第383話 いまいち思っていた正統派の神話感が出ない

「ったく……なんで俺がこんな役割を……」


 かなり離れたまだ健在の木立ちの中で、スリンジ・リッジハングは撃ったばかりの拳銃から出る硝煙よりも不味くなった葉巻を、それでも無造作に吐き捨てたりはしなかった。

 いちおう半分流れている長森精エルフの血がそうさせるのか、森に優しいその行動を彼は自嘲する。


 ホーディング邸からガメてきた呪いの銃は、それ自体に残留思念じみたものが宿っているため、誰が撃っても魔弾の七発目を有効化できるというのは、すでに債務者どもで試したのでわかっている。

 しかし実際に重要局面で運用するとなると、その辺のチンピラに使わせていい代物でないことも、同時に理解せざるを得なかった。

 だから散々渋った挙げ句、結局はトレンチ自らがジュナスの呼び出しに応じざるを得なかったのだ。


 本来ジュナスがどういう想定だったのか知らないが、実際に今、ジュナスとドラゴスラヴを中心とする半径約五百メートルの範囲内から、二人を除く一切の生命体……すなわちピリオドの憑依対象が排除されていた。

 ピリオドが好き好んでドラゴスラヴを依代に選んだにせよそうでないにせよ、憑依するならドラゴスラヴ以外の選択肢はなかったのだ。


 加えてその範囲の森が禿げ、何者も身を隠すことができなくなったことで、ピリオドの想定から第三者による援護射撃という可能性がほぼ消えたはず。

 まさか約七百メートル先の、遮蔽物となる枝葉がウジャウジャ茂った地点から、有効射程を一桁逸脱しているはずの、が可能だとは思わなかったろう。


 自分で考えていてややこしくなるのを防ぐため、スリンジは自分の傍らにリチャールの亡霊を仮想してみる。

 もし奴が生きてこの場にいるとして、ドラゴスラヴに銀の銃弾などブチ込んでしまったら、奴はホストハイド家による報復で家ごと潰されただろう(実際には奴の死後、スリンジたちがそうしたわけだが)。


 当たると都合が悪い。だから絶対に当たる、という寸法だ。

 撃った弾が木々の間をすり抜け、ぐんぐん曲がってどんどん飛距離を伸ばしていく様は、見ていたちょっと小気味良くはあった。


 一方で、もしリチャールが生きてこの場にいたとして、スリンジと同じように救世主ジュナスの正体と目的を知ったとしたら、絶対に今この場で奴を撃ち殺さなければまずいと理解するだろう。

 魔弾の七発目は必ず射手の狙いを裏切る。だからジュナスには絶対に当たらないのだ。


 正直ここまで限定的な状況下だと、最悪スリンジ自身に当たってくる危険性が少し頭に過ったのだが、幸いにもそうはならなかった。


 同時にスリンジは思い直す。すぐにジュナスが表舞台に立つ時代がやってくる。

 今のうちにこうして奴に恩を売っておくというのも、悪くはないのかもしれないと。

 なぜならそのときジュナス教会は、スリンジにとっても憎からぬものに変容していると思われるからだ。




「おーい坊ちゃん、平気か?」


 ジュナスが先ほどと同じ台詞をもう一度繰り返すと、どうやらドラゴスラヴは既視感に襲われて混乱したようだ。

 悪魔憑依で見た精神世界が朦朧状態による幻覚だったか、それとも時間でも巻き戻されたのか、といったところだろう。


 やがて白黒していた眼の焦点が合ったお坊ちゃんは、今度は先ほどと違って体が動くゆえ、自力で立ち上がった。

 そして理解が及んだようで、そのまま頭を抱える。


「やべぇ……もしかして俺、なにもできなかったどころか、あんたの邪魔にしかならなかったんじゃねぇか……?」

「それは言い過ぎだろ。お前がいたから、ピリオドを一本釣りできた。役目が餌ってのは釈然としねぇだろうが、悪魔が跳びつくでけぇ海老っつーのかな……依代として上質だってのは、鍛え方が足りてる証拠でもある。普通に誇っていいと思うがな」


