第377話 ひよこの気持ちは大鷲にはわからない
当然といえばそうで、やや複雑ではあるが、ウォルコとファシムは無事に逃げ果せたらしく、ミレインの夜には静寂が戻っていた。
ファシムが召喚してしまった蚤の悪魔ピリオドが相当暴れたと聞くが、それもとうに治まったようで、街には宵っ張りの市民たちが普通に歩いている。
しかし寮への道を辿るデュロンの足取りは、彼らとは対照的に重かった。
傍らを浮遊する青い有翼の蛇から、アクエリカの優しい声が響いてくる。
『デュロン、大丈夫? 誰か迎えに寄越しましょうか?』
「いや、いいよ……帰って少し休めば、なんとかなるから……」
この半年間、銀やら悪魔やらブレントやらで毒殺未遂を繰り返されたり、直近ではファシムによる毎日内臓爆破などがあって、デュロンは再生能力自体もかなり伸びてはいたのだが……今夜は悪魔憑きによる約五分間の全力戦闘と、その後も習得したばかりの〈
結果、最後に食らった〈
虚勢を張るべき相手が目の前にいないせいか、デュロンの体調はどんどん悪くなっていく。
それでもなんとか寮に辿り着き、荒い息を吐いた。
建物を外から伺うと、寮の正面ロビーを兼ねている談話室は真っ暗で、食堂の方は明かりが点いているので、そちらにみんな集まっているようだ。
姉貴はデュロンが流血沙汰に遭うのに慣れているのでまだいいとしても、ヒメキアにはできれば心配をかけたくない。
アクエリカは気を遣っているのか呆れているのか、もうなにも言わなかった。
デュロンは玄関扉をそっと開け、力なく談話室に入っていく。
意識が朦朧とし、普段なら闇の奥まで見通せる夜目も鈍り、ぼんやりと映る近くを手探りで進むしかない。
どうやら何人かが休んでいるようだが、デュロンは嗅覚も精度が落ちており、少年少女の体臭が入り混じって判別できず、さらに気分が悪くなる。
幸い入ってすぐのソファで、フィリアーノが寝ているのを見つけた。
彼の隣にスペースがあったため、なんとか引きずる体をそこへ押し込んで丸くなる。
とにかく腹が痛いが、再生能力は時間経過で戻ってくる。
誰かに気づいて起こされる前に、どこでなにをしていたか、作り話を考えておかないと、と思った矢先……。
「……デュロン?」
ふとかけられた声に眼を開けると、闇の中でも強く輝く大きな翡翠が、彼のことをじっと覗き込んでいた。
「だめだよ、デュロン……我慢するのは、悪い子だよ」
デュロンがなにか答える前に、ヒメキアは優しくそっと触れてきて、魔力を放出してくれる。
即座に内臓の損傷が癒え切り、痛みが消えるのを感じた。
ゆっくりと体を起こし、ソファから立ち上がったデュロンは、我ながらなにを思ったのか、ニコニコ笑うヒメキアを抱きしめていた。
ウォルコやファシム、ヴェロニカやウーバくんには悪いが、ヒメキアと離れ離れになる筋書きを、デュロンは二つ連続で回避したことになる。
彼女のぬくもりが今ここにあることを、改めて尊く感じた。
「デュロン……? どうしたの……? 怖い夢見ちゃったの……?」
耳元で囁くように問われ、慌てて彼女から離れるデュロン。
「わ、わりー、急に。ありがとうヒメキア、また治してくれて」
「いいんだよー。デュロン、お腹痛いのはもう平気だよね? イリャヒさんが、おやつを作ってくれたんだー。食堂に行って、あたしと一緒に食べようね」
「ヒメキア、もしかして俺を待っててくれたのか?」
「あたし、待ってたよ……!」
ヒメキアがひそひそ声で話すので、改めて周囲を探ると、回復した夜目と嗅覚が、方々のソファに横たわる面子の、一人一人を映し出す。
ここにいるのは、十六歳以下のおちびたちがほとんどで、友達作るの苦手族は、タチアナとエルネヴァ以外の全員が揃っていた。
ソネシエとフミネの間に不自然なスペースが空いているので、おそらくそこにヒメキアが座って、デュロンを待っていてくれたのだろう。
そして幸いにも、ボロボロになって帰ってきたアホはデュロン以外にはいないようで、みんなぐっすり眠っているだけなのがわかる。
ヒメキアに手を引かれ、デュロンは食堂へ移動した。
途中、足元にいくつかの気配が蠢くのを感じたが、ヒメキアの猫たちがついてきているのだった。
