器の真贋を問うべきか

第384話 蛇の舌は必ず二股

 深夜の聖ドナティアロ教会、第三礼拝堂にて。床下のスペースに仕舞われていたウーバくんは、破壊からは免れたが、結局彼は望まれていた機能を果たせなかった。


 石化を解除する方法はいくらもあるものの、そうしたところで彼が失敗作に終わったという事実が変わるわけではない。

 デュロンたちに指を集めてもらったり、他にも様々な手間をかけたのだが、結局すべてが徒労だったことになる。


 勢いしょんぼりするヴェロニカの肩を抱き、アクエリカが耳元に唇を寄せてくる。

 空虚な慰めでも口にするのかと思いきや、そうではなかった。


「あのね、ヴェロニカ……」




 ソネシエとリュージュが寝てしまい、イリャヒがキッチンの片付けに行ったので、いつものテーブルに就いているのは、デュロンと隣のヒメキア、向かいのオノリーヌだけになった。

 デュロンがファシムと戦っている間に、寮で起きたことの総括を姉から聞いたデュロンは、顔をしかめた。


「じゃあ、なにか? 姉貴はその胡散くせーおっさんが、本物の受肉した救世主ジュナスだって信じてるのか?」

「わたしだけではない、ヒメキアやパルテノイだってそうなのだよ。ね、おちびさん?」

「そうなの! あのおじさんは中身がおじさんでみっちりだから、他の悪魔とかが入る隙間が、全然ないんだよ! へんなおじさんだったから、きっと本物の神様だと、あたし思うんだー」

「それは純粋に単なる変なおじさんなんじゃなくてか……?」

「まったく疑り深いものだね、弟よ。君をそんな子に育てた覚えはないのだけれど」

「そうだよ! あたしもデュロンを育てた覚えはないよ!」

「俺もヒメキアに育てられた記憶はねーな」


 ぺちぺち叩いてくるひよこハンドを適当にあしらっていると、オノリーヌは少し真剣な顔で声を低めてくる。


「逆にわたしは、デュロン、君がその狼の悪魔とやらが言ったことを、そのまま信じているのが不思議であるからして。連中の甘言に耳を傾けるなど、堕落の兆候と思われても仕方ないと心得たまえよ。今回はたくさんの者が悪魔に憑依されたわけだから、流れ作業で検査が行われるわけだけど、その中で君だけが厳重な審問や監察を受けるとか、そういうことのないようにしてほしいものだね」


 心配して言ってくれていることはわかっているので、デュロンは素直に受け止めた。


「わかった、気を付けるよ。でも結構当たってはいると思うぜ。姉貴やヒメキア、パルテノイの感覚が正しいなら、その本物のジュナスのことを、アクエリ姐さんが知らないとは思えねー。つまりあの人はウーバくんが神の器として覚醒することを、端から期待も想定もしてなかったことになる。半年前にレミレがサイラスにしたのと同じで、あの人もファシムを危険視してたから追ん出したってことじゃねーの?」


 姉は椅子に深く掛け直した。青い有翼の蛇はこの寮の中にもにょろにょろいるため、間違いなくアクエリカ本体にも聞こえているのだが、それを百も承知で、というかあまり気にしない様子で、姉は言及する。


「いや、それはどうだろうね? アクエリカは、ファシムのことを相当高く評価している。だからこそ、教会やミレインのスタッフではなく、在野に下らせてまで自分の手駒にしたかったのではないかね? かなり強引で勝手なやり方ではあるものの、一方で神が聖堂の中にはいないということも、どうやらかなり確からしい。ウォルコもそうだけど、ファシムも今頃、活き活きしているのかもしれないよ」

「おい、姉貴……」

「あっ! ごめんねひよこちゃん、デリカシーのない発言だったからして」

「わー! あたしひよこじゃないって言ってるのに!」


 しょぼんとしてしまったヒメキアの頭を、ひとしきり撫で回して元気にした後、話を続けるオノリーヌ。


「それに、アクエリカの狙いがファシムに儀式を失敗させ、異端として教会から弾くことそのものだったと考えるのは、いささか早計だと言わざるを得ないね。救世主ジュナスが受肉して地上を歩いていることを、仮にアクエリカが知っていたとして、ウーバくんを神の依代として設計させることとは、必ずしも矛盾しない」