 実際この手順を思いついたのは、ドラゴスラヴが同道を申し出てきたときだった。

 ジュナス単独でもガンガノムとジブリアルを退けることはできただろうが、その後に関してはちょっと微妙だったのだ。


 おそらくジュナスがスリンジに「抵抗するな」と指示した上で、ピリオドがスリンジに憑依して主導権を奪う→スリンジが持っている例の銃をジュナスに向けて撃つ→魔弾が翻ってスリンジの眉間をブチ抜いてピリオドくんバイバイ、となるはずではあるものの、確度がやや低い上に、その後ジュナスがスリンジを治すために木立ちの中を探して走り回ることになるのでめんどくさい。

 その場合、そのときの気分と調子によってはそのまま放っておいて帰ってしまうかもしれない。なのでスリンジはドラゴスラヴに感謝すべきだとジュナスは思う。以上、脳内反省会終わり。


 一方その頃、ドラゴスラヴはどこか呆れた様子でジュナスを見返してくる。


「あんたが言うと皮肉にしか聞こえねぇよ……さすがは救世主、伝承通りの強さだ。俺たち魔族の千年帝国は、どうやら安泰らしいな」

「だが、その俺の作る未来……ジュナス教会が至る次の段階がもたらす支配体制が、お前は気に入らねぇわけだろう?」


 結構不意打ちのつもりで投げかけてみたのだが、毅然と言葉を返すドラゴスラヴの様子に、ジュナスはいささか感心した。


「そうだ。だから来たる新世界の秩序とやらに対抗するために、旧世界となる現行魔族社会の根底規範を、少しでも変えようとしてる。血だ家だと下らねぇ枠組みに拘ってちゃ、あっという間に呑み込まれちまう。そうだろ?」


 答えも聞かず、ドラゴスラヴは肉体活性や固有魔術の調査を確かめながら、一方的に言い募った。


「あと一年で、なにができるかわからねぇが、俺はまだ絶望も失望もしちゃいねぇぞ。

 みんなで戦わなきゃ敵わねぇ俺たちは、逆に言うと、みんなで戦えばいいんだ。

 俺は今回、ガンガノムとジブリアルだけじゃなく、あんたにも敗けたつもりでいるから、当然リベンジを誓うけどよ。

 あんたを倒そうと考えるのは、俺だけじゃねぇってことも頭に入れときな。

 足を掬われちまうのは、ひょっとするとあんたの方かもしれないぜ?」


 そうして背中を向け、立ち去りながら捨て台詞を吐いていく。


「じゃあな、救世主。できれば二度と会いたかねぇが……次に会ったら、そのときはなんとかしてあんたを止めてやる」


 ジュナスはその後ろ姿をぼんやりと見送っていたが、やがて糸が切れたようにバタリと仰向けに倒れた。

 別にお坊ちゃんに反抗されたことがショックだったわけでも、緊張や体力が限界だったわけでもない。

 強いて言うなら立っているのがめんどくさくなったのと、そして……後片付けは、この姿勢の方がやりやすいからだ。


 現状森の損傷は、直径一キロ程度の範囲内で済んでいるが……ジュナスの隕石群やジブリアルの下降気流はただ吹っ飛ばしただけなのでまだいいとしても、ガンガノムの毒はむしろここからが本番だ。

