第354話 多少マシな牢獄

 さすがに最低限の説明をする必要はあると思い直してくれたようで、ウォルコは長椅子の上で脚を組み、どうぞとばかりに手を差し出してくる。

 促されたはいいものの、デュロンはなにを訊こうかと散々迷った。この半年間、どこでなにをしていたのか。こうして戻ってきたということは……彼のことだ、ヒメキアを教会から奪い返す新たな算段が立ったのだろう。いや、それ以前に……。


「アンタたち……いったいいつから手を組んでたんだ?」


 デュロンの第一声は、半年前の〈恩赦祭〉でウォルコとギャディーヤの共闘が露見したときに、口を突いて出たのとほぼ同じ文言だった。

 あのときは揶揄からかうようにはぐらかしたウォルコだったが、今回は本当に悩ましい様子で苦笑を返してくる。


「難しい質問だな。まあ、少しは余裕がある、一つずつ整理していこうか。

 俺とファシムが会うのは今日が一度目、この件で初めてご一緒させていただきますってやつだな。

 噂は聞いてるし、実力の方も……こうして顔を合わせればだいたいわかる。信用しても良さそうだ」


 同感のようで頷くファシムを一瞥し、ウォルコはデュロンに視線を戻す。


人土竜ワーモウルのイザボーが俺の侵入を手引きしてくれた意味はわかるよな? 彼女は今やアクエリカの手下だ。さすがに直接顔を出すことはしないようだけど、アクエリカがこの場を黙認していることは理解できると思う」


 ボクもいるぞ! とばかりにヴェロニカがアピールするので、ウォルコは彼女に手を振る。


「俺がアクエリカに出会ったのは、去年だったかな、たまたまゾーラに行ったときだったね。半年前に俺が仕掛けた〈永久の産褥〉関連のゴタゴタはさ、計画自体は俺が考えたものだけど、実行を嗾けたのはアクエリカだ。

 前後関係を鑑みれば理由はわかる。俺たちが市内で暴れたことで、前任ミレイン司教は罷免された。後釜に座ったのがアクエリカだよね」

「つまり、姐さんはそれが目的だったってことか?」


 教区司教や枢機卿への任命要件自体は、まったく関係ない自前の功績で満たしていたのだろうが、故郷に近いミレイン教区司教への凱旋就任を成立させるためには、そういうカラクリが必要だったのだろう。

 なにか引っ掛かるものを覚えつつも、デュロンは話の続きを黙って聞く。


「今回も似たような感じだろうね。ファシムが〈聖都〉ゾーラの上層部から、どういう因果を含められて異動してきたのかは、もはや関係ないから俺は訊かないよ。今こうして彼がアクエリカの思惑に沿って動いているという、結果がすべてを物語ってるからな」


 違和感の正体に思い当たり、デュロンはそのまま口に出す。


「いや……そんなの、偶然の要素が強すぎるよな? もし半年前にアクエリ姐さんがミレインの司教に任命されなかったり、もしファシムが半月前にミレインの教官に任命されなかったら、姐さんはどうしてたんだ?」


