第419話 有力枢機卿の有力たるゆえん
「さっきはずいぶん意地悪なことを言ってしまってごめんなさいね、グランギニョル枢機卿。あなたのためにも、一度きっちり消化しておくべき事柄だと思ったの。別にあなたのことが嫌いだというわけではないのよ?」
「もちろん存じていますよ、ヴァレンタイン枢機卿」
美女二人が和やかに歓談しているのを見て、ヒメキアがつられて笑っているが、おそらく本来はその反応が適切である。
なぜならヴァイオレインは言葉通り、アクエリカに対するなんらの悪感情も発していないし、アクエリカも同様である。
しかしだからこそどうにも薄ら寒いものを感じるというのは、デュロンの考えすぎだろうか?
「ともかく、あなたの悪魔に対する認識を少しは引き締められたようで良かったわ。いえ、むしろ元からあった分別が発露しただけだと思いたいけれど」
「そう思っていただいて構わなくってよ」
明らかになにも考えずテキトーに答えているアクエリカの様子にも、ヴァイオレインは特に気分を害する様子もなく、そのまま平和裏に別れるに至った。
「では、ごきげんよう」
「は〜い。また後で〜」
ゆるゆると手を振るアクエリカに、「仲いいの?」とか、「どういう関係?」とか訊いてみたかったが、なんか怖いのでやめておいて、デュロンは別のことを尋ねてみる。
「グーゼンバウアー枢機卿は例外としても……そしてアンタよりは年上だが、あの人も枢機卿たちの中でめちゃくちゃ若いのに有力視されてるんだよな? もしかしたら超つえーかもしれねーって以外に、なんかカラクリがあったりするのか?」
下ろした手を細い顎に添え、真顔に戻ったアクエリカが考察する。
「ヴァレンタイン枢機卿について第一に特筆すべきは、その異常なまでの実務能力の高さだとされているわ。彼女はとにかく並外れて仕事が早く、それというのも彼女の執務室は、一晩中明かりが絶えることがないと聞きます」
「眠らない……ってことか?」
「いちおうそれが定説なのだけど……どうなのかしらね。そういう種族もいるのかもしれないし……あるいは、脳の半分ずつを休ませているとかなのかも。あるいは単に毎晩寝落ちしていて、明かりを消し忘れているだけかもしれないわね〜」
飽きてめんどくさくなってきたのか、雑なことを言い始めたアクエリカに、またしても有力枢機卿から声がかかった。人気なようでなによりである。
「ねえアクエリカくん、やっぱり一部考え直してくれないかな?」
ジョヴァンニはまだ席に残っていて、気遣わしげな視線を投げてきている。
知った仲ゆえか、アクエリカの扱いも勢い丁寧となる。
「と、おっしゃいますと?」
「せめて『ジュナス教会そのものから去る』というのだけでも撤回しないかい? 薄々感じてはいると思うけど、僕は他の誰よりも君を高く評価してるつもりだ。世辞でも皮肉でもないよ、単に君が他の誰よりも優秀だというのがその理由さ」
そうして彼は穏やかに微笑み、濁りのない口調でこう申し出た。
「だから僕が次の教皇選挙で使徒座に就いたら、君には僕の右腕を務めてほしいんだ。もちろん最高の待遇を用意するつもりなんだけど、一度考えてみてくれないかな?」
「丁重にお断りさせていただきます、ステヴィゴロ枢機卿」
二人の間に流れたしばしの静寂は、作り出した者の側から破られる。
「……なんてふうに強がってはみるけどね……やっぱり無理かもな、僕が君に勝つのは」
目元に入っていた力を不意に抜き、今度こそ柔らかく破顔してみせるジョヴァンニは、口角を上げたまま無言で見つめ返すアクエリカに、腹蔵なく話していく。
「会議の前に君が言ったことだけどね。年齢や経験、実績から考えて、順当に行けば次の教皇にもっとも近いのは僕だろう。そう、確かに僕は今、レースを先頭で引っ張っている。でもね、最後には君が一気に追い上げ抜き去ってしまうことを、ここにいるみんなが知っているのさ」
「ジョヴァンニ様、そのたとえは少々よろしくないかと……」
お付きの聖騎士に進言され、悪戯っぽく言い返す〈灰〉の枢機卿。
「なぜだい? マラソンの話かもしれないじゃないか。脚質の違いっていうのは実際あると思うわけでね」
「脚質って言っちゃってるじゃないですか」
「マラソンにだって脚質はあるでしょ、知らないけど。僕もたまには運動しないとと思ってはいるんだけど、なかなかそんな暇がね。引退したらなによりもまず馬主になりたいわけだし」
「馬主って言っちゃってるじゃないですか、もう隠す気もないじゃないですか」
「いいじゃないか、僕はお金を賭けていない、ただ観てるだけだ。趣味としては健全なものだと思うけどね。でも仕事じゃそうはいかない。なにより今回は殊更に粒揃いだ、豊作過ぎるのも困りものだね。
レオポルトくんは見てわかる通り勢いと発言力があり、喋る内容もおおむね正しく、大きな派閥を形成してる。
ヴァイオレインくんはあの『
トビアスくんはそれらを埋めるほどの利運を持ちながら、成り上がり者にありがちな油断や高慢とはまるで無縁だ。
そしてもちろん君は言わずもがな……困ったものだね、どうしようか。僕としてはなによりまず君を牽制するため、聖下の……ああ、もう退席しておられるね」
言われるまで気づかなかった、サレウスはいつの間にか車椅子ごと姿を消している。
いくらなんでも動く気配がなさすぎる、なんらかの移動能力を使っているのだろう。
ジョヴァンニはアクエリカに顔を戻し、にこやかなままで通告してくる。
「たぶん来月くらいになると思うけど、ミレインに聖下のお名前で監査官を送って寄越すから、そのつもりでね。
僕の信頼する切れ者エリートくんだ、彼の執拗な詮索をなんとか躱してみてね。
まったく甘いんだよね、レオポルトくんだけじゃなく、トビアスくんもヴァイオレインくんも。
君になにを問い詰めたって同じことさ、それよりせっかく君が口実を与えてくれてるんだから、痛いのかどうなのかよくわからないお腹を、とりあえず探ってみればいいんだ。
差し当たり僕からのささやかなプレゼントはそんなところだけど、またなにか思いついたら追加するからよろしくね」
「わざわざ予告いただいてありがとうございます。心してお迎えしたいと思います」
やはりデュロンの抱いた第一印象は大きく外れてはいなかった。
この男をいくら警戒しても、しすぎるということはなさそうだ。
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