第366話 vs.ピリオド・Round.8 霊的防衛
さあどいつに憑いてやろうかと、蚤の悪魔ピリオドは舌舐めずりをしていた。
と言いつつもやはり、当初の予定に収束する。
うすらでかいソファの真ん中に鎮座している、
普段は癒しにばかり使われている、コイツが持つ無限の魔力を、たとえば炎に変換するだけで、ミレインの街を焼き尽くす生体兵器に変貌する。
また、まったく強度に期待できないよわよわひよこぼでぃも、これはこれである意味では役に立つ。被害がかなり拡大するまで、周りの連中はコイツへの攻撃を躊躇うためだ。
案の定、簡単に精神世界へ侵入でき、精神体でも変わらないよわよわひよこぼでぃを屈服させ、主導権を奪い取ることができた。
こいつの魔力は総量・出力ともにブッ壊れているわりに、用途が限られすぎていて(ゆえにこうして精神的な自衛すらできない)、宝の持ち腐れとしか言いようがない。
だからその
赤紫色の髪を逆立てて
「ケーケケケ! どいつから燃やし……ん?」
ずいぶんと気が早い。ピリオドが意図するまでもなく、ヒメキアの体はすでに炎を発している。
しかし彼女自身の魔力である赤紫色でも、悪魔の魔力における共通色である黒でもない。
青い炎……まずい、これは〈
「あっびゃあアアアア!! あづアアアアッ!? なんじゃこりゃアアアア!!?」
火元は一目瞭然、胸元に飾られた白薔薇のブローチだ。
そこに宿して渡されていた青い炎がヒメキアの全身に燃え広がるが、肉体にも衣装にも焦げ付き一つ作らない。
ただ内側に巣食うピリオドのみを、選択的に焼夷してくる。
こいつは困った。七人だか八人だかに同時並行で宿せる持続性以上に、悪魔と依代を選り分けて攻撃できる精密性以上に……悪魔に効かせられる強度であるということは、悪魔のそれと同等以上の魔術を獲得していることになる。
ただのボンボンかと思っていたが、想像以上に危険な男のようだ。
「おっと、かかりましたか」
当のイリャヒ・リャルリャドネは、ホイップクリームを作る片手間、悠々と歩いて談話室に戻ってくる。
舐めた態度ではあるのだが、火が点いた以上、あとは意識だけでピリオドを攻撃できる……換言すれば、他にできることがないゆえに見せている余裕なのだ。
一方で
「去れ、悪霊よ、去れ。汚らわしい下痢便虫の分際で、ヒメキアの清らかな体に憑依と称して寄生しようなど、身の程知らずも大概にしろ。どうせ元の世界でも救いようのない無能ゆえに爪弾きにされた、出来損ないの生まれ損ない、成り損ないの死に損ないに相違ない。
まるで聖句でも諳んじるように無表情かつ抑揚のない声でガン詰めしてくるのがかなり心に来る。
こいつ口悪すぎねえか? と思っていたら、よく見ると隣で金髪の人狼女がひそひそ入れ知恵していて、それをそのまま喋っているようだった。
「オノリーヌ、あまりうちの子に悪い言葉吹き込むのやめてもらっていいですか?」
「さあ、なんのことやら。ソネシエ自身の本心が口の端に上がっただけであるからして」
「あなた今、ソネシエの口を借りて喋る悪魔も同然のことをやってますからね」
「そうかね。ではソネシエ自身の言葉で語ってもらうのだよ」
野蛮な人狼から解放された蝙蝠魔女は、変わらず冷たい視線で再度口を開く。
依代であるヒメキアの眼を見つめているはずなのに、憑依しているピリオドをまっすぐ射抜いてくるのが、蚤の悪魔にははっきりと感じ取れた。
「あなたはつまらない。あなたごときではヒメキアの体も力も、満足に活かすことはできない」
「な、んっ、だ、とオオオオオオ……!?」
享楽主義者である悪魔に対して、それは最低最悪の侮辱であった。
狙って言ったわけではないのだろうが、だからこそ一層腹が立つ。
一押しの企画を全否定されたピリオドは、ヒメキアの体をワナワナと震わせて……即座にそこから脱した。
【そうかよ……ならリクエストに応えて、もう少し面白くしてやるぜ!!】
ちょうどヒメキアと同時並行で憑依していた、ベナクがドラゴスラヴにブッ飛ばされたところだ。
あちらは放棄し、こちらに集中する。
そこまで言うなら、兄妹揃って憑依してやる! 依代の精神世界には、そいつ自身の原風景が広がっているのだ。ひ弱でナイーブな吸血鬼どもを甚振って乗っ取り、手始めにこの寮を地獄に変えてやる!
思い上がった間抜けはどっちだ? 迂闊にも奴ら自身の胸には、青い炎を宿した白薔薇のブローチは飾られていない。
今から展開したところでもう遅い、暗黒物質に戻ったピリオドは、すでに二手に分かれて侵入している!
