第359話 vs.ピリオド・Round.2 生半な覚悟

「あー……こいつは困ったね……」


 悪魔に憑依されたキャネルを、所詮は一般市民だろうと侮ってかかり、腕尽くで抑え込もうとしたサイラスだったが……仕掛けた攻撃をことごとく返り討ちにされた彼は、いまだ乾かない鼻血を拭いながら独り言ちた。


 元々どちらが自前の属性かは知らないが、悪魔の憑いたキャネルは炎熱系と雷霆系の属性混合型と分類できる、強力な攻撃魔術を発動している。

 握っている間は灼熱の塊だが、投げると稲妻に変質する槍……という感じだ。


 距離を詰めれば炎で挫かれ、距離を空ければ雷に貫かれるという塩梅で、手持ちの肉片をどう活用して、消化変貌を組み立てても、生半な攻撃力や防御力、機動力では通用しない。

 だが一番の問題はそうした魔術の性能というより、おそらくキャネル自身が気づかず生まれ持っていた、顕著な槍捌きの才だ。


 これ一本で全部に対処されてしまうため、サイラスにとって有利な間合いというのが、実質存在していない。

 サイラスやヴェロニカが提唱する器用万能最強説を、ある意味でまったく逆のアプローチにより……しかもド素人の手で証明されるとは、なんとも面白くない。


 だんだん気力が萎えてきたサイラスを、少し離れて見守るエルネヴァが叱咤してくる。

 ソネシエの友達だけあって、海賊っぽい仮装をしていることとはまた別に、この子も大概、変なお嬢様だ。


「サイラス、このあたくしが高ぉぉ貴なアドバイスを授けますのよ! 槍使いに対しては、槍の間合いで対峙して、競り勝つのが一番の正道ですわ!」

「それはわかるけどね……槍の才能がある奴といえばソネシエとリュージュだが、あいつらは属性の相性がよろしくないね」

「ええ! だからサイラス、あなたが今ここで、槍使いの英雄となるのですわ!」

「無茶を言うもんだね。オイラが備える英雄の資質といったら、『色を好む』くらいのもんだね」

「もっと他にもあるでしょうに!? ときにサイラス、槍の持ち合わせはありますの!?」


 小鉱精ドワーフの肉片を齧り、石畳から見事な長物を錬成することで返事に代えるサイラスに対し、キャネルに憑いたピリオドが、本人はしない下品な表情で煽ってくる。


「おいおい、やめとけやめとけ! 急拵えの付け焼き刃なんざ、大怪我の元になるだけだぜ!」

「おっしゃる通りですわ! では耳学問の生兵法ならどうですの!?」


 朗々と啖呵を切ったエルネヴァは、バッ! と右手をかざしてくる。


「さあサイラス、あたくしの高ぉぉ貴な指をお食べなさいな!」


 彼女の狙いを察した喰屍鬼グールは、お言葉に甘えることにした。


「そういうことなら、遠慮なくいただくね!」


 即座に近づき、がぶりゅ、と小指を噛み千切ると、エルネヴァは血の気の引いた顔で絶叫した。


「おんぎゃああああああ!? い、いきなりなにしやがりますの!? クッソ痛いですわぞ!?」

「え!? お前が喰っていいって言ったね!?」

「言いましたけど、直で来ますの普通!? せめて鋭利な刃物で切り落とすとか、そういうデリカシーはありませんの!?」

「いや、なんかキリッとした良い感じの顔してるから、てっきり覚悟ガンギマリでござる的な状態かと……」

「なんですのそれ!? ちょっと表情変えただけで商家の文民が都合良く荒事に慣れられるわけありませんわ!? 精神論に夢見過ぎじゃありませんの!? それよりあなた、あたく……」


 精神世界での闘争・臨戦形態への変身・長い名乗りなどを待ってくれるのは王道の悪役だけだ。

 そしてピリオドの辞書に、どう考えても「卑怯」の文字はない。


 猫系獣人が持つしなやかな、悪魔憑依によりさらに強化された筋力で、一気に距離を詰めてきて、最適の間合いで灼熱の槍を振るってくるキャネル。

 まずい、と思ったときには、サイラスの体は反射的に、その一撃を最適な槍捌きで食い止めていた。


「「「……んんっ!?」」」


 当てが外れたピリオドはもちろん、正着に至ったサイラス自身、そしてそれを導いたエルネヴァすら、三者三様に疑問の声を発している。


 エルネヴァの狙いは彼女の肉でサイラスを消化変貌させることにより、サイラスにエルネヴァの固有魔術〈技能目録スキルリスト〉を貸与する、ということでまず間違いない。

 エルネヴァ自身が長物の扱いを把握していても、基礎体力の不足ゆえ無用の長物と化しているゆえに、宝の持ち腐れを解消すべく、サイラスに預けようという意図なのだろう。


 そして彼女の言い回しからして、どうやら〈技能目録〉は直接本を読むだけでなく、口伝くでんを聞くことでも超速習熟が可能らしい……というのが、おそらく二人の共通認識だったのだが。

