第342話 この〈支払猶予〉ってやつのお話を、もう少しだけ続けるのでお付き合いくださいね

「おっ、やってますねえ」

「やっている」


 ハラハラドキドキしながらデュロンとブルーノを見守っていたヒメキアは、背後から発せられた声に驚くが、それらが聞き慣れたものであることに気づいて、にっこり笑いながら振り返った。


「ソネシエちゃん、イリャヒさ……な、なにしてるの!?」

「ぐえーっ! 助けてくださいヒメキアちゃん! この人たちひどいんです!」


 二人の間にはドルフィがいるのだが、鎖でぐるぐる巻きにされて連行されている状態だった。

 一緒にサヨと戦った仲でもあるため、ヒメキアは抗議してみる。


「は、放してあげてよ!」

「そうですよぉ! わたしそんなに悪いことしてないじゃないですか! ただちょっとサヨさんとナキニさんにエロいアレをしただけであって! 戦いなんですよ、勝った方が負けた方になにをしたっていいでしょ!?」

「聞きましたかヒメキア、彼女はまだクソカルト村の蛮族思考が抜けていないのです。これは帰ったらまた猊下直々に教化し直していただかないといけませんね」

『うふふ〜、楽しみね〜ドルフィちゃん。またわたくしと蜜月の夜を過ごしましょう〜?』

「ハイッ、猊下! よろしくお願いしますぅ!」

「拒否しないところが重症」

「すでにしっかり洗脳済みで、強度を上げるだけのようですね」


 剣呑な会話を努めて聞き流しているうちに、ヒメキアは根本的な疑問を覚えた。


「あれ? さっきアクエリカさんのへびが、ソネシエちゃんとイリャヒさんは馬車の番をするって言ってたのを、あたし聞きました」

『そうよ〜、でも状況が変わったの。二台あった馬車のうち一台は、すでに五人の捕虜を乗せて出発しているわ〜』

「ミュールちゃん! あたしが捕まえた、ねこの女の子もちゃんと乗ってますか!?」

『うふふ、大丈夫よ。どうやら最初からそのつもりだったようで、彼らをわたくしのところまで護送してくれる人たちが到着したの。彼らに任せておけば、あなたたちが捕まえた子たちに対して、ヴィクターたちはおいそれと手を出さないから』

「ヴィクター! またあいつなんだ! なんであたしたちの邪魔をするの!? っていうか、なんでいるの!?」

「ヒメキア、ヴィクターにはやけに辛辣」

「いやしかし、なんだか安心しますね。私はヒメキアのことはこう、天衣無縫というか、天使のような、どこか浮世離れした存在というイメージがあったのですが……普通に嫌いな相手もいるだけでなく、属性や能力で有利な相手には強気に出るという、私たちと同じ普通の魔族なのだと、今回の任務で再認識することができました」


 イリャヒがなにを懸念していたのかよくわからないが、どうやら誉められているようなので、へへ、とヒメキアは笑った。

 反対にアクエリカは少し不機嫌なようで、使い魔の舌をチロチロ出し入れしながら愚痴る。


『わたくしとしては逆でしてよ。ヒメキアやデュロンは性格が素直で、思考や行動が捉えやすい。もしかしたらバカにしているように聞こえるかもしれないけど、これは味方としては連携するにあたり、純粋にメリットなの。二人にはそのままでいてほしいわね。

 一方、いまいち信用できない薄汚い連中は、こうして意味もなくわたくしの予測をすり抜けたかと思うと、はっきり言って有難迷惑を働いてくれる。やはり手を組むのはこれっきりにしたいものね。……正直、ブルーノくんもちょっと微妙なのよね』


 最後の呟きで、ヒメキアにもアクエリカがどの人たちのことを話しているかがわかった。




 鎖で縛られ、馬車の座席に横たわるナキニは、移動中の揺れとは無関係に、全身の震えが止まらないでいた。

 自分が直接危害を加えられることがないとわかっていてなお、眼前の男は強大な威圧感を放ってくるからだ。


「この馬車はあくまで、ミレインの聖ドナティアロ教会まで、てめえらをお届けするための直送便。馬の手綱を引いてるのは御者の爺さんで、俺はただ護衛のために乗り合わせているだけ。

 ……って理屈が〈支払猶予グレイスピリオド〉に対して通らず、下手すりゃ車内から弾き出されちまう可能性すら考えてたんだが、どうやら連行に同道するだけなら『取り立て行為』には該当しねえみてえだな。厳密な条件の解明に協力してくれて、感謝感激クソの雨って感じだぜ、おい」


