第353話 時間はあまりない、早速本題に入ろう
エヴロシニヤとドラゴスラヴは、二人して満面の笑みで、さも当然かのように相席してくる。
さすがのドルフィも真顔で硬直している中、奴らの正体を知らないムラティだけが平常心で穏やかに尋ねた。
「あれ? みんなのお知り合い〜?」
ドラゴスラヴの顔をチラッと見たエヴロシニヤが、振り返って元気に答えている。
「えっと……そ、そうなんです! 最近知り合ったばかりで!」
「そうなんだ〜。わたしブルーノの姉のムラティです〜。うちの子とも仲良くしてもらってるんですか〜?」
「もちろんだとも! ブルーノくんには、うちのエーニャがずいぶん世話になっているようで、感謝してるんだ! な、ブルーノくん♡」
笑顔で威圧してくるドラゴスラヴだったが、彼の思ったような効果は出せなかったようで、ブルーノは悟りを開いたような表情で、一周回って冷静に対応している。
「いいかい、イニシャルDのあんちゃん。今俺の情緒はめちゃくちゃになってる。これ以上掻き回してくれっと、そのうちいきなり小便漏らすかもしれねぇが、そんときはあんた俺のオムツ替えてくれるってことでいいんだよなぁ!?」
「なに言ってんの? お前オムツ穿いてんの?」
「フッ……心にオムツを穿いていると言ってもいいかもしれねぇですぜ」
「兄様兄様、ブルーノくん壊れかけてるよ!」
「アンタたち来るタイミングが悪かったな、今こいつ色々正常じゃねーんだよ」
攻めあぐねるホストハイド兄妹に対し、あまり状況についていけていないヒメキアが、周回遅れで並んだとでも言うべきか、逆に普通に話しかけている。
「二人とも、こんばんはです! ねこになっててごめんね、あたしヒメキアだよ!」
「うわわ! ヒメキアさん、とってもかわいい! その着ぐるみちゃんは手作りですか!?」
「ううん、お店で買ったの! エーニャちゃんも赤いずきん似合ってるよ!」
「えへへ、ありがとう! 照れちゃいます!」
それを見ていて、デュロンも徐々に冷静になってくる。
考えてみればもはや(アクエリカが余計なちょっかいを出さない限りは)エーニャと敵対する理由はないし、ドラゴスラヴに至ってはそもそもどちらかというと味方寄りの立ち位置だとすら言える。
視線を感じたようで、Dの字がDの字を振り向いて口を開いた。
「あぁ、そう構えんな。別に御礼や挨拶に来たってわけじゃねぇ、本当にたまたま近くを通りかかっただけだ。こいつがミレインに遊びに行きてぇって、急に言い出すもんでな。お姫をこっそりお屋敷から連れ出したって寸法なんだわ」
「に、兄様! それじゃわたしがわがままな妹みたいじゃない!」
「いやわがままな妹じゃねぇか」
「ぶー!」
「ふふ〜……お二人、仲良し兄妹なんだね〜。でも、わたしたちも……」
あっ、この流れはヤバい……と悟ったらしいブルーノが脱兎のごとく逃げ出したが、ムラティは「もう、照れなくていいのに〜」と、おっとり微笑んだまま腰を上げない。
かわいい弟を捕まえて甘やかすことくらいいつでもできるということなのだろう、やはり姉という生き物に敵う気がしない。
一方、ムラティの手前なのだろうが、完全に仲が良い
「デュロン、修行は進んでるか? なんならまた俺が相手してやってもいいぜ?」
「破格の申し出だが、遠慮しとく。今の俺じゃ何度やったって同じだ」
「いいよね〜、男の子のライバル関係って〜」
「それがですね、ムラティさん! 女の子のライバル関係も結構いいものなの! です!」
「エーニャ、お前あんま喋ると余計なことポロッと言うから食うのに専念……」
「エーニャ!? あんたなんでここいんの!?」
「ぎょえーっ!? 兄様兄様、レイシーちゃんによく似た白髪のお狐様が話しかけてきたよ!」
さっきまでドルフィが立っていたあたりにエーニャの親友が現れたせいで、ますますややこしくなってきた。
そしてドルフィがブルーノについて行ったことにムラティが気づいてしまい、
「ヒメキア、俺帰っていいかな?」
「デュロン落ち着いて! あたしたちこの建物に住んでるよ!」
そうだった。誰かここから連れ出してくれないかと、デュロンはこの居心地の良い寮で、今まで一度も考えたことのない願いを抱くに至っていた。
そして幸か不幸か、それはすぐさま叶えられる。
先ほどのいちごパフェハザードとはまた異なる意味で、食堂内がざわついていた。
騒がしくなるというよりは、どちらかというと少し静かになるタイプの雰囲気だ。
ファシム・アグニメットはいつも通り、制服の裾を翻し、浮かれた魔族たちの間を縫って、靴音を鳴らし歩いてくる。
驚いた皆が道を開けるが、別になにか咎めに来たわけではないようで、ファシムは特に怒っている様子ではない。
