第416話 血の染みは
デュロンなりに意訳すると、「ぼんやり難癖つけるだけなら猿でもできるわけだが、ガタガタぬかすからには当然、抜群の代案があるんだよな?」となる。
議場全体を見渡した後、蛇の眼は改めて一人に向いた。
「よろしかったでしょうか、ヴァレンタイン枢機卿?」
たったこれだけの片言隻語なのだが、今、アクエリカの真後ろにいるデュロンの嗅覚には、アクエリカの背中から発せられる感情の匂いがダイレクトに届いてくる。
そのニュアンスを含めると、「テメーが言い出したことだよな? 実力見せてくださいよぉ、セェンパァイ?」という感じになるのだ。
というかさっきから、アクエリカとヴァイオレインはやけに互いに対して刺々しい気がしてならない。なにか因縁でもあるのだろうか。
しかしいずれにせよこの場では双方矛を納めるようで、デュロン、そしてヒメキアが同時に息を吐いた。
「十分かと思われるわ、グランギニョル枢機卿」
「そうですか、ありがとうございます」
和やかに微笑み合う二人を見て、サレウスがおもむろに口を開いた。
「ではそろそろ議題の方を進めるとしよう」
「あ、ちょっと待ってください聖下」
再び挙手で制したのは、質問魔のグーゼンバウアー枢機卿である。
「この話が終わっちゃうみたいだから、最後に一つ、私的に気になることを訊いてもいいかな?」
「よろしくってよ」
「あ、ごめんね、アクエリカさんにじゃないんだ。デュロン・ハザークくん、キミに答えてほしいかな」
トビアスの
「ここに到着する前の回廊に、血の染みのついた部分があったのに気づいたかな? 気づいてないだろうね、オレだって説明されるまでわからなかった。もし良かったら後で見てきなよ、あれは教訓のためわざと残してあるんだって聞いたよ」
「グーゼンバウアー枢機卿、それはさすがに」
冷淡な印象の強かったヴァイオレインが、動揺露わに諌めるが、トビアスは聞かない。
そして尋ねているトビアス自身も、強気の笑みを浮かべているが、おそらくそれは虚勢だろう。
「まあいいじゃない、こんな機会きっと二度とないよ。ちょうどバルトレイド枢機卿もいないことだし……それにこれはきっと、グランギニョル枢機卿がくれた機会なんだ」
アクエリカはなにも言わず、デュロンとトビアスを見守るばかりである。
なにを訊かれるか、デュロンはすでに薄々察していた。
バルトレイド枢機卿が席を外した後でなされた重要な話の中で、彼が直接聞いておくべきだったことといえば、強いて言えばアクエリカの「いかなる処分も」「最初で最後」云々の言質くらいのものだろう。
なぜなら彼が〈銀のベナンダンテ〉撤廃を訴えるとすれば「危険だから普通に異端として裁くべきだ」という主旨以外はないだろうし、今されているこの話を聞けば「やめろ」と叫んだに違いないからだ。
「デュロン・ハザーク、そこがキミの両親が息絶えた場所なんだ。その上で率直に尋ねるけど、キミはこの教皇庁を、教会組織を恨んではいないのかい? キミたちはオレたちの敵になる予定はないのかい?」
ここまで直截に復讐の意思を問われるとは思わなかった。
アクエリカが振り向いてデュロンの肩を抱き、トビアスの方へ一歩進ませる。
答えなくていい、などと甘いことを彼女は言わない。
「デュロン、これはかなり失礼な質問だから、格式ばって答える必要はないわよ。あなたの言葉で話しなさい」
彼女に視線を向けずに頷いて、トビアスを見返したまま、デュロンはおもむろに口を開いた。
「血の染みは……」
搾り出した声が掠れていたため、小さく咳払いをしてもう一度息を吸う。
自分でも驚くほど明瞭な言葉を発することができた。
「ただの、血の染みだろ。俺は見ての通りバカでね、親の顔も声も、ろくろく覚えちゃいねーんだ。アンタたちに弓を引けるほど勇敢なら、十年前の時点で実行して死んでる」
トビアスの視線がデュロンから動いている。今さら気後れして眼が泳いでいるわけではない。デュロン、ヒメキア、アクエリカの反応を、順に確認しているのだ。
やがてトビアスは少し申し訳なさそうに眼を伏せつつ、得心した様子で言った。
「そうかい。よくわかった、ありがとう」
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