第360話 vs.ピリオド・Round.3 二本の線を引く

 ミュールの固有魔術は風嵐系で、かつ元々あまり強力なものではないと、ギデオンはデュロンから聞いている。

 それをそのまま攻撃魔術として強化したところで、大した火力は出せないと踏んだのだろう。


 ピリオドが勝手に構築した彼女の戦闘スタイルは、風を緩いベール状に展開し、触覚の延長のように機能させることで、おそらく潜在的にかなり高い、感知能力に特化するというもののようだった。

 そしてこれがギデオンにとって相性最悪である。


 空間踏破は高速移動に過ぎず、普通に近づくのも飛び道具を投げるのも、すべて肌感覚で察知され、確実なカウンターで返り討ちにされてしまうのだ。

 何度目か地面を転がったギデオンは、問題なく立ち上がることはできるが、どうにも突破口らしきものが見えてこない。


 こんなときデュロンならどうするだろう? おそらく、なんとか感知の裏をかくことを考えるはずだ。

 だが彼もギデオンもそうなのだが、まあまあ機転は利くものの、策が出るときと出ないときの波が大きい。


 そして今回は残念ながら後者で、なんとかフミネに危害が及ばないよう、庇い立てするのが精一杯だった。

 彼女はもはや怯えきり、震えながらミュールを見ている。


 フミネの固有魔術〈共有幻想シェアイリュージョン〉が、彼女の意思とは無関係に発動しており、ミュールが纏う風のベールを、さらに禍々しいオーラで演出することになってしまっている。

 フミネのその様子が嗜虐心を唆るようで、ピリオドはミュールのかわいらしい顔に、下品な舌舐めずりをさせていた。


「怖えか、お嬢ちゃん!? そいつは悪魔冥利に尽きるなあ! 助けを呼んだっていいんだぜ!? もっとも次に俺たちが憑く依代が、この猫っ子より弱いとは限らねえがなあ!?」


 そうだ、とギデオンは自答する。この程度の構築に敗けているわけにはいかない。しかし意気を上げる彼とは反対に、フミネの恐怖はますます募る様子だった。


「む、無理だよぉ……あんなの、勝てないわけなのでぇぇ」

「落ち着け、フミネ。俺が不甲斐ないのは認めるが、パニックになるにはまだ早……」

「ううぅぅ……! わわ、わたしもギデオンさんも、美味しくないキノコですのでぇぇぇ!!」

「いや、俺もお前もキノコでは……」


 言いかけたギデオンは、起きた異変に反応しないよう、口を噤むのが精一杯だった。

 と言っても、ギデオンの髪が白くなって逆立ったわけでも、フミネの全身が発光し始めたわけでもない。


「なんだあ!? 二人してもう諦めるんか!?」


 フミネの固有魔術〈共有幻想シェアイリュージョン〉は、基本的に彼女が感じたイメージを、彼女の視界に投影するというものだ。

 実体として具現化できるわけではないのだが、だからこそ自分の背後に立ち上がるビジョンに、ピリオドはまったく気づいていない様子だった。


 これと同質らしきものが現れるのを見たと、フミネがソネシエに話している場に、ちょうどギデオンも居合わせていたことがある。

 どちらも〈ロウル・ロウン〉開催中の話だそうで、片方はデュロンの、片方はイリャヒの、それぞれ背後霊のような形で現れたらしい。

 イリャヒの方はその後、彼がケヘトディに誘拐されたソネシエを探している最中に、関係者らしき吟遊詩人を脅しているときにも出たのだとか。


 当時の状況を聞くに、ギデオンには条件の見当はなんとなくついていた。

 おそらくフミネが命の危機を感じるほどの、恐ろしい威圧感を放っている相手の背後に、その象徴として立ち上がるものなのだろう。


 そもそもフミネの固有魔術が覚醒したきっかけは、フクサが彼女宅の庭で光芒息吹レイザーブレスをブッ放したことだったそうなので(本当になにをやっているのか……一般家庭の敷地でやっていいことじゃなさすぎる)、任意で映像を出せるようになったり、映像を飛ばせるようになったことはあくまで派生技であり、このクソデカ背後霊こそが正規の覚醒技なのではないかと思われる。


 今、ピリオド憑きミュールの背後では、桑の実色の毛を逆立て、尾が二股に分かれた巨大な化け猫が、カッ開いた口から霊風を吹き散らしている。

 実体のない幻影だとわかっていながらも、その異様に明るい黄緑色の眼に見つめられ、怖気を感じていたギデオンだったが……ミュール本体のそれと同じ色をしたその眼に対し、普段敵に対して感じている、発動条件を満たしているときの、ピンとくる感覚があることに気づいていた。

 同時に思い出す。ファシムはギデオンに対する講評で、なんと言っていた?