というか……気のせいだろうか? この男、なにか……緊張しているように見える。
そしてそれはホストハイド兄妹の姿を見つけたからではなさそうだ。
普通に馴染んで肉を貪っているドラゴスラヴ、お菓子に夢中なエヴロシニヤ、怯えた様子で見上げるヒメキアを、ファシムは無表情でそれぞれ一瞥し……最後にデュロンをまっすぐ見据えて言った。
「パーティの最中にすまん。今、抜けられるか?」
黙って腰を上げるデュロンを横目に、ドラゴスラヴがようやく肉から口を離した。
「おうおう、なんか面白ぇことが始まる予感がするなぁ。俺もついてっていいか?」
好戦的な笑みを浮かべる彼を、ファシムはあっさりと受け流す。
「貴様が関わると、間違いなく面倒なことになる。そもそも教会関係者でもないのだ、ご遠慮いただきたいものだな」
一触即発の空気になるかと思いきや、ドラゴスラヴはあっさり引き下がった。
「ちぇっ、ケチくせぇな。まぁいいや、ここはデュロンに任せるとしようか。気張りなよ、狼くん。もしかしたら今日は、運命の分かれ目になるかもしれねぇぜ」
「……アンタ、なんか知ってんのか?」
「いいや、なにも。ただ思いつきで喋ってるだけだ、気にしてくれんな」
嘘は言っていない。まあいい、行けばわかることだ。せめてもの礼儀として、デュロンは困惑気味のムラティに声をかけた。
「急な仕事が入ったみてーだ、誘っといてわりーな」
「う、うん、わかったよ〜。お疲れ様〜」
そうしてデュロンが無言で拳を突き出すと、ヒメキアが着ぐるみの手を軽くタッチしてきた。
今の二人は、それだけで通じ合える。この点だけでも、それなりに成長したと思いたい。
二人の様子をファシムは、複雑な感情をもって眺めているようだった。
「……」
「……」
元々仲が良いわけでも、性格的な相性が良いわけでも全然ないため、先行するファシムも、ついていくデュロンも、ひたすら無言で回廊を歩き、一つの部屋へ入っていく。
ミレインの司教座である聖ドナティアロ教会にはいくつかの礼拝堂があり、その中でもっとも大きいと思われるのが第三礼拝堂だ。
摺鉢状に奥まる天井の頂点には丸い天窓が嵌まっており、今は降り注ぐ月光を取り込んでいる。
長椅子が整然と並ぶ正面奥には説教壇があり、そこには見覚えのある姿が腰掛けていた。
ただし、そいつはおそらく生きてはいない。だが死んでいるのとは違う、命を吹き込まれる前なのだ。
身長約二百五十センチ、禿頭で筋骨隆々の偉丈夫。培養槽から出され、法衣を着せられたその男は、瞑想するように瞑目したまま、静かに覚醒のときを待っている。
「お、おい、一体……」
「しっ」
デュロンが発しようとした問いを、ウーバくんの傍らに立つヴェロニカが、鋭い無声音一つで制した。
普段のふざけた物腰は鳴りを潜め、瞳に知性を湛えた彼女は、唇の前に立てていた人差し指で、礼拝堂の真ん中あたりの床を示した。
そこには不自然に穴が空いており、散らばる土砂からして、ついさっき掘られたばかりのものだとわかる。
デュロンとファシムが入室するのを察したのか、穴からこれまた見知った顔が出てきて、デュロンを見ると苦笑しながら愚痴ってくる。
「やれやれ……せっかくの〈記念日〉だってのに、
彼女はイザボー、四月の〈恩赦祭〉ではサイラスの依頼でデュロンたちを暗渠に落とす罠を張り、七月の〈ロウル・ロウン〉ではベナクに悪魔を憑けて暴れさせた
この二例からもわかる通り、〈教会都市〉ミレインは、地下からの侵入が結構ザルだったりする。
この二例を受けて防備は強化されているはずだが、逆に言うとその管理側の指示で招き入れれば……。
……しかし誰を? という疑問には、ファシムが答えてくれる。
彼が無言で指差すのは、並ぶ長椅子の右列最後尾。
入ってくるときには死角になっていた位置だ。
何気なく振り返ったデュロンは、吐こうとしていた息を吸い込んでしまった。
信徒の一人であるかのように自然かつ、大胆不敵で、気障ったらしく腰掛けるその男は、少し伸びた栗色の髪も、変わらず澄んだ浅葱色の眼も、以前より野性味溢れる覇気を湛えている。
ウォルコ・ウィラプスは、まるでジュナス教会から除籍されたことも忘れて、フラッと遊びに来たかのような、気楽な口調で話しかけてきた。
「やあデュロン、急に呼び出してごめんな。
この半年で、お互い積もる話もあるだろうけど……。
時間はあまりない、早速本題に入ろう」
そうは言っても、いくらなんでも、せめてもう少しだけでも状況把握の
デュロンにわかるのは……どうやらこれは、只事ではなさそうだということだけだった。
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