第392話 おじさんだって、たまにはセンチメンタルになるのさ
「死んで悪魔になりてえって気持ちは、俺にはわからねえが……死んで英雄になりてえって気持ちなら、少しはわかる」
どちらかというとサラバイというより、ここにいない者たちに弁解する気持ちで、ベルエフは笑みを作って明るい声を出した。
「もっとも、今はそんなつもりはさらさらねえけどな。俺にも守るべきものができちまった。そいつらを残してみすみす死ぬなんぞ、恥ずかしくてできやしねえ」
羽交い締めにしていた相手の上から、ようやく降りたベルエフは、せめて無責任な気休めではなく、具体性のある希望を提示してみる。
「全員で死にてえんなら、全員で生きてみろ。もちろんタダでとは言わねえ。この世界は変わりつつある、その分水嶺を迎えている。今俺の上役たちと部下どもがゾーラに出向いてるわけだが、あいつらが持ち帰ってくる話を聞いて、あいつらにお前らの話をする。せめてそれまで待ってくれねえかな」
言うだけ言って言いっ放しはどうかと思うが、ベルエフの立場で言えるのはここまでだ。
ノロノロと立ち上がったサラバイは、周囲に倒れていた仲間たちが全員治療のため運ばれていったのを確認し、まだ少し虚ろな眼を、正面に戻して口を開いた。
「一つだけ尋ねてもいいか?」
「ああ」
「ベルエフ・ダマシニコフ、あなたはなぜそこまで悪魔に詳しい? 明らかに業務上知りうる情報の範囲を超えている。そしてそれ以上にその確信めいた口ぶりはどこから来るのだ?」
伝わるかはわからないが、腹を割って話していることを示す姿勢として、ベルエフは床に腰を下ろし、青い血溜まりの中に胡座を掻いて座った。
「簡単な話だ。そいつをやり遂げた連中を知ってるからだよ。いや、信じてるって表現が正確かな……。
なあ、サラバイ。精神の死、肉体の死って話を、さっきしただろう?
俺にとっちゃ、そいつらはまだ死んでねえんだよ。
遺志や記憶がどうのって話じゃねえぞ。遺体は確認したし、焼けるところも見た。
遺書もあったが、内容はさっきから俺が喋ってる、悪魔関連の情報と……あとはガキどもを頼むっていう、当たり前の文言だけだ。
あいつらは確実に死んだ。だがまだ俺たちがこの世に居ながらにして、あいつらに接触する方法は実際に残ってるんだ。
狂っちまったと思われても構わねえ。むしろ狂ったとでも思われた方が好都合だ。つーか、もうすでに逢ってるかもしれねえ」
そうして青い血を掌で掬い上げ、天に掲げる仕草の後、一気に飲み干す。
「げえ、まっず」
「なぜ飲んだのだ……」
「いや、いちおう献杯のつもりでな……しかしもしあるとしたら、しっかり者のオノリーヌじゃなく、まだまだ危なっかしいデュロンの方だろう……賢いお姉ちゃんばかり構って、バカな弟の方はあんまり見てやれなかったって、二人して後悔してたからな……」
「それは、もしかして……」
「ああ。お前、あのちびっ子姉弟と会っても、このことは内緒にしといてくれよ?」
「ちびっ子って……ハザーク姉弟の話だろう? 今は18歳と16歳だと聞いたが」
「俺は本物の親じゃねえけどよ。親にとっちゃガキはいつまで経っても、頼りねえちびっ子のままなんだよ」
あの二人が呑めるようになるのを待つというのも、もちろん夢のある話だが……たまにベルエフは、それ以上の望むべくもない夢を見てしまう。
もう一度彼らと酌み交わせるのなら、たとえグラスの中身が泥水だろうが、悪魔の生成した青い血だろうが、そもそもグラスさえなかろうが、たった一人で嗜むどんな高級な酒よりも、遥かに美味に違いない。
そしてそれは、絶対にもう二度と叶わないのだ。
その事実を噛み締め飲み込むべく、ベルエフは震える喉を自制した。
「首尾はどうだ、兄貴?」
ところ変わって、リッジハング総合商社。
弟のスリンジに問われたトレンチは、サラバイにくっつけていた使い魔との
「ダメだ。あのクソ集団自殺サークル、嗾けるのが簡単だっただけに、やられるのもあっさりなら、絆されるのも簡単ときやがる。