 いける、と確信を得ると同時に、もう一工夫が必要だとも思い直すギデオン。

 このまま普通に突っ込んでも、先ほどまでの二の舞だ。


 ピリオドが用いるミュールの感知精度に任せて、反射で対応している現状のままだと、なんということもなく捕捉されてしまう。

 なので蚤の悪魔に、足りない頭を使わせる……休むに似たる、下手の考えを働かせる必要がある。


 瞬時に固まった考えを活かすべく、普段は苦手な口八丁を、このときばかりは総動員するギデオン。


「フミネ、奴は脅威だ。絶対に視線を外すな」

「ひゃ、ひゃぃぃ」

「その上で頼む、あれをやってくれ……幻影に質量を付与するやつ」

「へぇぇ!? わ、わたしそんなことできな……」


 もちろんそんなことができないのはわかっている。ただ「もしかしたらできるかも」とピリオドに思わせるのが狙いである。


「できなくてもいい、試してみてくれ」

「わわ、わかりましたのでぇぇ……!」

「おいおい、大丈夫か!? せっかくの作戦会議が筒抜けだぜえ!?」


 もちろん大丈夫だとも、半分はピリオドに聞かせるために喋っているのだから。


「いいか、まだだ……よし、いくぞ!」

「ひゃひぃ!?」


 一人で勝手にからの合図を出すのと同時に、ギデオンは空間踏破を発動する。


 赤帽妖精レッドキャップに共通のこの平凡な能力に対し、さっきからピリオドはその「相手と視線を合わせる」という発動条件を理解した上で対処している。

 その上で、自分の背後に発動条件を満たす存在がもう一体出現していることに、ピリオドは気づいていない。


 なにもない、誰もいないはずの場所への高速移動という、普通ではありえない動きをする様子を感知したピリオドは、直前にギデオンが吐いた拙いブラフにより、それをフミネが飛ばした幻影だと解釈し、そのフェイクに紛れて、ギデオン本体は別の角度から襲ってくると判断するはずだ。

 果たしてその狙いは大当たりとなった。


「!!?」


 完璧に一手嵌められたと悪魔が気づいたのは、奴の頭上に、奴の背後へ向かってつんのめるような体勢で高速移動を終えたギデオンが、奴の首を両足で掴んで、引っこ抜くように投げ始めた瞬間だったようだ。

 ギデオンはそのまま地面に両手を突き、跳び込み前転の要領で、小柄な体を縦に大きく振り回し、脳天から地面に叩きつけることに成功する。


「ふう……これはさすがに効いたはずだが」

「ぎ、ギデオンさん、やりすぎなので!?」


 余韻と達成感に浸っているところに、フミネが慌てて駆け寄ってきてようやく、ギデオンはその依代がミュールであることを思い出した。

 様子を確認すると、両眼が明後日の方を向き、舌を出して涎を垂らし痙攣するという、かわいい顔が台無しの状態になってしまっている。

 悪魔憑きゆえの表情だと思いたかったが、残念ながら悪魔はすでに出ていた。


【ひでえなお前、普通ここまでやるか!?】

「……悪魔を追い出すためには、ときに非情にならねばなるまい」

【それっぽいこと言ってんじゃねえよ、つーかそもそもてめえ祓魔官エクソシストですらねえだろ!?】


 バレていた。ミュールを楽な姿勢にしているフミネに、ギデオンは助けを求めてみる。


「フミネ、お前からもなにか言ってやれ」

「ギデオンさん、もう少し社会に適合すべきだと思うので」

「いや、俺じゃなく悪魔に言ってほしかったんだが……そうか……」

【いや、ちょ、おま……お、覚えてろよお!】

「フ……聞いたかフミネ。悪魔め、俺に恐れをなして捨て台詞を言いあぐねたようだ」

「いえ、たぶんドン引きして、なにを言おうとしたかを忘れちゃった様子だったので」


 自己再生で首が治ってきたミュールの頭を撫でながら、フミネはほっと一息吐いた。


「よ……良かったぁぁ……もしかしたら、次はわたしに憑いてくるかもと思ったわけで」

「悪魔は享楽主義者だ。今回のケースのように奴らが自分で憑依対象を選べるのなら、奴らは憑いていて楽しい依代を選ぶのだろう。お前の能力も興味深いが、あくまでサポート向きだからな。悪魔が好むのは、単独で暴れられる戦闘タイプの依代ということに違いない」