「つまりどういうことだ?」

「たとえば反証実験だとでも思いたまえ。アクエリカは自分の知っているもじゃもじゃおじさんが本物の救世主ジュナスだと完全に同定するため、ウーバくんに神が宿確かめたかったのだと。しっかりと条件を整えた上で、失敗してなにも来なかったり、全然関係ない変なのが憑依するなら一安心。逆にウーバくんを用いた降霊術が成功したらそちらが本物で、自称ジュナスおじさんは騙り者として手配書でも回せば済む話だ。どちらに転んでも、アクエリカは信仰を深めることができる……でしょう、猊下?」


 オノリーヌは自分の腕にくっついているアクエリカの使い魔に話しかけるが、同期リンクを切っているのか、単に無視しているのか、青蛇はうんともすんとも言わない。

 格別答え合わせの必要性は感じていないようで、姉は気にした様子もなく……ただし別の懸念に眉をひそめた。


「ただ……もしそうならやはり、ウーバくんは求められた存在意義を終えていることになってしまうね。アクエリカが敬虔なジュナス教原理主義であることは、すでに知れ渡っている通りだ。彼女が『偽の器』の存在を、いつまでも許容するとは思えない。なまじ近似値的に強靭な成功作だからこそ、悪用されるとヤバいというのもあるだろう」


 ヒメキアがデュロンの袖を引き、顔を見上げて尋ねてくる。


「ウーバくん、殺されちゃうのかな? せっかくヴェロニカさんが作って、この世界に生まれてきたのに……」


 深い慈悲を湛えた不死鳥の瞳に、狼はなにも答えることはできなかった。




「……と、いうことなの」


 アクエリカから今回の件の意図を説明されたヴェロニカは、胸一杯に安堵が広がり、思わず破顔するばかりか、上司の背中をバシバシ叩いてしまった。


「なあんだ、びっくりしたなあ! もう、猊下も性格ひとが悪いんだから!」

「あいた! ちょっとヴェロちゃん、こう見えてわたくし結構疲れてるのよ? もっと労わって、優しくして!」


 そうしてさめざめと涙を流し始めた。もちろん嘘泣きである、演技の精度が凄まじい。


「ファシムには悪いことをしてしまったと思っているわ。彼だってまだこの組織の中で、やるべきことが残っていたかもしれないのに」


 白々しいにも程がある、とヴェロニカは苦笑するしかない。まだ半年程度の付き合いでしかないが、アクエリカが他者ひとの都合をなんとも思っていないことは、よくわかっている。どこまで行っても彼女の中では、彼女の信仰こそが最優先なのだ。


 どうやらアクエリカの中にある、そういう感情表現のノルマだかルーティンだかが済んだようで、本当に見た目だけは美しい顔で笑みを作りながら、噛んで含めるように言い聞かせてくる。


「じゃあそういうわけだから、申し訳ないのだけど、ウーバくんをしておいてもらえるかしら?」

「了解さ、猊下。仕方ないや。有意義な犠牲となった彼のことを、ボクだけは覚えておくことにするよ」


 アクエリカの妖艶な流し目に、じっと一瞥されただけで、ヴェロニカは心の奥底まで見通されるような心地がした。

 やがて〈青の聖女〉は得心した様子で、礼拝堂から退出する。


 一人残されたヴェロニカは、棺桶のようなスペースに収納され、眼を開けたまま石化して動かないウーバくんを見下ろして、感慨を独り言ちる。


「適切に処理、ね……」


 この半年の付き合いで、アクエリカの方もわかっているはずだ。

 ただの生体実験対象だろうと、自分が捏ね回した存在に対し、ヴェロニカがどれほどの愛着を抱くのかを。


 パルテノイと同じでウーバくんのことも、できれば手放したくはない。

 しかし、それが叶わないのなら……。


「こうするまでだぜ♫」


 にわかに口角を上げた彼女は、自らが一から組み上げた模造人間ウーバくんに向かって、掌から固有魔術を放った。

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