第336話 敵意の残り香

「うおっ!? またかよ、今度はなんの震動だ!?」

「また新しいおばけたちが来たのかも!」

「こえーこと言うなよヒメキア!?」


 謎の横揺れで騒ぐデュロンとヒメキアを眺めながら、ブルーノは削がれた攻め気の行く先を探しあぐねていた。

 あまりにタイミングが良すぎる、あの梟を通じて観察している者が、妨害してきたとしか思えない。アクエリカの筋か、それとも……。


 と考えていると、ふとデュロンがブルーノの方を振り向き、無表情で鉤爪による刺突を繰り出してくる。

 額に対する寸止めで済んだのだが、その動きにブルーノはまったく反応できなかった。

 本人もなぜそうしたのかわからないようで、気まずそうに手を引っ込める。


「……わりー、気のせいだった」

「なんすか〜デュロンくん、俺のかわいい顔に発情しちゃった?」

「かもな」

「オイ〜否定しろよ〜」


 不発で終わった敵意の残り香を、敏感に察知したようだ。やはり簡単な仕事ではなかった。以降は警戒されて通用しないだろう、今回は保留のまま終わらせた方がいいかもしれない。


 ウォルコ・ウィラプスがヒメキアをミレインから連れ出すことを一旦やめたのは、二人とも幸せに生きるという前提条件が存在するからだろう。

 逆に言うとそんなものをまったく望まず、教会の刺客に追い回される自分の命を諦めさえすれば、ヒメキアの身柄を攫った上で、一定期間逃げ延びること自体はできなくはない。


 ブルーノが考える優先順位の最上位には、変わらず姉の存在がある。

 逆に言うとその聖域に抵触しなければ、彼は拾ってくれた大恩あるトレンチの命令に、なんでも従う。


 トレンチに姉の安全を保証された上で、自分の命を使って教会に隙を作れと言われたら、喜んで完全アウェイのその任務に身を投じる。

「二人とも幸せに生きる」という前提条件は、もとより彼の価値観においては無縁のものだ。

 姉に遺族手当が入るなら、戦争の一つだって起こしてやる。


 ただ、どうも今はそのときではなかったようだ。機を逸したからには仕方がない。彼らの味方に徹しようと、ブルーノは頭を切り替えた。


「まぁしかしその意気ですぜ。じゃなきゃこの奥にいる二人には、どうやら勝つことはできなさそうですんで」


 裏切り抜きの通常展開でさえ、この任務はなかなかに厄介そうだ。

 最後に立ちはだかる扉の向こうから、殺気とは異なる、英気とでも呼ぶべきか、強烈なオーラが漂ってくるのがわかる。


 なんの打ち合わせをするでもなく、ブルーノとデュロンは同調し、両開きのそれを互いの利き足で行儀良く押して入っていく。




「あーっ! よかった、未来変わったー!」


 ぐでー、と地面に滑り込むエモリーリを見下ろし、ジェドルは呆れ半分、苛立ち半分で尋ねた。


「なんでも構わねぇが、納得のいく説明をしてくれよ。なんで俺があの狼野郎を、こっそり援護してやるような真似をしなきゃならなかったのか」

「あんたまだ彼のことライバル視してるのね、向こうはどうだか知らないけどさ」

「オイ、マジでそういうこと言うのやめろや」

「あっ!? ご、ごめん! してるしてる、彼も意識してるって!」


 結構本気で凹んだジェドルを、今さらながら気遣った後、エモリーリは気まずそうに口を開いた。


「ここでのわたしたちの目的って、なんだったか覚えてるわよね?」

「テメェ俺のことどんだけアホだと思ってんだ……この幽霊屋敷にたむろしてる〈紅蓮百隊クリムゾンセンチュリ〉とかいう不良グループの幹部クラスを、丸々俺らの仲間にしちまうことだろ」

「正確にはミレインの教会が確保任務の達成要件にしている、レイシー・オグマとナキニ・シモアーラを除く四人ね。クソみたいな辺境にしては、なかなかの掘り出し物市と呼べるわ」

「テメェもヴィクターに負けず劣らず大概な性格してやがるな、エモリーリ……しかし、同感だぜ。さっき帰ってった下っ端どもは、本当にただのチンピラだったからな。逆によくあんな頭数を集めたもんだ」

「音属性自体はそこまでレアじゃないものの、プリンピの弱催眠はなかなかの練度みたいね。おしゃぶりにでも加工するのか知らないけど、指狩りとやらの対象になるのも頷けるわ。ただ肝心のわたしたちが漁夫の利を得る算段が」


