第367話 ミレインの街角に現れた新種の妖怪②

 少しだけ時を遡る。

 蚤の悪魔ピリオドが、ミレインの街で暴れ始めた直後のこと。


 高利貸しのリッジハング兄弟が来月の仕事の打ち合わせをしていると、モコモコのちっせぇ猿がどこからともなく現れて、執務机の上に着地してきたので、トレンチは露骨に顔をしかめた。

 事務所に兄弟二人しかいないからといって、まったく遠慮というものがない。


 スリンジは気後れしている様子だが、こいつはそんなに畏まるような相手じゃないことはわかっているはずだ。

 兄は弟に手本を見せてやることにした。


「もしもし、旦那。こんな時間になんの用ですかい? こっちも暇じゃねぇんだが」


 ちっせぇ猿の口を通じて、この猿を使い魔にしているおっさんの声が響いてくる。


『おうトレンチ、ちょっと今から出てこいや』

「は?」

『は? じゃねぇよ、どうせてめぇ状況把握してんだろうが』

「当たり前でしょ、金貸しの情報力を舐めんでくだせぇ。つーかそうやって気楽に呼び出すのやめてもらえっかな? 旦那、俺ぁアンタの小間使いじゃねぇんだぞ。むしろこっちがアンタの秘密を握ってる立場だってことを忘れんなよ。いいのか、世間様に一切合切バラ撒いちまってもよ?」


 小猿はケラケラと腹の立つ顔で笑い、執務机の上でクルクル回った後、赤い尻を向けてペシペシ叩いてくる。


『ガーッハッハッ! やれるもんならやってみやがれってぇの! 信じる信じねぇ以前の問題だ。俺の正体なんざ正直に公言すりゃ、教会のてっぺんから刺客が差し向けられること請け合いだ! なんなら俺が直々に、子飼いの聖騎士パラディンどもをけしかけてやってもいいんだぜ? えぇ? トレンチくんよぉ、勘違いすんな。弱みがあるのは、余計なことを知っちまってるおめぇの方なんだよ!」


 トレンチは嘆息して項垂うなだれるしかない。こんなゴミクズほどの価値もない「秘密」とやらを、後生大事に抱え込んでしまっている時点で、トレンチの負けなのだ。やれるものならそんなこと、とっくにやっているに決まっている。なので当て擦りで話題を変えてみる。


「子飼いの聖騎士パラディンねぇ……そんなもんが本当にいるのかね? 正味な話、アンタの正体と目的を知ってなお従う奴って、教会組織の内部に何人いるんですかい?」


 ちっせぇ猿は、ちっせぇ指折り数えてみせる。片手で足りんじゃねぇか、とせせら笑いかけたトレンチだが、その内訳が問題だった。


『今んとこ五人だな。この俺様の一の子分である、次期教皇選挙でダークホースとなるだろうって言われてる枢機卿のことを、てめぇが知らないわけはねぇよな。そいつが一人目な。

 あとの四人は、祓魔官エクソシストの最高位である聖騎士パラディンの、さらにその中で最強の四人である……〈聖都〉ゾーラで教皇を直接守護する〈四騎士〉がそうだ。

 ガハハ! どうだ? 最低でもメリクリーゼ以上の奴が四人だぞ。戦ったら勝てそうかな、トレンチくん?』


 この質問をした時点で、トレンチはさらにもう一度負けていた。

 冗談じゃねぇ……とさすがの彼も総毛立つ。


 聞くところによると十年前、〈聖都〉ゾーラでハザーク夫妻がジュナス教会への宗教改革と称したクーデターを仕掛けたのも、このおっさんの正体に気づいてしまったからだという。

 本当なら納得の理由としか言いようがないが……ついでに言うと彼らを返り討ちにしたのが、当時の〈四騎士〉だったらしい。これもまた、そりゃ勝てんわ、と納得するしかない。


 黙示録に言う四騎士は、かつては地上の人間たちを殺す権威を与えられていたそうだが……奴らが滅びた今となっては、ただ神の命令に従う存在として、その称号が教会に所属する最強クラスの魔族四人に与えられている。

 そんな連中と戦うくらいなら、アクエリカとメリクリーゼでも相手にする方がまだマシだ。

 トレンチは完全に不貞腐れて葉巻を吹かした。


「じゃ、その一の子分様に任せりゃいいじゃねぇか。蚤の悪魔なんざチョチョイのチョイでしょうが」

『ダメダメ、あいつは忙しい。自分の教区を統治するので手一杯だし、次の教皇選挙が来年に迫ってる。それに来月はゾーラで枢機卿会議がある、こんな大事な時期に煩わせたくねぇの』

「ずいぶん甘やかしてんすねぇ……なら、あれはどうなんすか? その一の子分様が最近雇って編成させてるっていう、〈第四勢力フォース・フォース〉とかいうガキどものチームでも動かせば?」

『お前はほんとになんでも知ってんな、いつかそれが原因で死ぬぞ。あいつらはもっとダメ、単純に現時点での実力が足りねぇ。つーかそもそもあいつらはそういう役割じゃねぇし。これもどうせ知ってて訊いてやがんな?』

