第334話 だけど心は泣いてたぜ

 時間だか空間だか、なにを操るのか知らないが、問答無用の即死技でもない限りは、とにかく受けて確かめるしかない。

 それが役割の一つであると、デュロンは自負している。


 しかし正面切って突っ込もうと迂回しようとその場に留まろうと、結局は同じことだった。


「〈濾過泡膜フィルターバブル〉ッ!」


 最近の流行りなのか、固有魔術の識別名を叫びながら、ナキニは直径三メートルほどのシャボン玉を、魔力で生成して放ってくる。

 あまり速くはないが、どうやら誘導・追尾・必中といった、ファシムの〈透徹榴弾ステルスハウザー〉に対して危惧し杞憂に終わった性能が、彼女の魔術には備わっているようだ。


 いい加減な方向へ発射されたはずが、ぐりん、と曲がって当たりに来るそいつを、デュロンは掲げた掌で受け止める。

 ずにゅん、と水風船に触れたような心地がしたかと思うと、なんの抵抗もなく侵入に至り、全身を包まれていた。


「…………」


 濃密な液体の中に突っ込んだかのように体の動きが遅くなるが、呼吸にはまったく支障がないのが逆に不気味だ。

 泡ごと体が空中に浮遊し、柔軟な結界とも呼べるその内壁に触れようとしても、どうやら内容物が核心に位置付けられているようで、追えど手繰れど、デュロン自身が包む泡ごとその方向へ移動してしまうばかりである。


 もがいてももがいても出られないことに焦りが募る。

 まだ十秒ほどしか経っていないはずだが、外から隔絶しているその時間感覚を、いまいち自分で信用できない。


 そのとき視界の端に影が差し、破裂音とともに被膜が割れて、デュロンは現実世界に着地した。


「ぶはっ!」


 止めてもいない息を吐き出し、嫌な汗が全身を伝う。

 足元を顧みると、ブルーノが刃を開いた状態で投げたシガーシザーのおかげで、脱出できたのだとデュロンは理解した。


「ハー、ハー……ありがとよ、ブルーノ」

「いいってことよ。俺たちリッジハングの者はこの女に対して、取り立てに付随する攻撃行動が不可能になってるだけだから、こうして味方への救出行動はできるっぽい。

 だけど気をつけてくれよ、デュロンくん。今あんたが体感した通り、この女の出す泡の内部は時間の流れが乖離していて、刺突・斬撃系の物理攻撃か、概念破壊系の能力でしか破れねぇ」


 基本性能を把握され対策を確立されていても、ナキニの魔性に焦りや翳りはないどころか、自分から追加情報を与えてくれさえする。


「あらら、そんなに焦る必要はなかったのに! なにもしなくても、一定時間経てば自然と解除されるのよ! それまで金魚鉢ライフを楽しめば良かったのよ、せっかちさんなんだから!」

「金魚鉢って言っちゃってんじゃねーか、勘弁してくれ。つーかその一定時間ってのも、中と外で換算しなきゃらなんねーわけだし、ややこしい」


 その言い草を聞いたナキニは、腰に手を当て頬を膨らませて、苦言を呈してくる。見た目はかわいいのだが、なんかムカつく。


「まあ、失礼しちゃう! 言っておくけどわたくしのこの能力、本質的には捕縛ではなく防護の魔術なのよ! ただ味方以外にも適用できるというだけで!」

「だから狙い外さねーようになってんのか……なんつーか、ありがた迷惑の迷惑部分を膨らませたような能力だな」

「ますます失礼ね! 実際に外からの攻撃をほぼ通さないようになっているのに! 破られる場合だって、その一発だけは泡が身代わりになって凌いでいるわけでしょう? 感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないはずだわ!」

「もし精神構造から構築されてるとすりゃ、アンタは過保護な親みてーな思考回路してることになるぜ」

「なんですって!? わたくしは未婚で交際経験すらないのよ! 誤解を受けるような表現はやめてもらえるかしら!?

