第348話 シスコンはシスコンに通じる
ミレインに帰る前に汗を流したい、と言い出したのはレイシーだった。
〈
さすがに温泉というわけではないが、戦闘後の火照った体には、冷たい清流は逆にありがたい。
岩場を隔てて三ヶ所あり、手前が男用、奥が女用、真ん中がいちおう共用ということになっていたらしいのだが。
「あー、真ん中は結局ほとんど誰も使ってなかったわね……」
「だろうな。なんか……なんていうか、こえーからな」
「そうか?」
「ギデオン、いいからテメーは帰れ。で、ガルボ村の人らにあんま迷惑かけんな」
シュン、と姿を消す赤帽妖精を見送ったレイシーは、皆に向き直って促した。
「じゃ、さっさと分かれて入りましょ。あっ、覗きとか絶対ダメだからね!」
「頼まれたって誰が見ますかい、お前みてぇなちんちくりんのすっとんとん」
「そういう発言はどうかと思うぞ……」
「まったくね! どこ見て言ってんのかしら」
「おー、もっと言ってやれ」
「あたし十四歳にしては、結構ある方だと思うんですけど!」
「そういう発言もどうかと思うぞ!?」
放っておくといつまでもレイシーと言い合っているので、デュロンとイリャヒはブルーノの首根っこを掴んで、男用の水場へ引きずって行った。
三人各々軽く体を洗っている最中、ブルーノがひたすらため息を吐いていて鬱陶しい。
「はぁ……男の裸とか見ても一個も面白くないんすけど」
「なんでお前はそうやってみんな思ってることをわざわざ言うわけ?」
「総意の代弁というのも、大切な役割かと」
「そうそう。ところでイリャヒさんガリガリで貧相だね」
「今なんでも言っていい時間ってわけじゃねーからな!? ブルーノお前、自分が言われて嫌なことを
嗾けるのも違う気はするが、イリャヒがやけに余裕で笑っているのが気になる。
「ふふ、いいじゃないですか。積み上げた努力そのものを振りかざすのは、実力の足りない弱者の特権ですからねえ」
「……あれ? 俺もしかして今、固有魔術の強度でマウント取られてますかい?」
「いやいや、ほら、まだ覚醒ってやつが控えてるわけじゃないですか。期待してていいんじゃないですかね、知りませんけど」
「自分にゃそんなもん必要ねぇ、発現時点から上澄みだって言ってるように聞こえちまいますぜ、言葉に気をつけなよ」
「おや? それは失礼しました。そういうふうに言ったつもりだったのですが、正確に伝わらなかったようですね」
「これだから吸血鬼は傲慢でいけねぇや」
「
「なんだよ……」
「なんですか?」
「……」
「……」
「〈
「〈
「やめろバカお前ら」
「「ぐえっ!?」」
二人まとめて頭を押さえつけて水中に叩き込み、ことなきを得て一息吐くデュロンだったが、知った声が響いたので、思わずビクリとしてしまう。
「デュローン! そこにいるー?」
「お、おう。どうした、ヒメキア?」
「あのね、ヨハネスがそっちに行ったみたいだから、見ててあげてー!」
「そ、そうか。わかった」
「ありがとー!」
今相手が裸かもしれないことを考えると、何気ないやりとりにも緊張する。
ブルーノとイリャヒはそうでもないようで、不機嫌そうに髪を拭きながら、平常心で会話していた。
「あ〜、ヨハネスくん男の子だからね。女の子と一緒に水浴びするのは良くないって思ったのかもしれませんや」
「だとしたらギデオンより猫の方が公共空間における風紀を弁えていることになり、複雑な気分ですね。デュロン、ヨハネスをお迎えに行ってあげなさい」
「ん、あ、そうだな。でもお前ら、俺のいない間に喧嘩……」
言いかけて振り返ると、二人は早速青筋立てた顔面を掴み合っていたので、好きにやらせることにして、デュロンは手早く体を拭き、少し歩く。
ヨハネスは共用水場の前で、お行儀よく座って背中を見せていた。
「おう、ここにいたのか。どうしたんだ?」
デュロンが話しかけると、ヨハネスは振り返って「にゃん……」となにか言いたげに鳴き、再び水面を見つめる。