 そのときちょうど木の上からモモンガが降りてきて、ちんちくりんのエモリーリの頭を止まり木とし、聞き慣れたクソ野郎の声を代弁し始めた。奴の使い魔だ。


『あー、こちらヴィクター。対象に動きなし、どうぞ』

「ソネシエ・リャルリャドネはまだ帰りの馬車から動かないの? どうにか排除できない?」

『マジで屋敷に戻ってく気配ゼロ。横倒しにされたターレットの上に腰掛けて、ちゃっちゃな足をぷらぷらしているよ、あのおちびちゃん。困ったもんだね。

 さっきイリャヒがサヨ・ピリランポちゃんを引きずってきて……女の子をもうちょい丁寧に扱ったらどうなのかな、だから彼は顔のわりにモテないんだよ、シスコンを差し引いてなお。で、取って返してったけど、おちびは足ぷらぷら、すごく暇そう。でも隙がないね。

 そもそもなんで僕らの狙いに気づいたんだろう、天才特有の直観ってやつかな、あーやだやだ。彼女の守りは堅牢だよ。こっちの暴力要員は、『崩すことはできなくはないけど、時間がかかる』って言ってる。

 下手に仕掛けて捕虜たちを横取りする前に、もう一度イリャヒが戻ってきたらそれこそ終わりだ。あいつのシスコンパワーは冗談抜きで妹以外全部焼き尽くすからね、毎夜悪夢に出てくるぜ、青い煉獄から生き残れたらの話だけど』

「あんたほんとに無駄口が多いわね、報告は事実のみで簡潔に行いなさいよ」

『ハハ、これじゃどっちがリーダーかわかんないや。エモちゃん、もしよかったら代わる?』

「嫌よ。ていうかあんただってこれ以上クセの強い連中が増えても扱いきれないんじゃない? すでに確保されてる三人は放置して、純粋無垢な新顔を一人迎え入れる構えでいたら」

『その方がいいかもね。ただこっちもギリギリまで粘るさ。ソネシエが気まぐれを起こすかもしれないし』

はやって返り討ちだけは勘弁してよね、増やすつもりが減らしてちゃ世話ないわよ」

『わかってるって。そんじゃね』


 まだジェドルの質問に答えていないことを思い出したようで、エモリーリが振り返ってきた。


「そうそう、今の話からちゃんと繋がってるから、そんな不貞腐れた顔しないでよ。幽霊屋敷の一番奥にいる、あの子……エヴロシニヤ・ホストハイドを取り込む算段を言うわね。

 今からデュロンくんとブルーノくんが、エーニャちゃんレイシーちゃんと戦って、前者二人が後者二人を倒すかそこそこ苦戦させる。

 二人揃って捕まりそうになったところで、レイシーちゃんがエーニャちゃん一人を幽霊屋敷から脱出させるから、そこを狙うの」

「そんな都合よくいくか?」

「そうなるらしいわ、ヴィクターの分析によるとね。わたしはまだその未来が見えないけど。とにかくその後わたしたちが失意の彼女の前に出て行って、わたしが彼女に思わせぶりな表情でクスクス笑いながら『力が欲しい?』って言うから、ジェドル、あなたはその後ろでいい感じに立っておいて」

「そんなんでほんとについてくるか?」

「シナリオと演出への文句は考えたヴィクターに言ってよ。いずれにせよデュロンとブルーノにはあの時点で仲間割れなんかしてもらっちゃ困るの。あの二人がエーニャとレイシーをかなりのところまで消耗させておいてくれなきゃ、わたしが今ヴィクターに打った寸鉄が丸々わたしたちに跳ね返ってくる羽目になるわ。とりあえず流れは戻しておいたけど、この先もイレギュラーが発生するかもしれない。気を引き締めて行きましょう」

「冗談抜きでお前がリーダーでいいんじゃねぇの?」


 エモリーリはどこか寂しそうに笑いながら、ヴィクターにしたのとは別の角度で答えてくれる。


「無理よ。未来が見えても、わたしにはそれを活かすビジョンがない、あいつのを共有してるだけ。そしてカリスマもない」

「そんなもんあいつだってねぇだろ」

「そう言いつつ、あんたもあいつについてく。きっとそれをそう呼ぶのよ」


 反論が思い浮かばず、夜空を仰いだジェドルは、首を鳴らして強気に笑んだ。


「よし……じゃあこっから巻き返してやるか。四つ年下のガキ一人丸め込むだけだ、俺たちにだってそれくれぇできらぁな」


 エモリーリは大きく頷き、もう一度幽霊屋敷を注視し始めた。

 そのヘイゼル色の大きな眼には、また新しい未来が見えているのだろう。彼女が切り開くための未来が。

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