 あのね、わたくしたち人魚の女の子って、昔から処女性の象徴としてやらせてもらってますんで! お紅茶ガブガブの超お清楚ざますわ!」

「なんでそこだけ価値観古くせーんだよ」

「なんでってそれは、清純派のふりしてる方がナンパ待ちが成功しやすいからに決まっているでしょう!?」

「いやそれは知らんけども……」

「騙されんなよ〜デュロンくん。下半身が脚になった人魚ってのはさ〜……」

「あーっ!? 最っ低! あなたね、それ言ったら戦争よ!?」


 どうやらブルーノがまたしても下ネタを口走ろうとしたようで、顔を真っ赤にしたナキニが数珠繋ぎになった時間遅延の泡沫結界を吐き出してくる。

 ブルーノの忠告通り獣化変貌で鉤爪を生成して、慎重に捌いたデュロンは、要領を掴んだため、確信をもって再度前進する。


「おイタはそこまでだ! 神妙にしやがれ!」

「やーなこった、なのよ!」


 ブルーノが言いかけた下品な俗説を反証するように、ナキニは下半身の人化変貌を解除し、髪と同じ美しい海の色をした鱗に覆われる魚の尾びれ……人魚本来の姿へと自らを還元する。

 その上で〈濾過泡膜フィルターバブル〉を発動し、生成したシャボン玉に彼女自身を封入するという行動に出た。


 観念して塞ぎ込んだのかと思い、狼の手を伸ばすデュロンだが、ナキニは泡ごと空中を高速移動して容易に逃れ、天井近くであっかんべーしてくる。


「なんだ今の……!? 間接的に俺の時間感覚の方が狂わされたのか……!?」


 直接取り立てできないのをいいことに、地面に肘をついて寝転がりだしたブルーノが、やる気がないわけではないようで、デュロンの疑問に答えてくれる。


「いや、もっと単純ですぜ。たとえば蜘蛛の巣が二種類の糸で構成されてるのは知ってますかい? 獲物を捕らえるためのネバネバした螺旋状の横糸と、蜘蛛自身が移動するためのツルツルした放射状の縦糸だ。それと似たようなもんと考えてくださいや」

「つまりあいつは、内部の時間の流れが速くなってる泡と、遅くなってる泡の二種類を出せるわけか……泡ん中を泳ぐと泡ごと空中移動するようになってんのは、半分はこのためかよ」

「相手に不利に、自分に有利に。基本に忠実な良い能力だぜ〜」

「やだー、褒めたってなにも出ないわよ!」


 泡以外は。そしてその泡が問題なのだ。


「うふふ! こっちよ! 捕まえてごらんなさい、狼さん♡」

「ははは、こいつー♡ ……マジでめんどくせーから早よ止まれや!!」

「いーやーよー! 教会に捕まったら代償した借金のカタに身柄を束縛されるんでしょ!?」

「だからそうなれっつってんだよ!」

「楽しそうっすね〜、俺も渚の恋人ごっこやりてぇわ〜」

「ブルーノ、テメーなにダラけてんだ!?」

「いや、だから俺はそいつに対して制圧行動を取れねぇんだってば〜」

「知恵出すくれーはできるだろ!? あとなんだその地面に広げてるやつ!?」

「見てよデュロンくん、俺のシガーカッターのコレクション。いろんな種類あるじゃん? 普段これでボスの葉巻のお世話してるわけ、俺って甲斐甲斐しいでしょ?」

「じゃあせめてさっきみてーにそれ使って援護してくれよ! つーかテメーそれらで指切り作業やるつもりだったのか!? こえーんだよ!」

「うわ!? かっこいいわね!? 特になにその、暗器みたいな形のやつ!?」

「なんでお前が食いついてんだよ!? じゃブルーノ、それ触らしてやれ! だからナキニは大人しく捕まってくれ!」

「「やだ」」

「なんでだよ!? つーかお前ら、結構性格近いだろ!?」

「「誰がこんな奴と」」

「その感じ! いや今のは合わせたろ!?」


 ギャーギャー言いながら散々追い回したことで、デュロンはようやくナキニの厄介さを完全に理解した。

 せいぜい十数メートル四方しかない幽霊屋敷のこの一室に限定してなお、彼女は二種類のシャボン玉を使って縦横無尽に回避し続けている。

 彼女の〈濾過泡膜フィルターバブル〉、殺傷能力こそゼロだが、足止めと時間稼ぎ、及び逃走と撹乱には抜群の有用性を発揮する。


 この状況における懸念は大きく分けて二つ。一つはこうしてナキニをモタモタ捕らえ損ねていると、奥にいるらしい二人の気が変わり、デュロンたちとの直接交戦を避けて撤退しかねないこと。