そこには不自然な気泡が湧いていて、ヨハネスはそれが気になるようだ。
デュロンが一歩近づいた途端、潜水ワニさんが正体を現した。
「わっしょーい!!」
景気のいい掛け声とともに、全裸かつ笑顔で勢いよく水から上がってきたドルフィだったが、相手が誰だか気づくと慌てて両手で胸を隠し、みるみる顔を真っ赤にして、しどろもどろに言い訳らしきものをしてくる。
「って、ウワーッ!? デュロンくん!? わわ、わたしてっきりブルーノくんに……い、今のはなかったことにしてくださーいっ!!」
ダッシュで駆け去る彼女になにも答えられず、しばらく硬直していたデュロンは、心配そうに足元をウロウロしてくるヨハネスの様子で動きを取り戻し、後ろからかけられた声に慌てて振り返った。
「デュロンくん、どうかした? なんかあったの?」
同じく服を着てきたブルーノに対して、そこまでやましいことがあったわけでもないはずだが、しどろもどろに答えるデュロン。
「い、いや、なにも……お前こそどうした?」
「イリャヒさんとは痛み分けになったんでさ、こっち来たんよ。おっ、ヨハネスくんじゃん。偉いね〜、紳士なネコだね〜」
「にゃふっ……」
警戒心の強いヨハネスにしては珍しく、今日会ったばかりのブルーノの手に、控えめながらスリスリしている。これにはヒメキアもニッコリだろう。
「ブルーノ、少し話そうぜ」
「いいけど」
デュロンとブルーノは靴と靴下を脱いで座り、足だけを水に着けてジャブジャブ蹴った。
濡れるのを嫌ったヨハネスは、二人の後ろをウロウロしている。
今夜は月が綺麗だ。星空を見上げながら、二人は取り留めのない駄弁に興じる。
「レイシーちゃんも大概だけどさ、エーニャちゃんも強かったよね。やっぱ生まれや育ちの良さなのかね、あー妬ましい恨めしい」
「また悪いとこ出てんぞ……あんとき俺からはあんま見えなかったんだけどよ、最後にほら、エーニャがファーって浮いてったとき」
「あ、わかった?」
「やっぱそうなんだな……」
「うん。あの独特な雰囲気は、一回見たら一発で覚えるぜ」
「マジか。覚醒……しかけてたよな?」
「そう、だからさ、俺がすげぇ必死で封じ込めにかかったのわかったでしょ? 我ながらだいぶ無理して短期決戦に持ち込んだよね、あれ」
「あの子の固有魔術がどうなるか、なんとなく想像つくんだよな……」
「たぶんそれ当たってると思う。いや〜、やっぱいきなりホストハイドと当たるとか勘弁してほしいわ〜」
ひとしきり盛り上がったところで、デュロンは断りを入れて腰を上げ、停めてある帰りの馬車へ向かった。
ブルーノとの魔術合戦で相打ちになって不貞寝していたようで、片脚を伸ばし片膝立てて座っているイリャヒが、左眼を開けてまたすぐに閉じる。
「なにお前、あんだけ啖呵切っといて負けたの?」
「勝ちましたけど?」
「本当は?」
「勝ちましたってば」
軽口を叩きながら自分の荷物を漁ったデュロンは、目当てのものを手に入れて、共用水場に帰っていく。
ぐだーっと寝そべりながらヨハネスの相手をしていたブルーノと眼が合い、次いで彼の視線はデュロンが持つバスケットに移って、勢いよく体を起こしてきた。
「おっ、なにそれ、俺も食っていいやつ?」
「ああ。こういう宵越しの任務になると、姉貴が夜食を用意してくれんの。甘やかされてて良くねーとは思うんだけどよ、厚意蹴るのはもっとダメだし」
「いいんじゃねぇの? ……デュロンくんはさ、その、あれだよ……」
「なに?」
「ほら、なんつーの……俗に言う……シス?」
「コン?」
「ってわけじゃないけど、みたいなみたいな」
「お前なんでそこだけゴニョゴニョすんだよ」
「いや
「お前の羞恥心の基準全然わかんねーわ」
幸い猫にも食べられるおやつなため、ヨハネスにも分け与えて好感度を上げつつ、ヒメキア特製のお茶を飲んで一息吐いたところで、デュロンは気になっていたことを切り出した。
「お前最近お姉さんには会ってんの?」