吸血鬼どもの薄い
【あれっ】
もはや純粋な当惑の声を漏らすしかないピリオドは、再度の突入を試みるが、結果は同じだ。
イリャヒはニヤニヤと、ソネシエは無表情に、いつも通りの顔でナチュラルに煽ってくる。
「おや、蚤が付いたようですねえ。マイシスタ、ちゃんと払いましたか?」
「痒くなると大変。綺麗好きのわたしに抜かりはない」
なにが起きたのか、ピリオドはようやく理解していた。
元の世界ではともかく、こちらの世界に召喚されている悪魔は、魔力の塊という状態を取っている。
なので依代への憑依は「体内への干渉・浸透」に該当し、相手の血肉に含まれる魔力があまりに濃密だと、魔術抵抗力が発生し、表層で弾かれてしまうのだ。
例外はヒメキアで、彼女に関してはそういう生き物だと理解するしかない……それはいいとして。
侵入した悪魔の精神体が捩じ伏せられたり殺されたりする以前の問題として、主導権争いに持ち込むことすらできないということは……。
コイツらは皮肉にもその家名や血筋に恥じぬ高位吸血鬼としての格を、若くして備えつつあるということに相違ない。
にっちもさっちもいかなくなったピリオドは逆上し、せめてもの罵言を吐き散らかすしかない。
【ちくしょオオオオ! どいつもこいつも俺らをバカにしやがって! 良かったな、パパとママに感謝しろよ! きっと地獄でお前らを誇りに思ってるぜ!】
兄妹は顔を見合わせた後、変わらぬ様子で振り返ってくる。
「そうですねえ、私とソネシエはリャルリャドネの成功作かもしれません。両親は我々のため犠牲になったのですよ。尊いですねえ、靴底のギザギザの滑り止めくらい尊いです」
「兄さん、それよりお菓子……」
「まあ待ちなさいな、見ての通りまだまったく完成していないのですよ」
ダメだ、効いていない。考えてみればこの程度で揺らぐような精神性なら、悪魔と対等以上に張り合えるような、基礎魔力や固有魔術が仕上がるわけがない。
【!】
そして彼らへの敗北とは別に、ピリオドには可及的速やかにこの場を脱する理由ができてしまった。
まずい、アイツが近づいている。当たり前と言われればそうだ。召喚術の失敗にかこつけて、勝手に霊的な
アイツが怖いわけじゃない。ただ……悪魔の世界でピリオドが、
アイツに無断で借りた力で強化して、最大の支配力で跳びかかってなお、リャルリャドネどもに跳ね返されたくらいなのだから……アイツ本人と戦うなら、並の依代に憑いているようでは、ピリオドに勝ち目はない。
一方で先ほどから再三確認させられている通り、一定以上に強い依代に憑くためには、ピリオド自身が弱すぎる。
というか、仮にどんな悪魔がかなり高位の依代(メリクリーゼとかドラゴスラヴなど)に憑いたところで、アイツへの勝ち目は薄いはずだ。
しかしそのとき、悪魔の頭脳に閃きが走った。これしかないというアイデアが浮かぶ。
だったらもうこんな市街地で、チンケな魔族どもを相手にしている場合ではない。
時代は魔物への憑依なのだ、さすがピリオド、きっと悪魔のトレンドを先取りしている。
【ケーッケッケッ! 俺ら多忙な悪魔でな、悪いんだけども急用ができちまった! ちょっと出掛けてくるからそのデザートとやら、俺らの分も残しておけよ!】
「急に元気になりましたね。帰ってこなくてもいいのですけど」
【つれねえなあ、俺らがもう一度ここに帰って来られたら、そんときゃこの街の……いやさ、下手すりゃ世界の神になってるぜ!? 相応しい椅子を用意しといてくれよな!】
本当にそうなのだが、ハッタリだと受け取ったようで、生意気なおちびが疑問を呈してくる。
「めげていない、これは心の強い悪魔。しかし悪魔は、甘いものが苦手なはず」
【バーカ、そんなん迷信だよ! てめえらベナンダンテの伝承が雄弁だろうが!? 豊穣や繁栄を食い散らかすのが、俺ら悪魔の群勢だ! 今夜の〈合戦〉は一味違うぜ!? マジでてめえらジュナス教会の、在り方自体が変わっちまうかもな! あばよガキども、さっさと寝な!】
言いたいことだけ言い切って、ピリオドは弾かれるように寮から飛び去る。
巨大な一匹の蚤のように見えるその姿はその実、無数の小さな蚤型悪魔の、まさしく
急いで迎撃の準備を整えないといけない。
脅威と時間に追われながらも、悪魔はどこかワクワクしている自覚はあった。
血を吸ってパンパンに膨らんだ蚤を、潰したいならぜひどうぞ。
糞と卵が爆散した後で、好きなだけ後悔してくれりゃあいい!
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