 ウォルコとファシムは、ずいぶん力を抜いた表情で顔を見合わせている。


「そりゃ、あれだ。今回は仕方なかったねって言って、次の策を練ってたんじゃないか?」

「もしも猊下の企てられたことがなんでもかんでも成功していたら、彼女は二十歳になる前に教皇就任を果たしていただろうな」


 考えてみれば当たり前のことなのだが、デュロンたちはアクエリカがほくそ笑む場面ばかり見ているだけで、その裏では何倍もの建策と頓挫が繰り返されているはずなのだ。

 当たりを引くには試行回数を増やす必要があり、たまたま首尾よく収穫できた実りが自他から「奇跡」と呼ばれているのだろう。


「で、こっから今回の肝ね。もう気づいてると思うけど、そこにおわします尊きウーバくんを、アクエリカを通じてヴェロニカに発注した依頼者っていうのがファシムだ」


 水を向けられた蛇髪精ゴルゴーンが、炎熱長人ガルーダに向かって舌を出す。


「まったく困ったものさ。いくら天才のボクであっても、納期が今夜だ、ずいぶん難儀させられたんだぜ?」

「俺がこの街に来る前に、あらかた完成していたと猊下に聞いたが……」

「わかんないおじさんだな〜、それは基礎が組み上がってたって意味だよ。細部を詰めるのに難儀したって言ってんの!」

「そうか、すまぬな。俺はわからないおじさんなので、天才との接し方もわからんのだ。ガラガラとおしゃぶり、どちらを使えば貴様を効率的にあやせるか教えてくれるか?」

「この人ほんと皮肉ベースで喋ってきて超苦手なんだが!? ボクなんか悪いこと言った!?」

「どうやら記憶力がずいぶん犠牲になっているようだな」

「そういうあんたは優しさがないよっ!?」


 どうもそりが合わないようで、言い合う二人を横目で見ながら、ウォルコがデュロンに苦笑してくる。


「お前たちも指集めに協力してくれたそうじゃないか。つまり言い方は悪いけど、お前はすでに俺たちの計画に加担してることになっちゃうんだよね」

「それは構わねー、元からまともな仕事に手を染めてたつもりなんかねーよ。それよりウーバくんってのは結局なんなんだ? あいつを使って強行突破を試みるのか?」


 いまだ沈黙を守り説教檀に鎮座する男を見ながら、ウォルコは後ろ髪を搔き毟る。


「いいや。色々考えたんだけど、つまるところ、俺がどんな方法でヒメキアを攫おうと、教会が追手を寄越し続けることが問題なわけで。要は教会がヒメキアの存在を求めなくなり、彼女を囲い込むことを自ずとやめる。そういう素地を整えるのが先決だと、まあそんな方向性にシフトしたわけなんだよね」


 デュロンが天才生体錬成博士に視線を向けると、したり顔で天才な説明を授けてくれる。


「ウーバくんの正式名称は『ウーバーツヴィンガー』って言うんだけどね。『肉体は魂の牢獄である』って言説を聞いたことはあるだろう? ウーバーは『上の』、ツヴィンガーは『檻』。意訳すると『多少マシな牢獄』ってところだろうか。つまりはそういうことなのさ!」


 ますますわからなくなったデュロンが咄嗟にファシムを見ると、教官はこういうときは辛抱強く親切だった。


「そもそもヒメキアがこのジュナス教会で重宝されている、おそらくは最大の理由を覚えているか?

 彼女はその顕著な治癒能力によって、救世主ジュナスの再来……あるいはかの御方が保持した権能の一部を再現できる存在と見なされている。

 どちらかというとその象徴性を持て囃されているわけだが……仮にかの御方その人を地上に呼び覚まし、畏れ多くも受肉状態の定着を可能としたならば……。

 そうなればジュナス教会はもはや、ヒメキアをあえて繋ぎ止める理由があるか?

 かの御方の名を冠する教会の中心に、かの御方その人がおわしますというのに、その上で代わりとなる聖者があえて必要か?」


 この熱弁ぶりは間違いない。アクエリカが言っていた、ファシムの信仰上の目的というのは、まさにこれなのだ。


「ウーバーツヴィンガーは……なので、俺がこうしてかの存在を呼び捨てにできるのは、まだ空っぽである今だけだ……彼はつまり、神の依代そのものなのだ。正確に再現できているかはわからないが……仮に多少間違えていようと、神が自らお直しになるだろう。救世主ジュナス様は、回復術も錬金術も超一流であるゆえに」

「ボクの仕事に不備があるって言いたいのかい!? それより自分の心配をしなよ!? ここまで後押ししてやってるのに、ジュナスの召喚に失敗したらキミの責任だからな!?」

「不敬だぞ、様を付けろデコッパチ」

「なぁんだいその言い草は、この天才に向かって!? 残念でしたー、女で額が広いのは純粋に美点なんですぅー! そこも自分の心配だけしろ、ロン毛のハゲにしてやってもいいんだぞ!?」

「やれるものならやってみろ。俺の毛根は貴様の想像より千倍強いぞ」

「それ普通は戦闘力で言うやつじゃない!? ほんとにハゲる薬かけちゃろか!?」


 ファシムとヴェロニカが不毛な言い合いをやめると、礼拝堂内が不意に静まり返った。

 もしかしたらデュロンに気を遣って、わざと騒いでくれていたのかもしれない。


 彼らの計画がなにを意味するか、さすがのデュロンも理解せざるを得なかった。

 いつかこのときが来ることはわかっていた。

 ガルボ村の温泉でサイラスに語った、「ウォルコに戻るならそれも良し」というのも嘘ではない。

 しかし……やはり堪えるものがある。

 ウォルコがゆっくりと立ち上がり、躊躇いがちに口を開いた。


「デュロン、お前をここへ呼んだのは……お前には立ち会う権利がある……いや、お前にそうしてほしいと思ったからだ。この半年間、ヒメキアを守ってくれてありがとう。だからこそ、そのお前から彼女を引き剥がすような真似は、俺だってしたくてやるんじゃない。だけど……」


 そこまで言われたところで、ようやく閃きを得たデュロンは、その先の言葉を手ぶりで制した。

 ヒメキアとはここでお別れとなる。ただし、その後に最速でアクエリカをゾーラ教皇に担ぎ上げ、〈銀のベナンダンテ〉の撤廃を実現すれば、全員が晴れて自由の身となった上で、ヒメキアとウォルコに再会することも可能となる。

 アクエリカがその盟約の成立を再三強調していたのも、こうしてヒメキアが先に離脱することを見越してのことだったのかもしれない。


 いずれにしても道は険しい。だったらなおのこと、落ち込んでいる暇などない。

 半年間の思い出が去来する中、悲しみで歪みそうになる顔に精一杯の虚勢を湛え、デュロンはなんとか笑ってみせた。


「気遣いありがとよ。見届けさせてもらうぜ、俺たちの救世主が降臨する瞬間をな」

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