第456話 もちろん愛のためだ

「ギデオン、しっかりして。傷は浅い」

「我々としては助かりましたが、ずいぶん無茶をするものですね」


 ソネシエの黒曜の眼と、それとは少しニュアンスの違うダークブラウンの眼に見下ろされ、庭草の上に伸びていたギデオンは、上体を起こしてはっきり宣言する。


「俺は浮気をしないぞ」

「なにを言っているの」

「どうやら大丈夫そうですね。どなたか存じませんが、ご協力に感謝……」

「なに言ってんのベニトラちゃん。レオポルトさんが言ってたでしょ。彼が半年前までアクエリカさんを付け狙ってたギデオンくんだよ」

「えっ!? ギデオンって、そのギデオンなんですか!? こんなうすぼんやりした感じの人が!?」


 階段から中庭に降りてきた橙色の髪と法衣の若い男が、白い制服を着た黒髪の女に指摘すると、女はかなり心外な驚き方をしてきた。

 確かにアクエリカへの八つ当たりを……現行世界を憎む理由がなくなって、毒気が抜けた自覚はある。


 先月ヴィクターに会ったときも、「僕の知ってるギデオンは血も涙もない冷酷でストイックな殺し屋だ」とか言われたので、険がなくなってきているのは事実だろう。

 しかしやはり自分ではわからないので、吹っ飛んだ帽子を拾ってきてくれたソネシエに、率直に尋ねてみることにした。


「俺は弱くなっていると思うか?」

「強さはあまり変わっていないと思う。戦闘技術はいささか上がっている」

「ぬ……やはりお前たちと比べると、俺はやや頭打ち感があるか……」

「なぜ」

「ん?」


 ソネシエは猫がするように首をかしげて、純粋に疑問を呈してくる。


「なぜグーゼンバウアー枢機卿を庇ったの」

「……白い制服は聖騎士だったな。ということは、そっちのそいつが枢機卿なのか?」

「オレの扱い、いつも通り。オレ、怒らない」

「なんで片言なんですか……じゃなくて、相手が枢機卿だと知らずに庇ったんですか?」


 ベニトラに軽く頷いた後、ギデオンはソネシエの問いについて考える。


「あまりなにも考えてはいなかった。誰だか知らんが、ファシムの〈透徹榴弾ステルスハウザー〉はかなり痛いので、みすみす撃ち込まれるのを見過ごすのは忍びない。俺なら内臓に食らっても死にはしないのはわかっているから、せっかくだし肩代わりしてもいいかな、という感じで……」

「つまり格別理由はない」

「そういうことになるな」


 ソネシエはやはり大きな眼でじっと見てきて、言葉を選ぶ様子でまごまごした後、結局こう述べた。


「デュロンの表現を借りるなら……ギデオン、あなたはかなり前に進んでいる。と思う」

「そう、か……そうだと、いいな」


 ギデオンが頬を緩めてみせると、ソネシエは笑えない代わりのようで、ゆっくり眼を閉じた。

 そのまま感慨に耽っていたギデオンに、グーゼンなんとかいうオレンジ色のやつが近づいてきて、なにか光るものをなすりつけてくる。


「ハイ、一丁上がり! アハハハハハ!」

「なんだ今のは、なにをした? ソネシエ、この男はやはり殺すべきか?」

「全部台無し。これはひどい」

「トビアス様は良さげな雰囲気を破壊する義務でも負ってらっしゃるんですか?」

「待ってちょっと、したオレ良いこと今! ないられる謂れ責め!」

「トビアス様は何語圏の人なんですか」

「今喋ってる大陸共通語だよ! いや、突然ごめんね、ギデオンくん。キミのこと気に入っちゃってさ、今のそれはささやかなお礼ね。オレの固有魔術を付与エンチャントしたので、キミには数日以内に一度だけ、重要局面で幸運が訪れます。ただし一見不運に見える形で来るから、やべぇと思っても諦めないことが肝要だよ」

「その説明先にしないとただの辻呪詛なんですよねトビアス様のそれ」

「いやマジでご利益あるから、超霊験あらたかだから!」


 確かに悪いものが宿っている感じはしない。他者ひと好きのする笑みを浮かべたトビアスは、もう一つ付け加えてくる。


「アクエリカさんの言ってたことはほんとだったんだね。あの人に次期教皇の座を譲るつもりこそないけど……次誰かがキミの行状を俎上に載せてたら、オレが弁護してあげるから、安心してね」

「珍しいですね、トビアス様がそこまでサービスするなんて」

「まあね。ほら、オレって昔からこんなだから。利害関係のない相手に、不意に優しくされるのに弱いんだ。ごめんねギデオンくん、あんまり重く捉えないでね」


 ベニトラに促され宿の建物に戻りながら、トビアスは誤魔化しの捨て台詞を残していく。


「あっぶな! キミが全裸オーバーオールの巨乳美女だったら、オレ絶対惚れてたよ!」

「入力条件がグズグズすぎて比較対象として成立しないんですけど」

「最低。教皇選挙に落ちてほしい」

「マジの悪意やめてくれる!? じゃあね、元気でやんなよ! ソネシエちゃんもファシムと戦ってくれてありがとうね!」


 政敵陣営とはいえ、円満に別れることは不可能ではないようで、ギデオンはソネシエとともに、普通に中庭を出た。

 背中を撃たれるようなこともなく、街路に出たところで、ソネシエが尋ねてくる。


「ところであなたは、どうしてこんなところにいたの」

「お前が一人で外出しているせいでイリャヒが発狂している。探してこいとオノリーヌに呼ばれた」

「彼らが愚かでごめんなさい」

「お前が謝ることじゃないし、なんかあいつらかわいそうだから、それはやめろ」


 その後ソネシエから、アクエリカからの受け売りだという、トビアスの固有魔術に関する説明を受け、ギデオンは思案した。

 逆に言うとギデオンは数日以内に、危機的状況とやらに立ち会うことになる。


 それがミレインでのことなら、ベルエフに協力を仰いで、パルテノイの守りを固めるだけの話だが……それがゾーラでのことなら、会期が終わるまでは、また何度か喚び出されても許してやろうと思う。いつも通り夜はミレインに帰るので、昼だけだが。


 なんのためかって?

 もちろん愛のためだ。

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