食堂の扉を開けると、やはり他のみんながたむろしている。
もう夜も深いということで酒が入っている向きも多く、入口近くでエルネヴァがギデオンを詰問しているところに出くわす。
「あなた、フミネにお酒飲ませましたわね!? あの子を潰してどうするつもりだったんですの!?」
「誤解だ、あいつは店内の酒気で酔っ払っただけだ。あいつが飲んでいたのは、発酵していないミルクリキュールだ」
「なぁんですのそれぇ!? やっぱり飲ませたんじゃありませんの!?」
よく見るとエルネヴァの顔もちょっと赤く、息から酒気を感じる。
デュロンの姿に気づくと、ギデオンは困った様子で話しかけてきた。
「おい、こいつをどうにかしてくれ。さっきからまったく冗談が通じないんだ」
「弁解の途中でふざけるお前も悪いけどよ、どうやらエルネヴァは……なんつーんだろ、真面目上戸とでも呼ぶべきか? 酔うと頭が硬くなるみてーだな」
責任を持って相手をさせることにして、食堂の中を少し進むと、デュロンは後ろから何者かに抱きつかれた。
振り向かずとも匂いでわかる、親愛なる姉、オノリーヌだ。
「ずいぶん遅かったではないかね。心配したのだよ」
「わりー、えーと……ちょっとした用があってな……つーか、おい、それまだ着替えてなかったのかよ!? 当学園がそのような露出度を許可しましたか!? 慎みなさい!」
「君は酔ってもいないのに頭が硬いのであるからして、完全に風化委員長になっていると理解したまえよ」
おんぶおばけに導かれて手近なテーブルへ進むと、そこはクズどもの巣窟である。
「おう、来たね大将。いったいどこでどうやってサボっていたのか、コツを教えてもらいたいものだね」
「デュロン、お前がそんな子だとは思わなかったぞ。完全に我々の側ではないか。これはもう働きたくない同盟の成員が、十分に集まったと考えて良さそうであるな」
「いいッスねー、オレも一口乗るッスよ」
「うちらなんか解決に乗り出すふりして勢いよく出てっただけだったんだけどさ!」「まさか街の中心で礼拝堂に潜ってサボるとは、灯台下暗しにも程があるよ!」
「ふふ、上級者……姿を消すのが、わたしより上手い、よ……」
サイラス、リュージュ、ホレッキ、ニゲルとヨケル、タチアナが一様にニヤニヤしながら言ってくる口ぶりからして、どうも事情は(おそらく一部の間でだろうが)明らかになっているようだ。
どこから漏れた、まずいんじゃないか、と思いかけたデュロンを、思い出した様子でヒメキアが叱ってくる。
「あっ、そうだ! デュロン、あたしに内緒で、パパと会ってたんでしょ? あたし、知ってるんだからね!」
「えっ、いや、それは……」
「それにファシム先生をボコボコにして、教会から追い出したって聞いたよ! ひどいよ、どうしてそんなことするの?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あの人は自分で辞めたっていうか、そうならざるを得なかったっていうか……」
考えるまでもなかった。デュロンがアクエリカの使い魔を睨むと、蛇はそっぽを向いて口笛を吹き始める。よりによってなぜそこだけ抜き出して話したのか。
ひとしきり詳細を説明すると、ヒメキアは納得してくれたようだったが、同時にしょんぼりうつむいてしまう。
「そっか……パパはまだあたしに会えないんだね。それで、先生もどこかへ行っちゃったんだ……二人とも、もっとあたしたちと、一緒にいてくれたらよかったのに……」
やはりヒメキアの心はそうなのだなと、どうすることができたわけでもないのだが、デュロンは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
どうもあの二人は……特にファシムは、それをわかっていなかったようだ。
経緯を無視した結果論として乱暴な言い方をしてしまうと、余計なことをしなければ、今ここにウォルコとファシムも、呑気に同席できたわけなのだから。
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