第425話 其は飢饉をもたらす者なり

 ウーバくんは半月ほど前に目覚めたばかりで、精神的に未熟だというのは、デュロンもわかっていた。

 なので、チビの弱そうなガキがいきなり自分よりデカくなり、強烈なパンチを効かされた彼の心情も、推し量ることはできた。


 そりゃもうめちゃくちゃビビり倒すことだろう。事実、彼は厳つい顔に冷や汗かいて、そのまま取って返して、ヴィクターが消えた方向へ全力で逃げ始める。

 慌てて追いかけようとするが、この場を離れていいものか、逡巡のうちに彼我の距離は開いていく。

 しかしさすがはアクエリカ、いつでも状況を把握している。


「いいわよ。ただし行くなら三人一緒に!」


 袖から這い出る使い魔が、彼女の意思を代弁してきた。

 デュロンが後ろを振り向くと、ヒメキアとソネシエが得心顔でついてくる。全会一致だ。


 先頭に立って駆け出したつもりのデュロンだったが、拡張活性でクソデカ形態になっているのを忘れていた。

 そしてやはり運動精度自体が低いままなのも相まって結局ヒメキアやソネシエと変わらない速度で走ることになる。


 だが今はそれでいい気がした。

 仲間と並んで、一緒に行くのも悪くない。




「♬俺〜俺俺俺〜……俺だよ〜、俺様〜だ」


 救世主ジュナスの認識として、〈教会都市〉ミレインより〈聖都〉ゾーラの方がヤバい、というのがある。

 神であるこの俺様がコソコソ気を遣ってやらにゃならんのはどういうわけだ、という気持ちはあるが、積極的に揉めごと起こしたいわけでもないので、謎の歌も極力小さい声で口遊むことになる。


 この時期だから、というのもなくはない。今、このゾーラ市内には会議に参加するために、百人からの枢機卿たちが集まっている。

 教皇庁に隣接する宿泊施設が存在するので、アクエリカ・グランギニョルを始めとする大半の枢機卿はそこに滞在するはずだが……一部の猜疑心や警戒心が強い向き、あるいはなんらかの事情があるのか、ジョヴァンニ・ステヴィゴロ、レオポルト・バルトレイド、トビアス・グーゼンバウアーなど、何人かの枢機卿は街中の(もちろんそれなりに格式高い)宿を借りているらしい。


 そしておおよそすべての枢機卿がそれなりの金を持っており、おおよそすべての枢機卿が、街へ出れば多少なりとも、財布の紐が緩むはずだ。

 というわけでゾーラの街は、なんの祭りでもないのにやけに活気づいていた。

 元々中心に近い通りともなれば、それなりの格はあるようで、取り澄まして待ち構える店があれば、その軒先で道化師ピエロがはしゃぎ出し、地元のガキに絡まれている。


「おっと」


 よほど急いでいたのか、余所見をしながら走ってきた大男に、図らずもジュナスはぶつかる形となった。

 しかしこちらは受肉した神、自分よりちょっと……六十センチほどだろうか……デカくてムキムキな巨漢が相手だろうと、倒れるどころかよろけもしない。

 逆に相手の方がか弱い淑女よろしく、跳ね飛ばされて転がるところへ、手を差し伸べる余裕すらある。


 それもそのはず、肉体活性、ひいては拡張活性もが限界練度に達しているジュナスは、靴と靴下、石畳を隔てていても、踏みしめる大地の力を一瞬で引き込み、外観上の体格を一切変えないまま、筋骨密度の爆増で、鋼のごとき肉体強度を実現するのだ。


 さらに反応・展開速度も桁違い。「ぶつかったな」と無意識で感じたときにはもうすでに、拡張活性が発動している。

 ただでさえ普段から身長約百九十センチ、体重約百六十キロ(外見からはとてもそうは見えないはず、もちろんほぼ筋肉である)、というキレッキレのマッシブボディなのに、それがこの上……おっと、みんなのアイドルであるジュナス様の、本気で筋肥大したときの体重は内緒だよ、テヘッ。


 というおっさんの真顔によるウィンクを威嚇行動と受け取ったのか、失礼な奴だ、巨漢は怪人にでも遭ったような恐怖の表情となり、一目散に逃げて行った。

 お前の方がよっぽど怖い見た目してんじゃねぇか、鏡見ろや……と愚痴ろうとしたところで、ジュナスはようやくはたと気づいた。


「ん? 今の奴って、もしかして……」

「そのもしかしてざんすよ、御方おんかた


 横合いからかかった剽軽な声に、ジュナスは漫然と振り向いた。


 煉瓦色の髪を逆立て、コテコテのピエロメイクを施した長身の男が、地元のガキどもの玩具になったままで近づいてくる。

 大変眼に優しくない色合いの道化服が、ちょうどの角度で真っ昼間の日差しに照らされ、眩しくて直視できない。


「あ? なんだてめぇは」

「アタシアタシ、アタシざんすよ」

「いやわかんねぇよ、誰なんだよ、すっぴんで来いよ」

「誰なんだよー!」「ほら、おっさんもああ言ってんじゃん!」「ここらで見ない顔だなー、おまえー!」

「痛っ!? 痛いって! やめるがいいざんすこのクソガキども! アタシ見ての通りフィジカル強くないざんす! ちょ、ジュナス様、見てないで助けて!」


 ジュナスがしばらく静観していると、地元のガキどもにボロボロにされた道化師は、フラつきながらも立ち上がり、気弱に笑ってみせる。


「あたた……まったく、最近のガキは乱暴ざんすね」

「反撃すりゃいいじゃねぇか」

「アタシは手加減が得意な方ざんすけどねぇ、限度ってものがあるざんしょ。蟻の群れを潰さずに払えるほど、アタシの魔術はまだ成熟してござんせん」


 泥と汗とで汚れた化粧を、手の一振りで拭い去り、されども重ね塗られたごとく、白い肌にはいまだ装いがある。

 右眼に星、左眼に円。それらに鼻筋を跨いで曲線が架けられているが、それらは落とし残した化粧ではなく、刻まれた刺青である。

 遠目には眼鏡にも見えるその意匠は、第三の騎士が司る、黒き天秤を象るものだ。


 男は優雅に一礼し、細面に不敵な笑みを浮かべた。


「〈四騎士〉が一人……〈黒騎士〉ゲオルク・モルク、久しゅうお眼にかかりましてござんす。しかし推参したとはあえて申しませぬ。この身たるもの、いつでも御方とともにある……そういうふうに思っておりますゆえ」

「気持ち悪ぃからやめろやそういうの、相変わらずだなてめぇは……」

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