第445話 教会としてもアクエリカ心理学の確立が待たれる

 午後の会議は問題なく終わった。アクエリカの態度は相変わらず行儀が良いとは言えず、注意できるメリクリーゼが議場にいないので、問題ないというのは語弊があるかもしれない。


 レオポルト・バルトレイド枢機卿も戻ってきていて、普通に議論に参加し、アクエリカにも平静に話しかけている。

 先ほどはよほど悪いところに触れられたのだろう。アクエリカももう茶化したり、喧嘩を売るような真似はさすがに謹んでいる。


 午後四時を迎えお開きになると、アクエリカは他の枢機卿たちへの挨拶もそこそこにさっさと席を立ち、皆を引き連れて宿舎に戻った。

 小さなバッグに荷物を詰めてデュロンに寄越し、手招きしながら部屋を出る。


「それじゃあなたたち、いい子にしてるのよ? なにかあってもなにもなくても、いつもの通りわたくしは、使い魔ですべて把握していますからね。こちらからも連絡するわね」

「どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」


 代表して声を掛けてくるイリャヒを筆頭に、ソネシエ、オノリーヌ、リュージュ、そしてヒメキアが見送ってくれる。

 宿舎を出て早足で街路を歩くアクエリカに、デュロンがしばらく付き従っていると、上司は唐突に振り返って宣言してくる。


「今夜は宿舎に戻りません。出先に泊まります」

「えっ……なんで? 先方にはそれ伝えてあるのか?」

「いいえ。でも嫌と言う子ではないから」


 そうできるくらい優しいか近しい相手なのだろうが、デュロンの方は気が気でない。


「やめとこうぜ姐さん、なにがあるかわかんねーし。絶対教皇庁の宿舎の方が安全だって」

「嫌よ。だってあそこにいたらメリーちゃんが帰ってきて、夜通しお説教されちゃうでしょ」


 さっきからやけに急いでいるなと思ったら、雷が落ちないよう逃げてきていたためだったようだ。

 どの道明日怒られるはずだが、朝は時間がないので、それを理由に躱して午前の会議に向かうつもりなのだろう。


 そしてこういうときに転がり込むのだから、よほど気安い相手なのかと思ったら、アクエリカにしては極めて珍しいことに、緊張気味の顔をしている。

 同じ感情の匂いがするので、演技ではなさそうだ。

 居並ぶ枢機卿にも教皇にも、微塵も臆さぬこの女が、恐れる相手とはいかなる者なのか。


「そんなに会いたくねーのに、会わなきゃならねーのか?」

「いいえ、会いたくないわけではないの。というか彼女のことは普通に好きよ」

「じゃあなんでそんな泣く寸前の幼女みてーになってんだ」

「それは、わたくしの苦手な相手だから」

「嫌いって意味か?」

「そうではなくて……いわばわたくしの天敵、かしらね。会えばわかると思うわ」


 要領を得ないことを言って、市内の端まで歩いた二人は、並ぶ畑の只中にある、ジュナス教式の建物に近づいていた。

 わらわら働いている子供たちの様子から、孤児院寄りの修道院だとデュロンにもわかる。


 面食らいつつもジロジロ見てくる子供たちに向けて、にこやかに手を振るアクエリカにデュロンも倣う。

 彼らに聞こえないようにボソボソ喋る二人。


「俺、ガキって苦手なんだけどよ……姐さん、アンタもそうだろ」

「なぜわかるの、否定はしないけど。あなたの顔が怖いから、全然寄ってこないじゃない」

「アンタの見た目もどっちかというと威圧感があるぞ、アンタのせいだろ」

「こんなほんわかお姉さんを捕まえて威圧感があるですって? ありえないわ、わたくし老若男女にモテまくり。というかあなたが子供が苦手なのは、あなた自身が子供なせいでしょう」

「否定はしねーけどよ、じゃあアンタも原因は同じなんじゃねーの」


 チクチク刺し合いつつも建物に辿り着いた二人は、ジュナス教では一般的な黒い修道服に身を包んだ、アクエリカと同じくらいの背格好(デュロンより少し高いくらい)の女に迎えられる。

 澄んだ碧眼を瞬いた彼女は、両手でを作るジュナス教式の所作とともに頭を下げ、恭しい挨拶を発してきた。


「グランギニョル枢機卿猊下におかれましては、ご機嫌麗しゅうことと存じます」

「ちょっと、やめなさいそれ。というか、なぜ院長のあなたが表にいるのよ、暇なの?」


 顔を伏したままクスクス笑った修道女は、早々に頭巾ウィンプルを外しておもてを上げた。

 長い金髪が解放され、「優しい香り」がデュロンの鼻をくすぐる。

 単に良い匂いというだけではない。普段から悪感情を抱くことが少なく、慈愛に満ちた思考を持つ者が発するものだ。


「ふふ、ごめんなさい、アクエリカ。たまにはあなたをからかいたくなって。別に暇なわけではないんですよ? あなたの姿は遠目からも明らかなものですから、気づいた子たちが知らせに走ってきてくれたので、こうして前もって出てきたんです。そういうあなたこそ、いつにも増して忙しい時期でしょうに、それを押して私に会いに来てくれたんですよね? ありがとうございます、嬉しいですよ」

「べ、別に……ミマールサのついでで、あなたも〈聖女会〉のことを忘れてないかどうか、確認しに来ただけでしてよ」

「あら、そうなんですか? ふふ、優しいですねアクエリカは」


 口を尖らせてそっぽを向くアクエリカに対し、自然にペースを握っているその女性は、デュロンの方を振り向いて、温かい笑みで名乗ってくれる。


「申し遅れました。この修道院の院長をやっております、ユリアーナ・ソルトリビュラという者です。アクエリカとは同い年で、聖職者としての同期のような関係ですね」

「あ、ど、どうもご丁寧に……デュロン・ハザークと申しまして、はい……」


 彼女を前にしたアクエリカが、あの自信の塊みたいな唯我独尊のアクエリカ(言い過ぎかもしれない)が、なんと嫉妬と劣等感の臭いを発しているのだが、気後れ気味になってしまっているデュロンにも、その理由はなんとなくわかった。

 イリャヒやオノリーヌによると、アクエリカの天敵というのは、簡単に言うと「性格の良い女性」であるそうだ。

 ただ厳密には年齢や地位、強さや賢さなど、能力値の細かい条件というか、複雑な属性相性表のようなものが必要らしい。具体的にはアクエリカにとって、


 ヒメキア……苦手じゃない

 ネモネモ……苦手じゃない

 シャルドネ……苦手じゃない

 ソネシエのダンスの先生……苦手

 ムラティ……苦手じゃない

 ミマールサ……苦手じゃない

 ユリアーナ……苦手

(ちなみにここまで全員、好きか嫌いかで言うと好き)


 なので、よくわからない。教会としてもアクエリカ心理学の確立が待たれる。

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