 もう一つは仮にナキニをスルーしてこの部屋を突破できたとして、フリーになった彼女がイリャヒたちの手をも逃れ、屋外へ出てしまった場合いよいよその尾びれを掴むのは至難となることだ。


 ナキニとレイシー、どちらを取りこぼしても任務達成要件を満たさない。

 なんとかここでナキニを押さえる必要があった。


 デュロンのスタミナはまだまだ有り余っているが、時間は尊い神のもの。

 そしてその損耗を抑えるべく現れる者もまた、救世主と呼ばれてしかり。


「わっしょーい! やってきました次の部屋ぁ! ドルフィちゃん登場ですよぉ!」


 ドバーン! と中二階の扉を開け放ち、至高のおバカが姿を見せる。


「あたしとヨハネスもいるよ!」


 続くヒメキアと彼女の小さな騎士を見て、デュロンはひとまずの安堵を得た。


「良かった、勝ったんだな……」


 あの弔哭精バンシーの女にかなりの信頼を置いているようで、ナキニも動揺を示している。


「うそ!? サヨちゃん敗けちゃったの!? あなたたち、どんな手を使ったわけ!?」

「まぁねまぁね! 手強かったですけどね、結果的にはね、よっゆうーでしたね!」

「いやお前制服がすげー血だらけだけど」

「こ、これは返り血なんです! そんなことよりヒメキアちゃん、ブルーノくん、デュロンくん!」

「なんかデジャブあるな〜……」


 ブルーノが呟いた通り、ドルフィは華麗にデュロンの隣へ着地してきたかと思うと、腕を振るって豪語する。


「ここはわたしに任せて、先へ進んじゃってください!」

「ドルフィちゃんさ〜、君がそれでさっき半泣きになって後悔してたの、俺も聞いたからね」

「泣いてませんけど!? デュロンくんはなにを根拠にそんなことを!?」

「ど、ドルフィさん、涙なんか流してなかったよ!」

「そうですヒメキアちゃん、もっと言ってやってください!」

「だけど心は泣いてたぜ」

「なんかかっこいい感じのこと言ってる!? 泣いてないったら泣いてないんですぅ! いいから奥にいるっていう、この人たちの不良チームのリーダーさんとエースさんをどうにかしてきてくださいよ! 絶対この人よりそっちの二人のが強いでしょ! わたしそんなのと戦いたくないんです!」

「本音が出たな、素直でよろしい。じゃ、ドルフィに任せるとするか」

「いやいや、デュロンくんさ〜……」


 ブルーノもヒメキアもドルフィが心配なようだったが、デュロンが順に目配せすると押し黙り、それをもって容認の意思を示した。

 ドルフィはすでにナキニとの対峙に集中しているので、声だけ掛けて通過する。


「後からすぐイリャヒとソネシエが来るだろうから、キツかったら丸投げしろよ」

「冗談……と言いたいところですが、それも視野に入れておきます!」


 ヒメキアとの連帯を経て少し成長したようで、この様子なら大丈夫そうに思える。

 ナキニはいちおう止めてくるかと思いきや、高みから品定めしてくるだけだ。


「戦闘要員は二人のようね……いいわ、行きなさい! 行って年下相手にボコボコにされてくるといいのよ! ここでわたくしと遊んでいるべきだったって、泣きながら後悔するのだわ!」


 あいにくだがそうはならない。三人と一匹は次の部屋へと進み、振り返らずに扉を閉めた。

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