第453話 みんな狂ってみんなダメ

 ヒメキアは発狂していた。普段は穏やかな彼女の眼が血走り、振り乱した髪を搔き毟るのを、リュージュはなすすべなく見ているしかない。


「ううう……ねこをさわりたいよ!! もうずいぶん長いことねこをさわってないよ! 見たのも三時間前が最後だよ! ねこ……ねこを、ねこをください……!」

「思ったより禁断症状が出るの早かったな」

「この子やばすぎですの」


 エルネヴァが帰ってきてくれなければ、さすがのリュージュも一人では対処に窮していたと思われる。

 なぜなら発狂しているのはヒメキア一人ではないからだ。


「やはり心配です! 全然帰ってこないではないですか!? 賢いうちの子が迷子になるはずはないので、なんらかの壮大な陰謀に巻き込まれている可能性があるのでは!?」

「落ち着け、まだ三十分しか経っていないではないか」

「シスコン極まれりですわ」


「うちの弟は大丈夫だろうか!? アクエリカのことだ、今度もどうせ聖女とは名ばかりのドスケベクソ女に違いないのだよ! わたしは明日の朝あの子をどんな顔して迎えればいいのかね!?」

「こいつはもうほんといつも通りで困る」

「ブラコンの鑑ですの」


「アクエリカああああああ!! もうなんなんだあいつの勝手さは!? 外泊したら護衛チームを編成した意味がないだろうが、アホの帝王なのか!? 帰ってきたらあのデカいケツを皮剥けるほど引っ叩いてやるうアアアア!!」

「メリクリーゼ様、お気を確かに。猊下のケツという重要機密が宿舎中に聞こえてしまいますゆえ」

「シンプルに怖いですわ。ごほん……なるほど、猊下はこうなることも予測してらっしゃったのですわね。あたくし一つだけ荒ぶる御魂を鎮めることができますの」


 そう言ってエルネヴァが荷物の表層から抱え上げたのは、いつもアクエリカの執務室にいる、アクエリカの使い魔化されていると思しき、灰色の小さな子猫だった。

 大人しくエルネヴァの衣類の上に納まっていた、その生き物の存在を認識すると、収縮していたヒメキアの瞳孔が元の大きさに戻り、その手に触れたことをトリガーに、ギリギリ理性を取り戻した様子で、彼女はぱちくり瞬きした。


「はっ……あたし、なにしてたっけ? ここどこかな? いまなんじ?」

「ねこ中毒やばすぎですの、依存性強すぎですの」

「ねこ成分は定期的に摂取しないと死ぬのである。さて、次は……」


 エルネヴァにばかり任せているわけにもいかない。

 いかれたイリャヒの精神を案じ、リュージュは控えめに提案してみる。


「わたしがソネシエを探しに出てもよいでありましょうか?」

「ダメだ。アクエリカがいない以上、お前たち〈銀のベナンダンテ〉の運用代行権は、一時的に私に移譲される格好となる。この場では私の命令に従ってもらうぞ」

「は、はい、メリクリーゼさん!」


 職責を思い出したようでギリギリ理性を取り戻したメリクリーゼがそう宣告すると、子猫を抱えたヒメキアが急いで彼女の正面にやってきて、直立不動の待機状態ひよことなった。

 その姿を見て完全に落ち着きを取り戻したようで、メリクリーゼはキリッとした顔になる。


「リュージュ、出るなら消去法でお前になるというのはわかるが、これ以上の管理者を伴わぬ自由行動は許されていない。もちろん私自身が行くというのは論外だ、そうでなかったらとっくに真っ先に走っている。くそ、せっかくソネシエと買い物デートできるチャンスだというのに……!」

「この聖騎士パラディン、相変わらず弟子にダダ甘すぎる……」

「この方もしかしたら一番やばいですの?」


 自分よりやばいかもしれない者が同室しているおかげか、イリャヒがギリギリ理性を取り戻した。


「そうですね。それによく考えたらいずれにせよ、これ以上の人数がこの場を離れることは、他ならぬソネシエやデュロンが望まないに違いありません。もしここからリュージュまで外へ出てしまったら、メリクリーゼ様と私だけで、エルネヴァ、ヒメキア、オノリーヌを護衛しなければならなくなるのですから」

「そうだな……ん? そう考えるとわりといける気がするぞ」

「ちょっと、そういうことおっしゃるのやめていただけます?」

「待てイリャヒくん、一度冷静に考えるんだ。私の〈観念具現イデアアバター〉が、俗に言う神域級の固有魔術だというのは知っているだろう。一方で君の〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉は推定悪魔級だそうだな」

「ええ、まあ……」

「つまり私の剣に君の炎をまとわせれば、あくまとかみであくまじんだ!! さいきょうむてきなんじゃないのか!?」

「すごい勢いで知能が下がっている!」

「あたくしこの方に専属護衛されてるの不安になってきますわよ!?」

「いけませええええん!! 私の炎が宿るのは、あの子の剣でなければならないのです!!」

「そんでまたこっちは変なとこ入ってめんどくさい発狂の仕方をしている!」

せて咳き込むぐらい簡単に発狂されても困りますの!」


 この騒ぎでようやく自分がいちおう頭脳担当だと思い出したようで、ギリギリ理性を取り戻したオノリーヌが掠れた声で喘いだ。

 親友の贔屓目を含めてなお、こんなのが頭脳担当で大丈夫なのかとリュージュは思う。


「よ、要はベナンダンテではない者に行かせればいいと心得たまえ。でしょう、メリクリーゼ女史?」

「一理あるがオノリーヌくん、ここにはエルネヴァと私以外……」


 ブラコンクソ女は変な汗でべちょべちょのまま、したり顔で指を鳴らしたが、全然かっこよくはない。

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