く鉄の荊を、ウォルコは固有魔術〈爆風刃傷ブラストリッパー〉でまとめて伐採する。

 返す刀で放たれる追撃を、スティングはなんとか防ぎ切れ……ていない。


 重ねた両腕が一本半まで切り込まれ、落ちた左手を慌てて拾い、再生能力で繋ぐスティング。

 その間もウォルコの猛攻は止まらず、対処を強いられ続ける。


 かつてウォルコに付けられていた〈ミレイン最強の爪〉という二つ名は、けっして華々しさ由来の虚飾ではない。

 極限まで収斂された爆圧が生み出す切断力・貫通力は、ギャディーヤですら銀による無効化を使わなければ止められないだろう。

 中途半端な攻撃タイプで練度の足りないスティングでは、次の瞬間殺されないことで精一杯だ。


 ただ、ウォルコが魔術偏重の戦い方をしてきて、彼自身は前に出て来ず中近距離を保ち、体術を織り交ぜて来ないのは幸いだった。

 スティングにもう少し余裕があれば「調子が悪いのはあんたの方なんじゃないのか」と揶揄するところだが……その目に見えて顔面蒼白な絶不調のウォルコにすら圧倒されているという事実が、とてもじゃないがそれを言わせてはくれない。


 今また数発の〈爪〉を凌ぎ、今度こそ上手く躱したつもりのスティングだったが……背中を軽い衝撃で迎えられたことで、自分が扉際に誘導され、追い詰められていたことを悟った。


 扉は頑丈でこそあれ木製なので破壊も可能だが、ウォルコの前ではそのワンアクションが命取りだ。

 外開きなら体当たりしてダッシュで逃げれば済む話だが、内開きなので呑気に引いている一秒で全身を切り刻まれ、脱出が叶うのは流れる血のみとなるだろう。


 最初から無謀だった。そもそもが分不相応な挑戦だったのだ。

 しかしこの結末もまた悪くはない。父の仇を探すため、やるだけやって死ぬのだから本望だ。


 スティングはもはや恍惚状態となり、己に死を与える男を、ある種の熱烈さをもって仰いだ。

 対するウォルコも昂進状態にあるようで、頬に散った返り血を舐め取り、凶悪な笑みを浮かべて獅子吼する。


「さあ、棺を選んでもらおうか!」


 万事休すと諦めたスティングが、眼を閉じ扉に背中を預けたところで……耳に馴染んだその声が聞こえてきた。


「スティングくんっ。あなたなにか勘違いしていませんかっ」


 いかなる気まぐれが吹かせた隙間風なのか、彼女がここにいる理由が思い当たらなかったが……他ならぬスティングの動向を聞きつけ、会いに来てくれたとしか説明がつかない。

 なんと呼ぶか一瞬だけ迷い、結局スティングはこう呟いた。


「師匠……?」




 猫を好んで使い魔に仕立てるのは、なにも名高きペリツェ公だけではない。

 レオポルト・バルトレイドとお付きの聖騎士ゴルディアン・アックスフォルドは、二人して滞在中のこの宿に、何匹かの小さな獣を放っている。


 ウォルコとスティングが一階の礼拝堂に籠もるにあたり、堂内の天井近くに一匹潜ませ、堂外の廊下にも何匹かを巡回させている。

 それを部下たちに遠巻きに囲ませ、さああとはどんな捕り物にしようかなと、静観の構えに入っていたのだが……。


「ん? おい、なんだあの女は」

「え? ここの修道女シスターじゃないんですか?」


 ゴルディアンがなんの気なしに言う通り、確かに礼拝堂の入り口に近づいているのは、ジュナス教では一般的な、黒い修道服を着た小柄な女でしかない。

 確かにウォルコが「ジュナス教関連施設と呼んでいい充実度」と言っていたが、ここはあくまで一般の宿でしかなく、神父ならともかく修道女が勤めている……こと自体は、おかしくないのか? いや、なにか違和感が……。


『猊下、どうされました?』『あの女性がなにか?』『本物の修道女であることは間違いないと思われます』


 同期リンク中の使い魔越しに返ってくる部下たちの、ゴルディアンと同じどこかぼんやりとした反応に、レオポルトは言い知れぬ薄ら寒さを覚えた。

 魔術的迷彩? 呪術的欺瞞? そんなチャチなものではない。純粋な演技力によって、精鋭の祓魔官エクソシストすら平気で騙す、これはまさしく……。

 椅子の肘掛けを砕けるほど殴りつけ、バルトレイドは喝破する。


「ヤツだ……ヤツが現れた!〈無貌の影〉だ!」

『なんですって?』『無貌の……あれが?』『ええと……いかがなさいますか?』


 いまいち鈍い部下たちを、責めるのはお門違いかもしれない。

〈無貌の影〉という仰々しい異名は、ヤツの本質と脅威を的確に言い表してはいるのだが、いざヤツ自身と対峙した際に受ける印象としては、実像とかけ離れていると言わざるを得ない。

 なにせあの女……アンネ・モルクは、彼女自身の戦闘能力は極めて低い。その辺の小娘と大差ない、見た目通りの一般市民相当でしかない。だがその代わりにあいつは……。


「……あいつの姿がないな!? なにが起きたか誰か見ていたか!?」

「あの……猊下も見てらっしゃっいましたが、とうにどこかへ行ってしまいましたよ」


 困惑気味なゴルディアンの進言で、レオポルトもようやく自覚が及んだ。


 アンネと思しき女の動きを、確かにレオポルトも集中して見ていたはずだったのだ。

 だがなにかを礼拝堂の中に向かってボソボソ喋ったかと思うと、なにごともなかったように立ち去る彼女の姿を、レオポルト含めた全員が漫然と見過ごしてしまった。

 まるで彼女はそういう役回りなだけだから、気にする必要はないとでも考えるように。


 見聞きする者の認識を直接操るかのごとき演技力……これがアンネの恐ろしいところなのだが、「騙し」はあくまで副産物でしかなく、その真骨頂は別にある。

 今、彼女が現れたこの宿において、もっともその影響を受けたのは、他ならぬスティング・ラムチャプなのだ。

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