第333話 固有魔術の覚醒とはまた別だけど、追い詰められてやってみたらなんかできちゃったっぽい

「おいおい、今度はなんだ……!? 大丈夫かよこの建物……」


 ヒメキアをドルフィのところへ残してきたのは失敗だったかもしれない。

 だが今はデュロンの方も敵と対峙中だ。


 震源と思われる一つ前の部屋で、あの二人とヨハネスが無事でいることを祈るしかない。

 それがわかっているようで、相手はすこぶる冷静に微笑み、それがいつものペースなのだろう、快活な返事を寄越してくる。


「大丈夫じゃないかもしれないわね! でもここ幽霊屋敷だから! 霊障の一つや二つ起きるのは仕方のないことじゃないかしら!?」


 ナキニ・シモアーラは踊り子のような露出度の高い衣装を着ているが、実際はそれがどういう趣旨の服なのかがデュロンにはわかる。

 脇に座り込んで煙草を一服しているブルーノが、アンニュイな表情で忠告してきた。


「デュロンくん、あんたなら気づいてるよな」

「ああ。こいつは……」

「この子やドルフィちゃんもすごいけどさ〜、さっきのサヨって子の方がさらにおっぱいでっかいぜ。や〜ばいでしょ」

「ああ、わかって……いや、そっちじゃねーよ!? キリッとした顔でなに言ってんだお前!?」


 ナキニは容姿に自信があるようで、気分を害した様子はなく、むしろ楽しそうにクスクス笑っている。


「あらあら? じゃあ、そっちもちゃんと見てはいたってことよね?」

「そうみてぇですね。ムッツリで困るな〜デュロンくんは。仕事中だからそんなんに興味持つ余裕ねぇわ〜みたいなスカした態度で、実際はしっかりチェックしてんだからもう〜」


 言い訳が思いつかないので無視して、表情を引き締めるデュロン。


「自己紹介から意図的に情報を省くのは良くねーな、姐さんよ。今の時代、名前に種族を併記するのが主流だぜ」

「ターレット・スカーフィズ、吸血鬼ヴァンパイア。プリンピ・エスヘリ、長森精エルフ。サヨ・ピリランポ、弔哭精バンシー。ナキニ・シモアーラ、人魚マーメイド……って具合だね」


 応じてブルーノが入れた指摘に対し、笑みを崩さず無言で肯定する相手の素性を、デュロンは一方的に喝破していく。


「この仕事やってると相手がいくら隠してようが、いや、隠そうとすればするほど、パッと見の雰囲気でわかるようになっちまうんだわ」

「おっ、デュロンくんかっこいいじゃん。惚れちゃいそうだわ俺」

「人魚の女が下半身を人化変貌した際の、その不自然なほど美しい脚のライン、骨盤のデカさに対してやけに小さくなりがちなケツ、そしてなによりどれほど訓練しても独特のクセが残る歩き方、尾びれの名残りなのか外反母趾が発生しやすく、足の指にはどうしても硬さが残り、それはまるで成長期の……」

「前言撤回しますぜ〜。シリアスな空気出してくるのかと思ったら、一段階上の変態っぷりを見せつけてくるんだもん、ついていけねぇわ」

「なんでだよ!? 客観的かつ一般的な傾向を羅列してるだけだぞ!? 別に俺の性癖を開陳してるわけじゃねーんだよ!?」


 なぜだか、本当になぜなのかわからないが、ナキニが若干引いた様子なのが不服ではあるものの、精神的優位を獲得したと良い方に解釈して、デュロンは話を進める。


「別に今どき人魚が陸棲の魔族に混じって街で生活してるなんて珍しくもねー。魔術の専門家として、吸血鬼と同じくらい引っ張りだこだろうよ」

「脚生やすのが不可逆で、やばいおくすり飲まなきゃなんなくて、おまけに声を失うとかいうアホみてぇな代償も必要ねぇですしね。だから俺たちも変な思い込みは捨てなきゃならなかったんだ。人魚の固有魔術で識別名に泡ってついてるから水瀑系だろうとか、そういうのをね」