 大地を穢した瘴気は、時間をかけて木々を侵蝕し、やがては森のすべてを滅ぼしてしまうだろう。


 ジュナスは自然を愛するお人好しというわけではないが、喧嘩の置き土産が景観破壊では、どうにも後味が悪すぎる。

 客観的にはこんなことに力を使う意味はないのだろうが、そこは神の気まぐれということで押し通すことにする。


 ジュナスの五体から溢れる浄化の魔力が、大地を、木々を癒していく。

 枯れ果て腐りかけていた土壌は生命力を取り戻し、見る間に生えた青草が背を伸ばし、月の光を浴びて小さな花々を咲かせた。


 朽ちていた木々も瑞々しさを取り戻し、季節外れの若葉が芽吹いて、秋の夜長を謳歌する。

 森の蘇生を祝福するように吹く夜風が梢を揺らし、鈴のように鳴らした。


 寝転ぶジュナスの上や近くに、猫、梟、モモンガ、蝙蝠、アルマジロなどが集まって、なにをするでもなくたむろしてくる。

 いまいち思っていた正統派の神話感が出ない面子だが、時間帯が時間帯なので仕方ない。

 しかし魔族が使い魔に選ぶような連中なのだ、この世界における祝福には相応しいだろうと、ジュナスは顔にじゃれつく猫を撫でた。


「もったいねぇなぁ……こういうところを見せてやったら、ドラゴスラヴも靡くかもしれねぇのに」


 無粋なことを言いながら近づいてくるトレンチに、ジュナスは顔も向けずに返答する。


「バカ野郎。いいことってのは、隠れてやるからいいことなんだ。それが陰徳ってもんだろうが、お前にゃ縁のない話かもしれねぇけどな」


 皮肉の一つも垂れてくるかと思いきや、相手は存外殊勝にこう言った。


「いや……まぁ、その通りだ。あんたのことを誤解してたかもしれねぇ。あんた、たぶん自分で思ってるより、神って肩書きが似合ってるぜ」


 ゆっくりと体を起こしたジュナスは、拾いものの白髪ウィッグが猫に取られて外れるのにも構わず、相手の顔をジロジロと眺め、出し抜けに口を開いた。


「おい、トレンチ……お前、正式に俺の奴隷にならねぇか?」

「は?」

「は? じゃねぇよ。今、お前がしたのは信仰告白だ。自分じゃ気づいてねぇだけで、君はもう俺にゾッコンなのよ。さぁ、いくら寄進する? 毎日俺様のためにタダ働きすることを許すぜ! あっ、もちろん見返りもあるから安心しろよ。トレンチくんに第六使徒の座を与えよう! いいだろ、第六席だぜ?」

「……」

「オイ!? なんで無言で葉巻投げつけてくるんだよ!? 火傷したらどうす……あっ!? お前、これ結構高ぇヤツなんじゃねぇの!? 高ぇってことは美味ぇってことだろ!? 先っぽだけ切って……いや、もったいねぇ! 浄化魔術でてめぇのきったねぇ唾液を除去! これでよし!」

「……」

「ん? トレンチくん、どうし……なんで泣いてんの!?」

「うぅ、くっ……こ、こんな小汚くてドケチなおっさんが教祖だなんて、ジュナス教会に所属してる連中がよ、もう不憫で不憫で……あ、あいつら、自分らの崇める救世主のことを、高潔で飄逸な聖人だと思ってるわけだろ。ところがどっこい、実態はコレだよ……クソッ、こんなに可哀想な話があるか……!?」

「トレンチ、お前さっき自分が言ったこと忘れてねぇか!? 俺、めちゃくちゃ夜の帝王じゃん!? 魔族たちにとっての神に相応しい男じゃん!? そのあたりをもっと汲んでもらいたいっていうか!」

「うるっせぇ、その浅ましい品性が気に入らねぇ! やっぱてめぇここでくたばれや!」

「いででで!? 顔面蹴るのは良くないんじゃねぇかな!? それともその靴もくれるってことでいいのか!?」


 なにか最後はちょっとアレだが、ひとまずミレイン近辺の平和は守られたっぽい。

 でもやっぱりこの地域は若干信仰心が低いようなので、一回ゾーラに帰ろうかなとジュナスは思った。

 とりあえずトレンチくんは神への連続キックをやめてください、マジで痛いから。

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