 みなまで言わせぬ急襲を受け、そんな暇がなかったにも関わらず、サイラスの脳にはすでに、エルネヴァのこれまでの読書履歴が流れ込んでいる。


 その中でも『他者ひと殺し大全』の「槍の章」……これがエルネヴァがサイラスに与えたかった知識のはずだ。

 恐るべきはサイラスがそれを頭で精査するまでもなく、体がすでに我がものとし、錬成した手製の槍を、手足のように使いこなせてしまっていることだ。


「うおおお!? なんねこれ!? 体がほぼ勝手に動く感じね!?」

「なんだそれ、そんなんありか!? てめえら、どんなインチキかましてやがる!?」


 頭を使う必要がないため、ほとんど無意識で戦闘を熟しつつ、サイラスは考察に耽る余裕すらできてしまっていた。

 エルネヴァの〈技能目録スキルリスト〉は頭脳系の固有魔術であり、サイラスの現状だけ一見すると、自動書記などに類する擬似憑依型に思われるが、実際は努力蓄積型で間違いないはずだ。


 努力蓄積型の固有魔術というのは、たとえばブルーノの〈闇影乱打シャドウラッシュ〉がわかりやすい。

 サイラスが彼から消化変貌で借りる場合は、あくまでサイラス自身がこれまで打ってきた突きを「影の手」として出力できる形となり、ブルーノがプールしているパンチストックまで借りパクできるわけではない。

 蓄積した努力はあくまで個々に帰属する、それが通常の努力蓄積型固有魔術の仕様なのだ。


 ところがエルネヴァはサイラスに能力を貸すことで、頭の中の実用書図書館そのものまで開架・共有してしまっている……というより、できてしまっている。

 もしかしたら〈技能目録〉の真骨頂は、学習による即時習熟でなく、その他者への情報伝達なのではないか?

 喰屍鬼グールが吸血鬼の下僕というのは、「同じように墓場をウロウロしているから」という雑な理由で築かれた、人間時代の俗説だと、サイラス自身も思っていたが、ひょっとすると両者にはより深い相関関係が実在するのかもしれない。


 サイラスの頭がそんなことを考えている間に、サイラスの体はベースとなる近接戦闘能力の差によって、ピリオドの……キャネルの握った灼熱の槍を、巻き上げによって弾き飛ばして、相手が同じものを再生成する前に、相手の喉元へ自家製の槍先を突きつけていた。

 ピリオドはキャネルの肌に冷や汗を流しつつ、まだしも余裕の笑みを浮かべている。


「なかなかやるもんだが、そいつは脅しになってるか? 見たとここいつはただの田舎娘だ、殺しちゃマズイんじゃねえのかい?」

「……それは……」

「いいえサイラス、やっておしまいなさい」


 決然と言い切るエルネヴァを一瞥すると、彼女は自身の手首にナイフを当てている。


「彼女の喉を掻っ切って、悪魔を追い出すがいいですわ。その後あたくしが彼女に、高ぉぉ貴な血をたっぷりと与え、一命を取り留めさせてみせますの!」


 それはハッタリかもしれないが、遊び半分の悪魔を賭場から下ろすには、その生半な覚悟で十分だったようだ。

 キャネルの体からズルリと抜け出た暗黒物質が、バカデカい蚤の一匹を形成し、憑依中と変わらぬ喧しさで負け惜しみをさえずる。


【あーあ、やめやめ、バカバカしい! 所詮この世はゲームだろうが、なにマジになっちゃってんだか! いいんだな、俺ら他へ移ってもよ!? 次の依代でクソ能力が発動して、誰も対処できなくなるかもしれねえぞ!?】

「そう思うなら、やってみればよろしいですわ。他者ひとの体をちょろまかし、我が物顔で狼藉三昧……虎の威を借る狐に劣る、まさしく蚤の所業です。あなたのような悪霊ごときに、我々魔族は敗けません! 顔を洗って出直しなさい、首を洗って待ってなさい。そしていっそ心を洗い、浄化されるとよいですわ!」

【くっ……! その台詞、後悔するなよ!】


 高らかに伸びる美声でやり込められたピリオドは、異形の貌を苦渋に歪め、尻尾を巻いて逃げていく。

 気絶したキャネルを抱き起こしながら、サイラスはエルネヴァを呆然と見上げるしかなかった。


「オイラは正式な任官じゃないけどね……お前オイラよりよっぽど祓魔官エクソシストっぽいこと言ってるね」

「ふふん、見ましたの? これこそ真のノブレスオブリー……って、ちょっと!? あなたどさくさに紛れて、キャネルさんのどこを触ってますの!?」

「は? 誤解ね。オイラはただ雌猫をマッサージしているだけであってね」

「ワードチョイスからしてもうアウトが漏れてますわ!? あなたほんとそういうとこですわよ!?」


 マジ説教に入り出すエルネヴァを適当にあしらいつつ、サイラスは悪魔の残した問いに心中で答える。

 問題ない。この街にサイラスより確実に強く対応力の高い奴など、片手の指では足りないくらいいて、しかもそいつらが無造作に、その辺をウロウロ歩いているのだから。

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