第356話 さすがに「今日は十月末日だから」で説明できる範囲を超えてるんよ
「……つーかおい、なんだこのハゲは!? ジュナスの器を作ったつもりだったんなら、なんで髪くれえ生やしてねえんだ!? 聖典ちゃんと読んでんのかお前ら!? 俺らだってよお、どうせならフッサフサの美男か美女に憑依した……」
聖堂の中で悪魔が発する言葉など、内容問わず冒涜だ。
それを封じるためというわけでもないのだろうが、ウーバくんの口が閉じ、そればかりか全身が灰色の硬い質感へと変化して、完全に動きを止めていく。
デュロンが視線を向けると、ヴェロニカは苦み走った顔で、外していた眼鏡をかけ直すところだった。
緊急措置として
ザカスバダクの例からも、悪魔が依代の状態異常を治すことが可能なのはわかっている。
しかしウーバくんは何秒経っても石像のままだ。
憑いていた悪魔が内部に封印されるような形になっているか、あるいは異界に帰っていったか、どちらかではあるはずだと、デュロンは思ったのだが……。
次の瞬間、床の縦穴からイザボーが姿を現し、切羽詰まった様子で叫んだ。
「おい旦那方、あんたたちいったいなにをやったんだい!? 街が大変なことになってるよ!?」
「……なんだ、これは? なにが起きている?」
同時刻、〈聖都〉ゾーラ某所。まとわりついてくる飼い猫たちを体ごと持ち上げて起き上がり、エルンスト・ペリツェは呻き声を上げていた。
彼が所管している〈教会都市〉ミレインの野良猫たちが、何者かによって一斉に支配権を上書きされてしまったのだ。
他者の使い魔を乗っ取るには、通常は当該魔族を殺害する必要がある。
その手続きを無視して、しかも高位吸血鬼であるペリツェから強引な奪取を可能としたということは……。
「上位存在……悪魔の仕業か!」
悔しいが、こうなっては彼にはどうしようもない。恥を忍んで、現地のアクエリカに対処を要請するしかない。
しかし結論から言うと、それはすでに行われていた。
想定したより参加者が多くなったため、パーティ料理が足りなくなったということで、ネモネモに頼まれた二組が、ミレインの街へ買い出しに出ていた。
一組目はリュージュ、ギデオン、フミネ、ミュール。二組目はサイラス、ブルーノ、エルネヴァ、キャネルだ。
おそらく今、二組目も同じ光景を目にしているのだろう、とリュージュは鼻白む。
「おいおい、なんだか前に見たような感じになっているな!?」
「否定しないが、あのときとは規模が違う!」
不運にも今夜は、比較的出歩いている一般市民が多い。
そこへ来て以前ヒメキアの猫たちがやっていたのと同じように、野良猫たちが無差別に襲いかかり始めたのだ。
すべてが何者かの使い魔であると都市伝説に語られている彼らではあるが、それにしても様子がおかしい。
明らかに制御を外れているし、膂力や魔力がもはや猫の範疇を超えている。というより、彼らが纏うこの気配は……。
「ええい、原因なぞなんでもいい! みすみす被害を見過ごせるか!」
「やる気のようで助かる!」
ギデオンと二人で手近な中たちを、市民たちから引き剥がす。
できるだけ優しく吹き飛ばすが、これはヒメキアが見たら良い顔はしないだろうなと、リュージュはこんなときでも余計な思考に苦笑してしまう。
「おっと、しまった!」
うっかり失念していたが、連れてきていたフミネやミュールも一般市民なのだ。
しかしリュージュが気づいて振り返ったときには、すでに空間踏破で戻ったギデオンが、しっかりと二人を庇っている。
そして他の同僚たちも、事態に気づかず手をこまねいているほど間抜けではない。
寮からパーティを中座し、あるいは教会から職務を中断して、続々と街へ出てきて職務を果たす。
しかしこいつは参った。かわいいにゃんこが大はしゃぎ、で済むレベルではない。もはや立派な