「えっ、なっなっ、なんなの急に」
「なんでこの話題だけ
「この前街ですれ違った女のおっぱいが、もうバインバインでさ〜」
「わかったから。ムラティさん全然お前の話しなかったけど、別に仲悪いわけじゃねーんだろ?」
やけにしおらしくなったブルーノは、ヨハネスを両手で撫でながら、ぽつぽつと本音を喋ってくれる。
「……あの人、公務員なわけじゃん。俺みてぇな薄汚ぇ
「でも、だからって別に会うのまで控えなくてよくね? 住居も別々なんだろ?」
「どっちも宿舎だね。いや、いいんよ。俺は、遠くからこう、見守ってさ、元気にしてんな〜ってのがわかればいい派だからさ」
「ファンじゃねーんだからよ、なんなんだその距離感」
「でもなんかそのあえて会うみたいなきっかけっていうか機会がないっていうかその〜」
「ここぞとばかりにウダウダ言うよな……会いたくないわけじゃねーだろ?」
「そらもうあれよ、うん。ねっ」
「いや一人で完結すんな、全然わからん。あの人、すげー優しいわけじゃん」
「うん……」
「たまには甘えたくなったりしねーの?」
「えっ!? あっ、はぁ!?」
「どんだけ動揺してんだ……」
「ちょ、おま、デュロンくん、君すっげぇ素直だな!?」
「お前がひねくれすぎなんだよ。弟は姉を一方的に支えなきゃなんねーなんて法がどこにある? 相手はそう思ってんのか?」
「いやだって、でもさ、じゃあなに? デュロンくんはお姉さんに抱きついたりするわけ?」
「いや全然しねーが」
「なんなんだよ!?」
「なににキレてんだよ……あ、でもあっちから抱きついてくることはあるけどな」
「マジなんなんだよ!!?」
「落ち着け、血管切れんぞ。いいじゃねーか、次会ったときにいい子いい子してもらえよ」
「ちょっとさ〜、そういう冗談やめてもらっていいっすか? 俺そろそろキレていい?」
「さっき散々キレてたじゃねーか。それに冗談ってわけじゃねーよ。四日後に俺ら、寮でパーティ開くんだけどさ。そんときムラティさんも呼ぶから、お前も来いよ。で、わー偶然だねー久しぶりー元気だったー? ちょっと痩せたー? ちゃんと食べてる? みてーな感じから、こう、いい流れに持っていけばいいんじゃね?」
「シミュレーションがやけに具体的でキショいのはともかくとしてさ」
「いやマジでマジで」
「えっ。えっ……いや、でも、俺みたいな蛆虫うんこ野郎がいたら会が盛り下がるし……」
「お前自己評価高いのか低いのかわかんねーな……当日はみんな仮装する予定なんだ。わけわかんねー連中がわけわかんねー格好して大勢来るから、お前がいても顔見知り以外誰もわかんねーって。な? なんだったら顔見るだけでもいいから、直接」
「……顔見るだけなら」
「いいか?」
「……うん」
「よし、じゃ決まりな」
その後ブルーノが黙りこくったので、怒らせてしまったかと振り返るデュロンだったが、ブルーノは考えごとをしている様子で、ぼんやり夜空を眺めていたかと思うと、ぽつりと口を開く。
「な〜、デュロンくん」
「おー」
「世界ってさ、平和になるかな?」
「……」
以前ヒメキアも「世界が平和になるといいね、デュロン」と言っていたが、あれとはニュアンスが違う。
それは「俺たちは姉貴を守り切れるだろうか?」という意味なのだ。
イエスともノーとも答えられず、デュロンはただ展望だけを口にした。
「そのためには……俺たちもっと強くなんないとな」
「うん……そうだよね」
「……」
「……」
「なー、ブルーノ」
「なに?」
「……いや、やっぱなんでもねー」
「なんだよ、気になるんですけど」
「いいや。そんときになったら改めて勧誘するから、今はやめとく」
「……そう? じゃ楽しみにしとくわ」
「うん」
美しい夜空は、魔族を少しだけ素直にしてくれるようで、デュロンは今宵の月に感謝の祈りを捧げておく。
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