第371話 vs.ファシム・Lesson.5 憤怒と倨傲
悪魔に憑依されたデュロンは、失神しているわけではないが、遠い眼をして棒立ちで、己の内側に意識の大半を向けているのが、傍で見ているファシムにもわかった。
実際にやりはしないが、仮に今不意打ちを仕掛けたとしたら、いちおう反応はできるのだろうけれど。
デュロンの様子を確かめたウォルコは、ファシムに声をかけてくる。
「じゃ、次はお前だ。準備はいいかな?」
「うむ。しかしその前に、一つだけいいか?」
「なんだろう?」
「そいつはいったいなんの意味があるんだ?」
ファシムが指差したのは、ウォルコが持ってきていた荷物の中に紛れていた、生きている本物のウサギだった。
悪魔召喚の生贄にでも使うのかと思えばそうでもなく、ウォルコが水盆に落としたのは彼自身の血で、ウサギはそれを覗き込みながら鼻をヒクヒクしているだけだ。
魔力を放出しているような気もするが、なにかが起きている気配はない。
「ああ、これは悪魔たちの定着限界を伸ばすための小細工だよ。俺の血は魔力があんまり濃くなくて、生贄として適さないからな。ジュナス降霊の失敗もいちおう想定してたわけだけど、色々考えた挙げ句、このウサギ一羽を持ち込むのが一番嵩張らなかっただけさ。詳しくは全部終わってから説明するよ」
ファシムにもいちおう矜持らしきものはある、ファシム側が無条件で有利になるようなイカサマでないことは幸いだった。
普通にやったらファシムに勝てないのはデュロンの方であって、逆だと思われているのならさすがに困るからだ。
そう考える彼のしかめっ面をどう見たのか、ウォルコが軽口を叩いてくる。
「なんならお前の方は、素のままで戦ってくれてもいいけど」
「やめておこう。さすがにそこまで、こいつを舐めているわけではない」
デュロンを評してファシムがそう言うと、ウォルコは自嘲混じりに苦笑した。
「それは良かった。半年前こいつにボコボコにやられた俺の、リベンジは頼んだよ」
ファシムは頷き、瞑想に近い状態にあるデュロンの灰色の眼から、悪魔が侵入してくる己の内面へと、その視線を移した……。
……無事に悪魔の力を掌握したファシムは、むしろ申し訳なさすら感じていた。
ウォルコがファシムに憑けたのは、形象は孔雀、属性は焔、第三十七の悪魔アイオニヌス……〈ロウル・ロウン〉の優勝決定戦開始と同時に、リュージュ・ゼボヴィッチに憑いた奴だ。
リュージュはどうだったか知らないが、ファシムにとっては形象・属性ともにほぼ最適、膂力も魔力も大幅に伸びているのを自覚する。
精神世界の中でアイオニヌスにちょっとつつかれた点だが、悪魔の依代となることは、ファシムの信仰にさほど差し支えない。
失敗には終わったものの、ウーバーツヴィンガーのような専用の依代を拵えてお迎えするのならともかく、ファシムごときがたとえ一片でも、ジュナスの力をお借りするなど、考えただけでおこがましい。
いまだ未熟なこの身には、悪魔風情がよく馴染み、格下の相手でもするのがお似合いなのだ。
事実として、元々ファシムは膂力でデュロンより上、魔力に至ってはデュロンはゼロ。
ウォルコによると〈五十の悪魔〉は全員がほぼ同格だそうなので、憑依された際の能力値の上げ幅も、両者でそうそう変わらないと考えていいだろう。
ただでさえ歴然だった力の差が、さらに開いているのは間違いない。
それゆえ起こる憐憫の念……だったのだが。
自分と同じように精神世界から浮上してきたデュロンを見て、彼は即座に思い直す。
その身から溢れる漆黒のオーラは、単なる悪魔憑き時の共通項だ。
しかし問題は、デュロンの魔力が無から有に変わったことにあった。
これまでファシムが彼に対して絶対的優位を確保してきた大きな要因の一つが、魔力ゼロゆえ魔術抵抗力を持たない彼の肉体へ容易に通る、固有魔術〈
前回は全身に魔力無効化物質である銀を流し込むという荒業で凌がれ、一撃貰うという不覚を取ったが、悪魔を憑依させ魔術抵抗力を成立させるというのが、さらに条件の限定される別解だったようだ。
ならば普通に攻撃するまで。膂力も魔力も、悪魔による上乗せ分を勘案して、ファシムの方が上だという事実は揺るがない。ついでに言うなら、実戦経験含めた総合力という意味でもそうだ。
そもそもファシムの固有魔術〈
アイオニヌスの魔力を取り込んだことで、普段は(少なくとも魔族の再生力を基準にすれば)貧弱と言わざるを得ない破壊力は、爆発的な増大を遂げつつも、速度も連射性も、もちろん不可視性もまったく損なわれていない。
ファシムとデュロンの力関係は変わらないため、結局はこれまでの繰り返しに終始するはずだ。
開戦の号砲とばかりに、ファシムは強化された固有魔術、その第一撃を繰り出した。
デュロンの反応は……その場を動かない。
力量差を悟って諦めたか? それとも単に悪魔との主導権争いがゴタつき、まだ現実世界まで気が回っていないだけか?
