第381話 これが神の連続パンチだ!

 シムーンと呼ばれる現象がある。中近東の砂漠地帯で発生する、熱風を伴う砂嵐のことだ。


 あまりの乾燥と高温で閉じ込めた生き物を、窒息と熱射病で苦しめ殺すため、「毒の風」を意味するその名で呼ばれる。

 その砂嵐は轟音とともに暴れ回る一方、作り上げる死体はまるで眠っているように穏やかな様相を見せるという。


 しかし今ドラゴスラヴが直面しているのは、それとは異なる文字通りの「毒の風」であった。


 竜の攻撃手段において、やはりもっとも脅威となるのは、その巨大なあぎとが吐き出す、膨大な出力を誇る息吹ブレスである。

 撃たれる前の先手必勝を目して、ジュナスとともに空中へ躍り出て、攻勢へ持ち込もうとしたのは、普通なら正着だったはず。


 だが二頭の竜は殊更に判断が早かった。それどころか初手から、息吹ブレスによる連携攻撃を仕掛けてきたのだ。

 こいつらには高等種族特有のプライドというやつがないのか……それとも相手がジュナスなので、全力以外の選択肢がなかったのだろうか。


 ともかくガンガノムの腐敗息吹スポイルブレスと、ジブリアルの暴風息吹スコールブレスが一緒くたに混ざり合い、上方から落下してくるのを、ドラゴスラヴは空中でまともに受け止める羽目になった。


「ぐぉっ……!」


 固有魔術〈過剰装甲オーバーアーマー〉を全開発動、己一個の身を守るためだけに、爆裂魔力のシールドを傘のように展開して掲げる。

 並の……いや、上位の吸血鬼ヴァンプ長森精エルフ人魚マーメイドの魔術であっても余裕で弾き散らすはずの反応防壁が、単純な出力差で圧倒されつつある。


 翼を広げて飛んでいる最中であったのが、逆に幸いしたかもしれない。

 普通に地上に立っているところへ食らっていたら、なにもできずに地面とサンドイッチされて終わっていた可能性が高い。


「ぐぎぎぎががああぁぁ……っ!!」


 なんとか耐えて滞空し続けるドラゴスラヴを、横から冷血な声がつついてくる。


「おめぇの弱点、それなんだよなぁ……平たく言うとなんだよ、お坊ちゃん」


 震える首を振り向けると、ジュナスはなにもない空中に肘をついて寝そべり、ドラゴスラヴを静観している。


「ここ、こんなときになに言ってやがる!?」

「そうやって必死こいて墜落しねぇように耐えてる時点で、自分でわかってんだろ。言っとくけど、今みてぇに普通の地面のときはまだマシなんだぞ。着地と同時に衝撃散らして、ギリギリ横へ逃れることはできなくはねぇんだから。

 ほんとにやべぇのは……あ、これ教えちゃうのは良くねぇな、自分で気付かねぇと。特に今後、格下相手のときは気をつけろよ。冗談抜きで足掬われちまうかもしれんぜ」

「貴重な助言ありがとよ! つ……つーかあんたそれどうやってんだ!?」

「見ての通りだろ。ジブリアルと同等の風量で拮抗して、ガンガノムの毒を上回る生体活性で抵抗し続けてるだけだ。その間は動かす必要のある部位がねぇから、体は丸ごと休めてるんだよ。そして君への指導に口だけ使っているのさドラゴスラヴくん」

「そこまで余裕あんなら、この事態の打開を図ってくれよ!?」

「よし任せろ。ただしシバくのは一体ずつだから、おめぇはそのままでもう少し耐えてろや」

「鬼かよ!?」

「神だ」

「その返し強すぎるだろ!?」

「まっ、なるようになるってことでよろしく」


 そして実際、ジュナスは有言実行だった。彼が行動開始した途端、二頭の竜のうち一頭、〈腐毒竜〉ガンガノムの意識と攻撃が、完全にドラゴスラヴから離れたのだ。

 これによりドラゴスラヴを襲うのは、鎧袖一触の「毒の風」から、〈天罰竜〉ジブリアルが単体で放つ暴風に変わったのだが……当たり前だが竜の息吹だ、単体でも十二分にキツい。