 なんの前置きもなく、ブルーノは座ったまま固有魔術〈闇影乱打シャドウラッシュ〉を発動した。

 暴力に慣れた取り立て屋なだけはある、不定形物質を操る意思には一切の躊躇がなく、形成された十発ほどの黒い拳が、一直線にナキニの顔面へ殺到する。


 人魚の少女は静かに微笑み、無防備にそれを受け入れた。

 しかしブルーノの攻撃魔術は、相手に触れる寸前で不自然に停止し、そのまま霧散した。


 ナキニがなんらかの対処を講じたわけではない。これは妖精族が攻撃禁止契約を課されているときと似たような反応だ。

 ブルーノがいくら本気で殴りかかろうとしても、制動がかかってそれができない。いや、より厳密に言うなら……。


「デュロンくん、この女の固有魔術は〈濾過泡膜フィルターバブル〉っていうんだけど、問題はその類別で、時属性、時間系なんだ。

 うちのボスがイリャヒさんやソネシエちゃんがいるところで喋ったっつってたから、あんたにも伝わってるんじゃねぇかな」


 そういえばシャルドネの借金を帳消しにして帰ってきた後、世界の秘密がどうとか言って、よくわからないことをこっそり教えてきたのを思い出す。確か……。


長森精エルフの血有魔術……種族の秘術に、〈支払猶予グレイスピリオド〉ってのがあるとかなんとか。ワードだけ出されてもなんのことだかさっぱりだったけどな」

「大丈夫、俺も話に聞いただけの、受け売りで喋るんだけども。本来は他の魔術や呪術、特に召喚術とか契約術において、捧げる代償の有効範囲を四次元的に引き伸ばすって代物らしい」

「全然わっかんね」

「俺もだよ。要するにさ、ほら、あれだ、教会さんには『時間は神様のものだ』って考え方があるらしいじゃん? そんな感じで高尚な使い方するものらしいんだけど……局所的な時間制御能力があれば、長森精エルフじゃなくても発動できちまうことがあるってのが発覚したらしい。しかもすっげぇ俗な用途でもさ」


 まったく悪びれる様子もなく、ナキニが元気に挙手してくる。


「はーい、その俗な女がわたくしよ! 借金するときの書類にダメ元で〈支払猶予グレイスピリオド〉っぽいことをやってみたら、なんか成立しちゃったの! 思わず返済期限を百倍に引き延ばしちゃったわ! テヘ☆」

「本来一年後なのが、百年後に取り立てってことになっちまいましてね。いくらなんでも無体だろうってんで、そんなん無効だっつって、今俺が派遣されてるわけなんだけど」

「リッジハングから借りた金だから、リッジハングの手の者がナキニに取り立て……攻撃とかしようとすると、魔術的な契約違反と見做されて、自動的に弾かれちまうわけだ。だから俺ら教会を使って、代替的に補償するしかなくなったと」

「うちらの業界にもメンツとかあるんでね……できればうちのボスの前と、あと市井ではこれ言わないでほしいんよ」

「わかってる。堅気のクソ素人に出し抜かれて取り立て不能案件が発生したなんて、高利貸しとしての沽券に関わるもんな……ところで、姐さん。アンタのその、借り入れの理由は?」


 ナキニは嘘の臭いのまったくしない、真っ正直な叫びを放った。


「は? 遊ぶ金欲しさ以外にあるかしら? 博打よ博打! ギャンブル最高ーっ! 賭けてる間だけは生きてるって感じがするの! 充実していて羨ましいでしょ!?」


 仕事で女を殴らざるを得ないこともあるデュロンだが、女を本気で殴りたいと思ったのは生まれて初めてだった。


「……つーわけなんで、この女は俺たちの債務者であり、ついでに時間系は間違いなく珍しい属性だから、身柄を攫う理由がアリアリなんだわ。デュロンくん、お願いできる?」

「任せな。こいつを捕まえて指切りするのは、まったく罪悪感湧かねーわ」

「キャーッ、こわーい☆」


 茶化して笑うナキニだが、彼女を見つめるブルーノの表情に、侮りや嘲りの色はない。


「……気を付けなよ、デュロンくん。返済期限遅延に成功しやがった血有魔術〈支払猶予グレイスピリオド〉は、あくまでその女が才能と幸運によって、たまたま上手くやってみせただけの汎用技術だが……その女の固有魔術〈濾過泡膜フィルターバブル〉は、ずいぶん板についた厄介な能力だ。正直俺は普通に戦うことができたとしても、その女を押さえられる自信はあんまりねぇよ」


 なるほど、ナキニの眼の奥は笑っていない。取り立て代行は初仕事だが、あまり易しい相手ではなさそうだと、デュロンは認識を改めた。

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