第357話 悪魔のゲームを始めよう

 そいつはまずいな、というのが、イザボーから状況を聞いたウォルコの第一声だった。


「そんな規模の悪魔召喚をやらかしといて、わざとじゃありませんでしたってのも通らない。ファシム、残念だけど今日からお前もだ。ヒメキアの代わりに、俺と一緒に逃亡生活を始めてもらうぜ」


 相当に憔悴しているかと思いきや、ファシムは思いのほか冷静だった。


「構わん。儀式は失敗に終わったが……今夜俺は、聖堂に神はいないという事実を得た。信仰のため教会を脱するという矛盾一つ、呑み込めないほど喉が弱いつもりはない」

「ふふ、そうか。気に入った、よろしく頼むぞ相棒」

「望むところだ」


 そしてヴェロニカもそこまでショックを受けているわけではないようで、機嫌こそ悪いものの、塞ぎ込んではいないのが幸いだった。


「言っとくけど、ボクのせいじゃないからな!? ウーバくんは完璧なジュナスの器……とはいかないにせよ、かなり良い線行ってたはずだぞ!?」

「そうだ、そもそもなんで別の知らん奴が憑依するなんてことになったんだ?」


 相変わらず説明は得意なようで、ウォルコがスムーズに教えてくれる。


「召喚術や降霊術ってのはデリケートでね。失敗してなにも来ませんでしたってのはまだ良い方で、ああやって全然違うのがニュルっと入ってきたりするわけ。

 それでもあいつはたぶん悪魔だったから、俺たちにも理解や意思疎通ができたけど……最悪の場合はマジでわけのわからない『たぶん神っぽいなんか変な存在』が受肉を果たした挙げ句、地表が混沌で覆われちゃうとか、そういうこともありえたわけなんだよね」

「なんなんだよそれは、ひたすらこえーよ……で、こっからどうするんだ?」


 まずファシムが行動で返事に代える。イザボーが開けた穴とは関係ない位置の床を探ると、元々は食糧などを格納するためなのだろう、一定の収納スペースが現れた。

 デュロン、ウォルコと三人でウーバくんを持ち上げ、埋葬されるようで縁起は悪いが、ひとまずそこに担ぎ込む。


「俺の依頼した主旨からは外れたが……せっかくの研究成果だ、後でヒメキアにでも石化を解除してもらうといい。だが今これが……たとえば教会の上層部や監査部にでも見つかると色々とまずい、しばらくはここにこのまま匿っておくべきだな」


 むくれたままで童女のようにむっつりと頷くヴェロニカの様子に苦笑しつつも、ウォルコが先を引き取る。


「ヴェロニカ、イザボー、協力ありがとうね。お前たちはここで解散だ」

「うひょー! よかったー! じゃアタシはこれで!」


 最悪道連れで異端滅殺されるかもと思っていたのだろう、感涙しながら爆速で穴を掘って逃げ去るイザボーとは対照的に、ヴェロニカは魂が抜けたようにノロノロと歩き、少し寂しげな後ろ姿を見せつつも、恐れ知らずの捨て台詞を残して退室した。


「……悪くない仕事だったぜ。機会があったらまた、この天才を呼べよな」

「嬉しいけど、さすがに次はお前が決定的に立場を危ぶむだろうから、気持ちだけ受け取っておくよ。ほら、行った行った」


 さすがに巻き込むとヤバい。つまりデュロンは依然として進行形でヤバいのだが、顛末を見届けないわけにはいかなかった。

 ヒメキアの処遇が関係する時点で、デュロンにとっては自分の話だ。

 三人きりになったところで、ウォルコがやけに晴れやかな顔で宣言する。


「さて、じゃあ俺たちの新しい予定を発表するよ。俺は今後もヒメキアをジュナス教会から解放する方法を探っていくし、ファシムは……」

「これからは教会の外……在野でジュナス様を探していくことになる」

「だそうだ。ってわけなんで、俺たちさっさとトンズラしなくちゃな」

「ウォルコ、アンタ……ヒメキアの顔くらい、チラッとでも見てったらどうだ?」

「それはダメだ。あの子に会うのは、迎えに行くときだけって決めてるんでね!」

「そうだ、アンタ結構頑固なんだった……ならアンタたち、これで……」

「おいおいデュロン、お前さっきからなにさも他者事ひとごとみたいに言ってるんだ? お前も俺たちと一緒に来るんだよ?」


 は? と素で当惑の声を漏らすデュロンに、ウォルコはにんまりと笑んでみせる。

 ついでに思い出した。これは彼が仕事に余計なスリルやわくわく要素を持ち込むときの表情だ。


「ああ、わかってるって。お前が単独で抜けたら、労役囚としてのペアリングをされてるオノリーヌが処刑されるんだろ? そんなことを看過するわけがない、彼女も一緒に逃亡してもらうのさ」