「ここミレインの〈銀のベナンダンテ〉を抑えるためでしょ。普通に疑問なんすけど、なんでミレインなんですかい? ゾーラにも〈銀のベナンダンテ〉はあるわけでしょ? そいつらは無視っすか?」

『そうじゃねぇよ。そいつらはいくら力があっても、天に唾する積極的な動機が存在しねぇだろ。それにゾーラに住んでると、教皇庁に勤めてる聖騎士パラディンどもや、それこそ〈四騎士〉の実力をよく知ってる。なおのこと逆らう気にはなれねぇだろうさ』

「動機っつーと……オノリーヌ・ハザークや、ベルエフ・ダマシニコフが持ってる、教会上層部への敵愾心と、〈四騎士〉への復讐心か?」


 おっかなびっくり手持ちのナッツを差し出すスリンジから、喜捨を受け取ってボリボリ噛み砕く小猿は、満足そうに歯クソをほじくりながら講釈を締め括る。


『それもあるが……こっからは俺の計画内容に差し障る。知りたきゃ、勝手に調べとけ。それより今は現況への対処が優先だ』


 小猿は急にしょぼんとなり、机上の書類に歯クソを擦り付け始めた。

 操っているのが汚いおっさんである事実と、クチャクチャになっていく羊皮紙を無視すれば、かわいい仕草と呼べなくはない。


『……正直この件は、かなりの割合で俺のせいなんだ。十八年前、海賊どもに殺されかけてるファシムを助けたこと自体は、もちろんまったく後悔してねぇ。あいつは立派な祓魔官エクソシストに育ってくれたよ。ただ、見つかる前に黙って立ち去るなんて、英雄じみた気障な真似をするんじゃなく、責任持って連れ帰り、育ててやるべきだったんじゃねぇかとは思ってる。あくまで結果論だけどな』

「恋は盲目、信仰もまた然り……ってとこですかね。でもそっちはあくまで遠因でしょ。直接の原因は他にあるっすよね?」

『本当にてめぇはなんでも知ってん……いや、これは理屈でもわかることか』

「どういうこってすかい、旦那?」


 おっさんへ質問するスリンジに、トレンチはわかりやすい説明を持ちかける。


「よう、兄弟、たとえばこういうこった。お前が今からガキには言えねぇ、ムフフなお店の厄介になるとする。いや、家に呼ぶタイプが近いかな」

『この件をなにに喩えるつもりだ!?』

「おいおい、アンタともあろう者が職業差別か? しょうがねぇな、じゃ美容師にしようか。床屋の出張サービス派遣事務所な。いいか兄弟、その事務所は使い魔対応でね、居ながらにして予約が取れる」

「へえ、そいつは便利なもんだ」

「それだけじゃねぇ、多系列店の色んな嬢……じゃなかった、美容師が登録されてて、自由に指名できるときた」

「いいな。俺も髭を当たってもらいてえよ」

「そう思うよな? だけどもこの素晴らしいサービス事務所にも、一つだけ欠点があってな……ちょっとだけガサツなんだよ。

 たとえばお前が呼びたい美容師が、実はとっくに指名ランキング殿堂入りで、予約がなんと八年先まで一杯……あるいはお偉いさんからの独占半永久指名みてぇなことになってたらよ、普通の店ならどう対応する?」

「そりゃ、こうだろ?『スリンジ様、大変恐れ入りますが、その美容師はかくかくしかじかでして、ご指名いただけやがりませんので、代わりに当店のおすすめといたしまして、あいつやそいつはいかがでござんしょ? もちろんキャンセルもいただけますぜ』」

「そうそう、普通はな。でもその事務所はこうなんだ。『スリンジ様、そいつはご指名いただけませんので、代わりに全然関係ねぇ別の店の不人気美容師を我々の独断で行かせました! ……え? キャンセル? そういうのは無理っすかね。すいません今鼻クソほじるので忙しいんでまたご利用っしゃーっす☆」

「なんつー態度だ、クレームもんだぜ」

「だよな。しかも、目当てのカリスマ美容師に会えなかっただけのお前はまだマシかもしれねぇぞ。その不人気美容師は、お前にキャンセルされても事務所へ帰らず、街中を暴れ回ってその辺にいる連中の髪を勝手に切り回るんだよ」

「もはやそういう妖怪じゃねえか」

「しかもなぜか事務所内のシステムまでイカレてて、出勤扱いになり続けてる不人気美容師の給料は、八年先まで埋まってる殿堂入り美容師の予約料金から、折半される形で支払われ続けてるんだ」