 高利貸し兄弟の弟の方であるスリンジ・リッジハングは臙脂色の背広に帽子といういつも通りの格好で、ナキニから見て向かいの座席に腰掛けて、床に転がされているプリンピの頬を執拗に踏んづけていた。

 同じように拘束されているターレット、サヨ、ミュールも、鼻白んだ様子でスリンジから視線を離せないでいる。

 こうしてリッジハングを呼び寄せてしまったのは十割ナキニの責任なので、仲間たちには申し訳なく思っている。


「お、おい、ちょっと待ってくれ!」


 床から上がったプリンピの声に、面倒くさそうに返事するスリンジ。


「あ? なんだよ、足置きが喋るんじゃねえ」

「いやそもそも、なんで俺はあんたの足置きにされてんだ!?」

「そりゃお前、ちょうどいい位置に転がってたのと……あとほら、一番傷つけても問題なさそうなツラしてっから、つい」

「ひどくねえ!? 確かに俺は長森精エルフのわりには、全然美形じゃないねってよく言われるけども!」

「自覚があるならなによりだ。そしてどうやらてめえを痛めつけても、お仲間たちは大して堪えねえようで、俺は徒労を嘆く他ねえよ」

「一方その頃、俺の方は感じてた友情が一方通行だったことが、こんな形で発覚したことに対して涙を禁じ得ねえぞ!?」

「なにも泣くこたねえだろ、むしろ幸運に感謝しな。てめえを拷問したところで誰も得しねえってわかったんだから、ミレインに着くまで枕を高くして寝てりゃいいのさ」

「そうしていいんなら踏んづけるのやめてくんねえ!?」

「んーそれは無理、だってヒマだから」

「結局意味もなく足蹴にされるんなら同じことじゃねえか!?」

「そうでもねえさ。俺ってこう見えて、言うほど酷い嗜虐癖はねえのよ。仕事内容に含まれてなきゃ、若い奴ら相手にマジの苦痛を与えるなんてこたあしねえ。そして今回それは俺の仕事内容に含まれてねえ。良かったな、ナキニ」


 急に水を向けられて心臓が止まりそうになったが、なんとか追従の笑みを浮かべる人魚。


「えっあっハイ、そ、そうね、あはは……」

「なにヘラヘラしてんだ殺すぞクソガキ、散々舐め腐った真似晒しといてなんだその態度は? あ? お前、教会に帰依したら連中の庇護下から離れんなよ、マジで司教座の近くに引きこもって、アクエリカにピッタリ随伴しとけ。これは親切心に基づく忠告だ。下手に街ん中歩いてみろ、取り立てとは無関係な、冗談抜きで生まれてきたことを後悔する目に遭うかんな。……聞いてんのかてめえ、返事くれえしろや!!」

「ひゃ、ひゃいっ! ご、ごめんなさ……」

「謝るくれえなら最初から借金踏み倒すなんざふざけた真似してんじゃねえ! なにがカジノで遊ぶ金だ、ケツの青いガキの分際で生意気な! できねえからせめて口で言わせろ。てめえクソアマ、××の××に××××して、豚小屋叩き込んで飼い殺しにしてやってもいいんだぞコラ!!」


 甘かった。直接の取り立てが不可能なだけで、こうして間接的に恫喝することはいくらでもでき、彼らはそのエキスパートなのだ。怖い、ただただ怖い。

 一定以上の強者なら……それこそアクエリカ・グランギニョルやベルエフ・ダマシニコフ……いや、さっきまで戯れていたドルフィやイリャヒやデュロンであっても、こうして胴間声を上げるスリンジの顔を正面から堂々と見返しながら、「ごめんなぴょーん♡ ぷっぷくぷー☆ ぺろぺろりーん♫」くらい平気で言えるのだろうが、所詮は一般市民でしかないナキニに、そんな度胸は到底ない。

 意思に反して涙が流れてくることに対して、自らの怯懦を恥じる彼女だが、せめて嗚咽は漏らすまいと、なけなしのプライドを守るために、必死で奥歯を食い縛る。


 こうして怒鳴られるのは怖い。しかしそれ以上に恐れているのは、ナキニに手出しできないスリンジの怒りの矛先が、ナキニが最近親友になったばかりの、大好きなサヨの方を向くことだ。

 こうして不良同士の集まりに参加したのは間違いだったかもしれない。今までナキニの最大の強みは、天涯孤独で大切な存在がいないゆえの身軽さだった。だがそれも、今はもう……。


 しかし幸いにもスリンジは……リッジハング兄弟は、ナキニや〈紅蓮百隊クリムゾンセンチュリ〉に対し、そこまで大きな関心を持っているわけではないことが、すぐにわかる。

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