つーかマジで強硬突破は無理だとわかった、こりゃもう、アクエリカとメリクリーゼがいるとかいないとかの問題じゃねぇわ。
仮に今の仕上がりで、うちの全部隊を一斉突撃させたとしても、ベルエフ一人殺しきれるかすら微妙なところだ。
戦法どうこう以前の問題として、もう少し搦め手に訴えた方が良さそうだぜ」
そうしていつもやっているように、盗聴先で行われていたやり取りを掻い摘んで説明すると、スリンジは複雑な感情をそのまま口に出してきた。
「へえ、意外だな。ベルエフも結構繊細なところがあるんだ」
「まぁな。かと言ってこの隙を突きようがねぇってのはわかるだろ?」
それきり黙りこくったトレンチは、葉巻を燻らせながら思考に耽った。
もしトレンチが何者かに殺されれば、スリンジはきっと我を忘れて怒り狂ってくれるだろう。
そしてもしスリンジが殺されたら、トレンチは自分が表情を失った殺戮人形と化し、世界のすべてに八つ当たりで破壊をもたらすべく、死ぬまで無意味に暴れ続けると予想している。
ハザーク姉弟やリャルリャドネ兄妹もそうだろうが、親がおらず幼い頃から支え合って生きていた兄弟姉妹は、互いを己の半身のように感じるものだ。
骨肉を無理矢理剥がされる痛みに対して、「許す」などという選択肢が存在し得ないことは、どんな温室育ちの坊ちゃん嬢ちゃんでもわかるはず。
だからこそ、教会上層部は軍門に下り雌伏するベルエフの判断と態度を、どんなにか不気味に思っているだろう。
まさに人面獣心、面従腹背などと言うまでもなく、恨み骨髄なのは明らかなのに、いつまで頭を垂れ続けるつもりなのか……。
それはもちろん、守るべきものを失った男が、新たに託された守るべきもののためなのだが、鎖をかけている方は気が気でないに違いない。
なにせ……ベルエフ・ダマシニコフとガレナオ・ハザークは親友だった。
そしてそれ以上に、シェミーズ・ハザークの旧姓はダマシニコフ。
ハザーク姉弟の母とベルエフは、二卵性異性双生児の兄弟姉妹だったのだから。
ハザーク夫妻の馴れ初めも、ベルエフがシェミーズをガレナオに紹介するという経緯だったという。
今ベルエフが普段あの陽気な仮面の下に、いったいどれほどの憤怒を飼い殺しているのか、トレンチにもまったく推し量ることはできていない。
教会上層部や教皇庁、〈四騎士〉に対してもそうだが……奴の奴自身に対する憤懣もだ。
そういう意味でトレンチにとって、ベルエフは実力以上に、心性がまったく底知れない、いつまでも興味の尽きない男なのである。
……思考が脇道に逸れた。かと言って、だからその隙を突けないというわけではない。単に効果的な方法を思いつかないだけだ、他意はない。しかし……。
ジュナスやヴィクターの一派が教皇選挙に勝ち馬を担ぎ上げ、ジュナス教会の人間時代から続く旧い支配体制を破壊して、新たな世界の覇者となるという筋書きが、トレンチにとって悪くないというのは、ハロウィンの夜に考えたばかりだ。
一方で、ベルエフたちここミレインの〈銀のベナンダンテ〉が最終的な勝利を得て、その過程で既存の教会組織を粉砕してくれるというのも、それなりの痛快さが見込めなくはない。
正直なところ、トレンチは奴らのことが嫌いではない。ベルエフはもちろん、あの生意気なデュロン・ハザークでさえ。
なので柄にもなく感傷に浸りつつも、片手で顔を覆うトレンチは、口元が笑いを浮かべるのを自覚していた。
「誰が勝つんだろうな……俺たちはどこに賭けておけばいいのか……ここが博才の見せどころだぜ、兄弟」
ひとまずは今ゾーラで行われている、枢機卿会議の結果を待つとしよう。
そしてあいつらがミレインに帰ってきたら、また遊び相手になってもらうのだ。
そのことがトレンチは、今から楽しみで仕方がなかった。
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