だとしたら拍子抜けだなという彼の評価は、即座に覆された。
「ふん!」
デュロンが放った蹴りが衝撃波を発生させ、まだ二人の中間地点を飛んでいた不可視の魔力爆弾を、あっさりと相殺して吹き散らした。
「……!」
この世界の力学法則を変えてしまうほど、デュロンが超常的な強化を遂げたわけではない。
あの衝撃波は、単に彼に憑いた悪魔がそういう魔術を持っているというだけだろう。
おそらくデュロンの戦闘スタイルに合っているのだろうが、今問題なのはそこではない。ファシムは早くも認識の再修正を迫られていた。
魔力を持たざる者が持つ際に獲得するのは、体内への干渉を防ぐ魔術抵抗力だけではない。微弱な魔力の放射による、魔力感知力もそうなのだ。
普段のデュロンは嗅覚による感情感知で、魔術の発動前兆を間接的に読み取れるようだが、視覚では捉えられない〈
だが今は具体的に、ファシムがどれくらいの大きさの魔力の塊を、どこへ向かって撃ったかを、はっきりと読み取れるはずだ。
さらにもう一点。普段のデュロンは避けるか受けるかの二択しかなかったが、今は迎撃という三択目が出てきた。
この差も結構大きい。起爆条件どうこう以前に、魔力を魔力で押されて、流されないまでも一定以上に停滞させられてしまうためだ。
ものすごく雑な表現をするなら、今のデュロンはイリャヒを融合して、長所だけ抽出したような能力値を叩き出している。
これは心してかかった方がいい。
そのままデュロンが突っ込んできて、近接格闘に突入するのだが、デュロンは悪魔の魔力を調節できないのかする気がないのか、突きや蹴りを放つたびに、拳や足からいちいち衝撃波が発生している。
ファシムにしてみればそれごと受け捌く形となり、実質デュロンは素の身体能力の上に悪魔による身体強化、さらに悪魔の魔術による衝撃力が乗っているに等しい。
これを換算すると今、デュロンの打撃力はファシムのそれに、同値近くまで迫っている。
走ったり跳んだりする際にも足先から衝撃魔術が出ているので、起動力も同様だ。
似た戦闘スタイルをどこかで見たことがある気がしたのだが、思い出した、ドラゴスラヴ・ホストハイドだ。
一方で筋骨密度由来の耐久力や、生来の持久力は、元からデュロンの方が上と言える。
これは思ったよりまずいかもしれない。
魔術の威力は地力+悪魔なぶんファシムの方が上だが、当たらなければ意味もない。
優雅で一方的な射撃はもはや成立しない、シビアな間合いの奪い合いとなる。
「「フゥゥゥゥ……!」」
ファシムとデュロンが繰り出す不可視の爆撃魔術や衝撃魔術が、礼拝堂内の長椅子を次々に引き剥がし、粉微塵に砕いていく。
どんどん加速する互いの姿が、おそらくは互いにすらあまり捉えられない領域に突入していく。
「「ハアッ……!」」
突き一発で容易に分厚い壁を抜けるのだろうが、それをするのはよろしくない。
今、暴走する野良猫たちへの対応のため街へ出ていて、この部屋には誰もいないはずなのだ。
亡霊同士は慎ましく、互いを潰すためにのみその力を振るわなくてはならない。
「「ンンンン!!」」
拮抗する力が互いにもどかしい。ファシムに感情感知能力はないが、時折視界に入るデュロンの眼を見ればわかる。
もちろんファシム自身も言わずもがなだ。こんなガキにここまで食い下がられるとは。
一方でウォルコの提示した決闘の条件を鑑みるなら、なるほどこの潜在能力は、確かに仲間に引き入れたいものだと、一層に勝利を欲する。
「「オオオオオオアアアア!!」」
別に狙ったわけではないのだが、獣化変貌したデュロンの左手と、鳥化変貌したファシムの右足、それぞれの鉤爪が奥の説教壇で座って見ていたウォルコの頭頂部を掠めて、互いに交錯する形で壁に突き刺さって止まった。
引き抜こうとすら互いの力を、互いの力が押さえつける格好となり、ギリギリと睨み合っていた二人は、ふとウォルコに視線を落とす。
「あ、俺のことはお構いなく。どうぞ続けて」
お言葉に甘える形で、二人は同時に悪魔の魔力を放ち、壁を抉る形で爪先を引き抜いて、戦闘を再開した。
幸い、まだ時間はあるようだ。ファシムはちょっとやり方を変えてみることにする。
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