「ひどすぎるぜ、そんな無法が通るのかよ」

「だろ? でも俺ら下々の者にはどうしようもねぇの。……てのが今の状況」

『おうよ! そのスーパーカリスマ美容師こそ、この俺様ってわけよ!』


 良い喩えをされたせいか、説明自体が間違っていないせいか、おっさんがご機嫌なようでなによりだ。


「いやーほんと輝かしい。だからそのカリスマを使って、アンタの方でなんとかしてくだせぇや。この街だけで見ても、アンタの信者が山ほどいるわけでしょ」

『それでどうにかなりゃ苦労してねぇんだよ! 言っても誰も信じやしねぇんだから!』

「言ってもっていうか、アンタの場合、軽〜く言っちゃうせいじゃ……」

『おぉ、なら重く言ってやる! 我こそは原初にして最強の祓魔官エクソシスト! 二十年前の今日、人類最後の一人がたおれた瞬間から、再び地上に舞い降りた神そのもの! その力は万能にして並ぶ者なし、竜や巨人とてこの俺を止められず……』


 こうなると長いのだ、とトレンチは頭を抱える。齢食ったおっさんの自慢話と昔語りほど、聞いていて苦痛なものもない。トレンチやスリンジだって立派なおっさんだが、このおっさんはおっさんとしての年季が違うのだ。


 特にこの魔族社会では、ひとえに実年齢と言っても、肉体年齢が止まったり更新されるということがあるのでややこしい。

 そいつの魂みたいなもので数えたやつを、仮に存在年齢とでも名付けよう。


 たとえばパルテノイ・パチェラー(旧名メイミア・ハーケンローツ)は、生まれてからの存在年齢だと三十五歳だが、十五歳で人間として死に、その後の十年は転化再生に専念していたため、肉体年齢は二十五歳である。


 たとえばヒメキアは肉体年齢は(おそらく)十六歳だが、死ぬたびに再生するという能力を持つため、存在年齢はまったくの不明である。


 そしてこのおっさんだが、肉体年齢で言うと二十歳なわけで、こんなに酷い詐欺もない。

 外見年齢は五十絡み、そして存在年齢は……千五百は下回らないというわけだ。




 ところ変わって、ミレインの街中。


「……だからよ、こうしてお前ら兄弟に頼ってんのも、別に誰でもいいからテキトーってわけじゃねぇんだ。この大いなる神霊にぴったり合う最強の依代を拵えてくれた小鉱精ドワーフたちと、定着条件を整える血有魔術〈支払猶予グレイスピリオド〉を施してくれた長森精エルフたちの……まぁお前らにはあんまり良い意味には聞こえねぇんだろうが……やっぱいつの時代も人間が頼るべきはその二種族なんじゃねぇかっていう……もっともこの俺を人間と定義するならだがな、ガハハ! ……いや、だから頭下げてんじゃねぇか!? 俺本体もちゃんと下げてるって! ……なんだその猿回しみてぇな表現!? てめぇのそういう態度がだな……ん、ちょっと待て……」


 傍から見るとなにもない壁に向かって一人で喋っている怪しいおっさんでしかない彼が、ふと気配に気づいて視線を向けると、前髪の長い喰屍鬼グールの青年と、防毒マスクを着けた半丈人ハーフリングの少年が、訝しげな眼でじっと見てくるので、慌てて両手を上げて弁明する。


「おい、ちょっと待て!? 言っとくが俺は、悪魔を召喚した術者とかじゃねぇからな!? 濡れ衣もいいところだぜ!」


 言ってしまってから、これでは犯人あるいは関係者による秘密の暴露にしか聞こえないことに気づき、もじゃもじゃの頭をワサワサさせてかぶりを振るおっさん。


「違う違う、俺はまったく無関係な他人だから、ほんとマジで! むしろ原理的に、絶対クソ雑魚悪魔どもが憑依できねぇようになってんのが俺だから! いっちばん安心安全の超善良おじさんだから! 俺を信じときゃ間違いねぇから! 美味しいお菓子をあげるから、おじさんについてきなよ! ガハハ!」


 喋れば喋るほど相手の疑念が強まり、二人が戦闘態勢に入るに際して、おっさんはだんだん腹が立ってきた。

 考えてみればなぜこいつらの父なる存在とか言われているはずの自分が、コソコソおもねって潔白を証明しなければならないのか?

 世界一温厚で寛容なおじさんであっても、今回ばかりはそりゃもうむちゃくちゃキレまくりだった。


「てめぇらいい加減にしろよ、舐めやがって! 俺が本気出したら、お前らなんかパンチ一発で吹っ飛ぶんだからな!? なぜならぁ! この俺様こそがぁ!? 救世主ジュナス様なのだからぁ!!」


 一瞬前まで殺気立っていた喰屍鬼グール半丈人ハーフリングは、なぜか毒気を抜かれた顔を見合わせた。


「……あー、どうもオイラたちの勘違いだったようだね。ただのヤベーおっさんだね」

「じゃあなおっさん、風邪引くなよ! あと神を騙るのも大概にしとけ!」


 ほらな、とおっさんは……ジュナスは肩をすくめるしかない。全部本当のことを言っているのに、まったく信じやしないのだから。


 もちろん、時代が変わったというのもある。神の威光を肌で感じたことのない者たちに、神は受肉して地上を歩いていますよと言っても、聞く耳持たないのも仕方ないのかもしれない。


 しかし人間時代からこの世界を見てきたジュナスは、ちょっと一言言いたい。

 魔族ちゃんたちのお子さんたち、あんま素直じゃない子多すぎません……?

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