 走馬灯が始まっているのか、余計な思考が加速して、なるほど、とドラゴスラヴは納得していた。

 この爆発的な下降気流が完全な不意打ちの形で、認識不可能な上空から降ってきたら、どんな魔族だろうと普通はぺっしゃんこになって即死だろう。

 問題は本当にこれを〈ロウル・ロウン〉中のデスペナルティ〈天罰〉として、周囲のプレイヤーを巻き込まずピンポイントで撃ち下ろすという運用ができるのだろうか……という、この場における彼の最後の思考は、ある意味では彼らしい余計なお世話であった。


 次の瞬間、ついに耐えかね、彼の五体は地に叩きつけられて、意識が喪失した。



 救世主ジュナスは空中を高速旋回し、〈腐毒竜〉ガンガノムを急襲する。


 彼が原初にして最強の祓魔官エクソシストと呼ばれていたのは、彼がなにか特別な力を持っているからではない。

 彼にできることは、ただ他の人間や魔族にもできたことを、圧倒的な練度で突き詰めたものに過ぎないのだ。


 体術もそうだが、特に魔術の面で。

 全属性を扱えるというのは、なにもただ別個に放出するだけには留まらない。


 重力系で一時的に体を軽くし、普段使いの風嵐系に雷霆系や炎熱系、爆裂系を併用し、収斂することで暴力的な推進力を得る。

 その気勢を殺さず肉体活性を極限まで高め、鍛え上げた膂力を解放すると同時に、重力系で今度は擬似質量を底上げする。


 これだけなのだが、実際やると結構難しい。そして悲しいことに、こうして基礎を繰り返すだけでは、ジュナスであっても体格に数十倍の差がある、魔物の王たる竜に打ち勝つことはできない。

 鱗による防御力やら、翼による機動力やら、すべての少年少女が憧れるクソカッコイイ造形やら、連中の長所を挙げていてはキリがない。


 他はともかく最後に関しては、今回は特に諦めなくてはならないようだ。

 迎え撃たれる腐敗息吹スポイルブレスを吸い込んで、ジュナスは思い切り嘆息した。


[なんだ……!? 貴公、なにをしている……!?]


 どうやらドラゴスラヴだけでなくガンガノムまで質問期に入ったようなので、神父としても一流であるジュナスは、仕方なく教鞭を取る。まったく、なんでもできてしまうというのも、罪なものである。


「なにって、お前が栄養くれっから、パクパク食ってるだけじゃねぇか」


 ジュナスとて昨今の魔族たちにおける、トレンドくらいは把握している。

 パッと見スリムなのに脱いだら凄い、がモテる秘訣だというのに、今の彼は筋肥大によって肉体が数倍に膨れ上がっている。


 ただでさえ元から結構ムキムキな方なのに、逐一圧縮していってなおこれというのはかなりやりすぎである。

 ローブとかで誤魔化せる体型の範疇をだいぶ超えている、女子にドン引きされること請け合いである。


 錬成系の魔術を効率よく使うと、受けた毒物を良質なタンパク質として処理できる。

 毒と薬は表裏一体というのはよく聞く話で、今ガンガノムがジュナスに盛り盛りに施しているのも、無法なドーピングに過ぎないのだ。


 このスーパーマッシブボディで飛び回り殴りまくると、ガンガノムの巨体にも多少効く。

 毒が相手の強化にしかならないと悟ったガンガノムは、慣れない近接戦闘に切り替えるが、ジュナスとしては格好の餌食である。


 たとえば息吹を「無害な悪臭」に変えるなど、善後策はまだあったろうに、自ら不利な闘技場へ飛び込んできてくれたドラゴンくんは、余計に体力を削る羽目になっている。

 だが一方でドラゴンくんをブン殴りまくるという重労働も、ジュナスに法外な消耗を強いるため、せっかく毒を食って蓄えまくった筋肉が、どんどん萎んでいってしまう。


 ジュナスが元のナイスガイボディに戻っていくのをいいことに、なんとか連打を耐え切ったガンガノムは、破城槌のような尾を振り払って距離を取り、息継ぎついでに負け惜しみを喋ってきた。


[さすがは救世主ジュナス……と言っておくべきなのだろうな。互いに決め手に欠けるというわけだ]