「で、でもそういう人は、悪魔に肉体の主導権をなかなか譲ったりしないわけで……ミュールさんのような特殊なケースは、発生しにくいと考えてもいいのでは……」


 フミネがおずおずと口にする希望的観測に対し、ギデオンは首を横に振るしかない。


「いや、どうだろうな……前提としてピリオドは、かのペリツェ公の使い魔作成・制御権能を上書きする形でミレイン中の野良猫たちを操ってみせている。ミュールのような潜在能力の高い一般市民を狙ったのは、あくまで易きに流れたお試しプレーに過ぎず、本気を出せばその支配力は、たとえば俺程度の者なら、五分五分程度で屈服させられるレベルだと考えられる」


 判断基準は〈ロウル・ロウン〉の優勝決定戦開始時に起きたアレだ。曖昧な基準ではあるが、リュージュやデュロンと戦闘の実力が近い者は、悪魔による肉体の主導権奪取に対し、同程度の抵抗力を発揮できると思われる。


「それでも悪魔は享楽主義者だから……易きに流れ、標的の基準を下方修正するかも」


 フミネの考察に対し、傲慢に聞こえるのは承知で、ギデオンは客観的な格付けを口にしていく。

 

「ああ。おそらく俺の少し下くらい……目安を作るなら、そうだな……先の〈ロウル・ロウン〉で言うと、ラヴァリール、リラクタ、リョフメト、フクサ、ブレントを除く、ラグラウル族の出場者……ドヌキヴとかフィリアーノとかそのあたりだな……あいつらがなかなか強い一方、主導権を奪われる可能性もそこそこ高いという感じの、『憑いたら危ないライン』だろうな」

「そ、そんな……! 今、野良猫たちに対処するために、みんな寮から出てきてるはず……!」

「最近解散したという、〈紅蓮百隊クリムゾンセンチュリ〉とかいう不良グループ……ああいう無闇に才能のある連中なんかも狙われるだろうし、正直に言うと一般的な祓魔官エクソシストすら微妙なところだと思うぞ」


 そう言いながら壁にもたれて座り込むギデオンを見て、フミネが裏返った声で訴えてくる。


「ぎ、ギデオンさん、そんな他者事ひとごとみたいな冷たい言い方しないで、助けに行ってほしいわけなので……!」

「といっても、本当に他者事だからな……俺は聖職者でもなんでもなく、アクエリカの手駒に過ぎない。俺はヒメキアやオノリーヌを守り、デュロンを助け、そしてもちろん愛……」

「あ、その先は結構なので」

「遠慮せずに聞け。というかフミネ、お前は家族以外に愛する者はいないのか?」

「結構だって言ったのに……ギデオンさんこの話になるとしつこいので」

「とにかく、俺はミュールにボコボコにされたため、今夜はこれ以上働く気になれない。本当ならパルテノイが待つ寮に直帰したいんだが、ミュールが眼を覚ましたら、お前と一緒に送るくらいの甲斐性はさすがにある。だから、もう少し待て」

「そ、そんなリュージュさんみたいなこと言わないでほしいので」

「フミネ、お前意外と結構言うタイプだな……そのリュージュやデュロン、イリャヒやソネシエがなんとかするだろうし、あいつらでダメだとしても、なお問題はない」


 もう一つボーダーを引くとすれば、基本的に二人以上による対処を必要とする悪魔憑きに対し、一人の力で安定して倒せるという、明確な「強者のライン」が存在する。


「この街でおそらく最強の男と、この街で間違いなく最強の女……奇しくもあの二人の実力を誰より肌感覚で知っているのが俺だ。蚤の息が天に上がるかは、教会都市の守護者たちが決めるだろう。

 そして今、この街にはもいる。こと守りに関して、そうそう後れを取ることがあるとは考えにくい。

 ああ、そう思うと気が楽になった。どうやら俺の仕事はもうなさそうだ。この時間なら、俺の行きつけのバーが開いている。ちょうど近くにあるし、この騒ぎが終わるまで三人で休んでいかないか?」

「そ、それは余裕すぎなのでは……」

「……行き、たい」

「ミュールさん……!?」

「のど、かわいた」

「だろうとも。決定だな。ミュール、お前は酒飲めるか?」

「飲めるよ」

「ちょ、ちょっとお二人とも……」

「ああフミネ、お前はまだ16歳だったな。大丈夫だ、ココアなども出す店だから」

「そういう問題ではなく……」

「心配しなくていい、このくらいは浮気にカウントされない」

「そういう問題でもないわけで……!」


 でも結局フミネもついてきて、「コーヒーリキュールミルクのコーヒーリキュール抜き蜂蜜たっぷり」を頼んだ。

 あまり煩雑な注文をするのはどうかと思われたが、バーテンはニコニコしながら対応してくれ、やはりプロは凄いなとギデオンは脱帽する。


 夜はまだ長そうだと、カクテルグラスの中で動く氷の音を聞きながら、彼は考えた。

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