対症療法も必要だが、原因を根治……とはいかずとも、誰かが全体を見てやらねばなるまい。
そしてそれができるのが自分であると、リュージュは確信していた。
「なるほど、こいつは便利ね!」
「ありがとよ〜。やっぱ固有魔術を褒められるってのが一番嬉しいぜ〜」
魔族にとっては能力と性格を同時に肯定されるようなものなのだ、その気持ちは一入だろう。
ブルーノがシガーカッターで躊躇なく切り落とし、投げて寄越した右手の小指を齧りながら、彼と一緒に〈
ただでさえ筋肉の塊でありながら柔軟ですばしっこく、その上謎の力で強化されている野良猫たちを捕捉するには、いかに身体能力に優れていようと、素手ではいささか厳しいものがある。
その点「影の手」は魔力の燃費効率抜群で、射程や範囲も数の調整で簡単に広げられる。見た目が禍々しいのが玉に瑕だが、遠慮している場合ではない。
「ハッハア!「おいちょっと待て!」「そこの前髪野郎!」「お前見たことあるぜ!?」
粗暴な口調で馴れ馴れしく話しかけてくる、かわいい小動物の群れに対処するというのは、あまり慣れているとは言えないのだから!
「サイラスくん、お知り合い!? え、つーか、なんなの!? どういうこと!?」
「あー……落ち着くね、ブルーノ。こいつらに憑いてる存在の正体がたぶんわかったね」
エルネヴァとキャネルに向かって動く数匹を心を鬼にして叩き落としつつ、屋根の上を並走するブルーノに説明するサイラス。
「くっ、猫好きには辛い作業だね……オイラは元〈永久の産褥〉だから、こいつらを崇める教派が、短時間だけこいつらの召喚に成功するところに、たまたま居合わせたことがあったね。というか、仮にも体系化された悪魔崇拝教団で幹部やってたからね、第五十までいる悪魔たちについて、だいたいの情報は頭に入ってるね。こいつらは第五十の悪魔……属性は
「ピリオド……? そいつは
「んー、たぶんないと思うね。悪魔ピリオドは羊皮紙に貼り付く蚤の姿が句点に似てるとか、そんなような由来だと聞くね」
「なるほど、じゃ全然別か……それよりさっきから『こいつら』って言ってるけど、どういう存在なんすか?」
「ピリオドは
「今、運動と魔術に意識割いてるのに、新しい用語出すのやめてくれる!?」
「極力手短に話すね。転移ってのは一旦憑依した悪魔が、別の依代に乗り換えることを言うね。普通の悪魔だと結構条件が限られてるはずなんだけど、ピリオドくんだけはそんなん関係なくガンガンピョンピョン跳び渡ってくね」
「理解〜! じゃ遍在ってのは!?」
「悪魔が個体でなく集団に対して憑依する現象のことね。魔族がいっぺんに複数の使い魔を動かすようなものだね。これに関しても他の悪魔だってできるはずなんだけど、少なくともオイラは初めて見るね」
「理解完了! で、どうするよ!?」
「ちょっと待つね。なんだか妙だね……さっきからもう十分以上経ってるね? いくらなんでも憑依時間が異常に長い……もしかしたら普通の召喚方法じゃないのかもしれんね。ブルーノ、お前、この街の路地裏なんかはよく知ってるね?」
「俺がどこの何稼業の誰か知ってて言ってる?」
「頼もしい限りね! オイラお嬢二人を守ってるから、術者探しはお前に任せるね!」
「そっちの方が美味しい役じゃねぇの〜。まぁいいや、たまには堅気の皆さんにご奉仕させていただきますぜ!」
雨雲のように蠢く影に乗り、高速で移動していく彼を見送りながら、サイラスは前髪の下で遠い眼をした。
出掛けに確認したが、ヒメキアは彼女の猫たちに、寮でしっかりガードされているので、まず安心だろう。
しかしそれを踏まえても、デュロンはこんなときに、いったいどこでなにをしているのだ?
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