「ん……? なにを言ってやがる?」


 だからこそ二の矢が効くのだ。ジュナスは両手の指で円環をかたどり、顔の前に掲げる。


「さっきお坊ちゃんにした話を聞いてなかったのか? 便宜上『神の連続パンチ』と呼んじゃあいるが、パンチ技じゃあないんだぜ。今お前に打っていたのは、ディバインフィスト、単なる準備運動だ」


 通常の自然現象の中にも、強大な物理攻撃を発生させうるものがある。

 たとえばジブリアルの繰り出している下降気流が、もし本物の積乱雲から発生していたら、そいつはこんな天気を伴っていただろう。


 しかしこいつの本来の威力は、上空からの自由落下によるものだ。つまり重力が要る。

 だったら氷冷系で弾丸を形成し、重力系で対象に向かっての加速力を確保すればいい。


 ジュナスの手掌から次々に発射される横殴りの雹が、二頭の竜を叩きのめした。


 本当ならそれこそ鉄球でも撃ち出せればよかったのだが、空気やら魔力やらで基本なんとかなる氷冷系と異なり、錬成系で無から金属を生むというのは、ジュナスであってもかなり難しい。

 そこは空中なので仕方ない、それでもそこそこの威力は出た。


 なにより最初の一発で、ジブリアルの息吹を一瞬とはいえ寸断でき、ドラゴスラヴが地面に叩きつけられる勢いが、わずかに減殺されたのが良かった。

 お坊ちゃんはだいぶ地面に減り込んではいるが、森ということもあってか地面はそれほど硬くはなく、とりあえず生きてはいるだろう。


 横槍を入れられたことか、それとも自分と同じ高さを飛んでいることか、あるいはその両方に気分を害したようで、ジブリアルがジュナスを睨みつけてくる。

 隣に並ぶガンガノムも「準備運動」でそれなりに消耗してはいる様子だが、致命傷は遥か先という感じの健在ぶりだ。


[フフ……残念でしたなぁ、救世主ジュナス。もはやこの森一つ救うのは難しいご様子]

[やはり所詮は自称神か、火力不足が否めぬようだな。これでは普通の悪魔憑きの方が、いささかマシと言わざるを得ぬぞ?]

「おいおい、俺はまた同じことを言わにゃならんのか?」

[[……!?]]


 さすがに高い叡智を持つと言われる竜族だ。右手の人差し指を立てただけで、ジュナスの狙いを理解したらしい。


「今のがディバインラッシュですって、技名を叫んだ覚えはねぇんだが」


 咄嗟にジブリアルが息吹ブレスを放つが、ジュナスはその風に乗って踊り遊ぶ。


「あーダメダメ、もう照準と発射は済んでる。今から俺を殺したところで、お前らの頭上に降るもんは変わらんのよ」


 逃げたところで照準は外れないのだが、こいつらはそもそも決着がつくまで逃げやしないだろう。

 その点はある意味でジュナスは、ピリオドに対してよりも信頼を置いている。


「重力系が使える時点で、ができるって気づくべきだったな。普通の魔族の中にだって、似たのを固有魔術として持ってる奴ぁいるはずだ」


 最初の一発が凄まじい音を立てて、ジブリアルの脳天に叩き落とされた。


 大きさが拳大なのは、先ほどの雹と同じだ。

 ただし密度も質量も、加速距離も段違いである。

 そして当然だが、一発や二発で終わらせるわけがない。


 むしろ竜の防御力・耐久力・再生力を打ち破るには、何十発、何百発、何千発撃てばいいのか見当もつかない。

 だからそうする。神は相手が音を上げるまで殴るのをやめない。


 なんの因果なのか、ジュナスが引き寄せる隕石は、すべてが隕鉄百パーセント。

 ちょっと上空から吹かせたくらいで、なにが天罰か。本物はこうやるんだよ!


「ガハハ! 見たか、これが神の連続パンチだ! 別名メテオラッシュ! 存分に味わいやがれ!」


 もはや森の保全など眼中にない。

 神は気まぐれなのだ、巻き添えで死ぬなら死ねばいい!


「シュー! ト! ダ! ウゥゥゥン!! ギャーッハッハッハッハ! ヒィィィハァァァァ!!」

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