「いやいや……アンタなに言ってんだ? ベナンダンテを……しかもよりによって教皇庁に直接クーデターかましたアホ夫婦のガキ二匹を逃がしたとあっちゃ、上層部から厳罰課されるのはアクエリ姐さんなんだぞ? そんなこと罷り通るわけが……」

「ダメかな、アクエリカ?」

『う〜ん、どうでしょう? もう少しわたくしを口説いてみてくれまして?』


 デュロンの服から這い出てきた青い有翼の蛇は、この期に及んでずいぶん悠長なことを言っていてわけがわからない。

 デュロンにしてみれば今にも彼女の命令を受け、扉を破壊してメリクリーゼやベルエフが飛び込んでくるかと、ヒヤヒヤしているというのに。


「悪くない話だと思うけどな。手順を変えるとでも考えればいい。ヒメキアの代わりに、先にハザーク姉弟を解放して、俺たちは教会の外から、お前が教皇になるための工作活動に従事する。この態勢ならなおのこと、遅かれ早かれ、お前の野望は成就するんじゃないかな?」

『かもしれないけど、それまでにわたくしが受けるデメリットが大きすぎるとは思わないのかしら? 前から思ってたけど、あなた自分のことしか考えてないわね?』


 正確には彼の目的……ヒメキアのことしか考えていないのだろう。苦情にもめげずに、ウォルコはキラッと笑い、かっこいいポーズを取った。まずい、調子が出てきている。


「もちろんタダでとは言わないさ。デュロン、俺とゲームをしないか?」

「なに言ってんだアンタ? ついにトチ狂ったか?」

「いや、違うな。正確に言うと、こうだ。俺とギャンブルをしないか? ただし、ゲームの対戦相手はファシムだ。こう見えて俺は慎重派でね、こういう状況もいちおうは想定してきているのさ」

「おい、ウォルコ……それは俺も聞いていないのだが……」

「じゃあ今説明するよ。俺が選んだ、お前たち二人それぞれに最高に相性の良い、潜在能力を最大限に引き出してくれそうな悪魔を憑依させるから、その状態で戦ってくれ」

「……それを今ここでやんの?」

「そうとも! 俺はどっちにも手出ししないよ。ファシムが勝ったら、デュロンとオノリーヌは俺たちと野に下ってもらう。デュロンが勝ったら、そうだな……俺やファシムが、なんでも一つ願いを叶えてあげるよ」

「この男、本当に自分勝手だな……」

「すまん、この人はいつもこうなんだ……」


 げんなりするファシムとデュロンをよそに、ウォルコはアクエリカに尋ねた。


「これでどうだろう?」

「いやどうだろうってアンタ……」

『構わないけど、手短にお願いね。わたくしもあなたたちがやらかした外のお片付けを指揮しないといけないし、いつまでも礼拝堂を占領されるのも困るのよ?』

「マジか……?」


 今の話のどこに魅力を感じたのかは知らないが、アクエリカがそう言うのなら仕方がない。

 我が意を得たりとばかりにしたり顔のウォルコは、自信満々に振り返ってくる。


「だってさ、どうするデュロン? もちろん断ったっていいんだぜ?」


 底意地のわりーこって、と苦笑するしかない。この提案はむしろ親切心の賜物だ。

 ウォルコとファシムが問答無用で襲いかかってきたら、デュロンに勝ち目はない。

 あるいはデュロンが悪魔の力と親和性の低い切り札を持っていた場合、それを使わせにくくするという意味も少しはあるかもしれない。

 ウォルコがなにを試したいのか知らないが、今はその思惑に乗るしかない。

 礼拝堂の真ん中でファシムと対峙するデュロンは、少し考えてから口を開いた。


「そうだな……〈狂奔鷲獅クレイジーグリフォン〉っていうのはどうだ?」

「なにを言っている?」

「アンタたちのコンビ名だよ」

『ダッサ……』「ダサいな……」「デュロン、俺は良いと思う!」

「おーおー、大好評のようで嬉しいぜ。今後は二人でそれを名乗って活動してくれよな」

「……つまり?」

「わりーが俺はアンタたちと違って、まだまだ教会でやることがある。姉貴を巻き込むわけにもいかねーし、二人で勝手に出てってくれよ」

「そう遠慮するな。教官は今日で辞任するが、道中貴様に個別指導の続きを施してもいい」

「それはそれで魅力的な提案だが……アンタも知らねーわけじゃねーだろ」


 軽い準備運動の後、前屈みに構えて、人狼は決闘の流儀を果たしておく。


「俺の名はデュロン・ハザーク。ここミレインの祓魔官エクソシストの間では、〈教官殺し〉と呼ばれてる。ちょうど今夜は月末だ、アンタをブッ飛ばすチャンスは、どうやらこの場が最後のようだぜ」


 実力差は歴然だ、そんなことは嫌というほどわかっている。

 しかしどうしても勝たなければならない。

 敗ければ姉貴以外の全員と、ヒメキアとだって、ここでお別れなのだから。

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