第331話 彼女の右に出る祓魔官は存在しない

 数分前。ブルーノと一緒に次の扉を開いたドルフィは、待ち構えていた相手とバチリと視線が合った。


「ひいっ……! き、来たのね……!」

「来ましたとも! さぁわたしたちと尋常に勝負です!」


 無意味にハイになりつつも、ドルフィは相手の姿に、むむっ、と興味を寄せられた。


 しっとりとした黒髪をむやみやたらに伸ばしまくり、顔がいまいち隠れているが、なかなか整った造形をしているのがわかる。

 縦セーターにタイトなロングスカートという体のラインが結構出る服装をしているのだが、胴回りや四肢はすっきりしているのに、胸やお尻はすごく大きいのがわかる。

 それでいて態度はオドオド、自信がなさそう。


 とてもエロいなとドルフィは思った。サドとマゾは表裏一体などという。マゾのはずのドルフィは、常にないサドっ気に駆られていた。

 普段は同性にはあまり興味がないのに、どうしたことだ、今夜は興奮しているらしい。内心を押し隠してキリッとした表情を作り、彼女は相方に向かって宣言する。


「ブルーノくん、ここはわたしを残して、先へ進んでください!」

「やる気みたいでいいことだけど……ドルフィちゃん、気をつけな。あの女、かなり強いぜ」

「承知の上ですとも! それでもわたしがやらなければならないんです!」

「そういうことなら、わかった。頼むよ」

「お任せっ! とうっ!!」


 中二階から勢いよく跳び降りたドルフィは、固有魔術〈反響酊威エコーチェンバー〉で作った圧力キューブを踏みつけて、フワリと華麗に着地した。

 我ながらかっこよすぎる、惚れてしまっても仕方ない。相手が望むなら抱き潰してやらんでもない気分だった。


 わきわきと両掌を開閉しながら、思わず口から涎が垂れ、それを拭いもせず話しかけるドルフィ。


「ウヒヒ……やっと二人きりになれましたね、サヨ・ピリランポさん♡」

「不審者さんに名前を記憶されている……!? わ、わたし、詰んだかも……!?」

「楽しい夜にしましょうね♡」

「お、お手柔らかに……」

「なるほど、わたしのおててをやわやわにしてくれそうですね♡」

「どういう意味かしら……!? さっきからその手の動きやめて……!?」

「確か趣味はないとおっしゃっていましたね? あはは、ご心配なくぅ! あなたの趣味の欄に、わたしの名前を刻んであげますよぉ!」

「意味がわからない怖い怖い怖い……!」



 などというように、戦闘でもガンガン押していくつもりだったのだが。


「……ハァ、ハァ……ゼェッ、ハッ、ゼーッ! くそ、です……」

「う、うふふ……どう、したの……? もう終わり、かしら……」


 現実はどうだ。ドルフィは血だらけで膝をつき、サヨは愛らしく小首をかしげつつ堂々と立っている。

 静かに君臨するこの部屋の支配者に対して、挑戦者は手も足も出ないでいる。


 そしてそのことを、互いに快感に思っているようなのが問題だった。


「やっぱりわたしは、超弩級マゾの雌猫ちゃんなんでしょうか……? 攻めに回るふりをしつつやられるという、宿業的性癖に囚われた哀れな愛玩動物ちゃんなんでしょうか?」

「い、いえ、それは知らないけれど……」

「にゃおーん、ごろごろー」

「急に理性を手放さないで、怖い……」


 冗談はさておき、これは参ったな、と歯噛みするドルフィ。


 サヨが固有魔術を発動し、なんらかの力をもって働きかけてくるタイミング自体はわかる。

 だがサヨが操る不可視の力が、どこからどう攻撃してくるかをまったく感知できないのだ。

 それどころかドルフィの圧力攻撃は謎の力で防ぎ切られる一方、サヨの攻撃魔術の方はドルフィの圧力防御をすり抜け、ボコボコに殴り倒してくる。


 魔術の地力で負けているというのもあるにはあるのだが、それ以上にサヨの固有魔術は明らかに挙動がおかしい部分がある。

 たとえばイリャヒの〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉のように、感知や防御を選択的に透過されている可能性もあるが、そもそも属性自体が……。


 そこまで考えたところで、中二階の扉が開いたのを背中で聞き、ドルフィは振り返らずに、精一杯の声を張った。


「加勢は無用ですよ、デュロンくん!」

「つってもお前、ずいぶんやられてんじゃねーか」

「ここまではちょっとじゃれてましたからね! 今から逆転するところですので! よっゆうー、です!」

「そうか? そこまで言うなら……任せたぞ」


 足場を移動する音が響き、奥の扉が閉まった後になって、ドルフィは急に心細くなってきた。どうして強がりを言ってしまったのだろう。素直に助力を求めればよかったのでは?

 いつまであのクソカルト村に心まで囚われて、誰も信用できないおくすりガールをやっているつもりなのだ。今のドルフィは仮にも祓魔官エクソシストで、頼れる同僚がたくさんいるというのに。


 逆転の手などないとわかっているサヨが、まだオドオドはしながらも、やや嗜虐的な笑みを浮かべて、おっかなびっくり煽ってくる。


「ふ、ふふ……その黒服を着ているからには、どれほどの実力かと尻込みしていたけれど……察するにあなたは、新米さんなのかしら……? 思ったほど……た、大したことは、なさそうで……安心、したわ……」

「くっ……!」


 なにも言い返せないドルフィに、サヨはみんながいたときにやっていたのと同じように、爪を立てた手を掲げ、改めてその名を口にする。


「ひ、ひれ伏してちょうだい……わたしの固有魔術〈騒々心霊ポルターガイスト〉の前に……!」


 これまでかと敗北を覚悟し、眼を閉じたドルフィだったが……鋭く上がったサヨの悲鳴を聞いて、再び見開いた。


「ひいっ……!? な、なに……!? 誰なのその子は……!?」


 傍らに幽霊でも現れたのかと思ったら、ちょーん! といつの間にか隣に現れて立っているのは、ちんちくりんの体にいまだ制服がまったく似合っていない、赤紫色の髪に翡翠色の眼の、世にも珍しい不死鳥人ワーフェニックスの女の子だった。


 おそらくヒメキアは普通に翼を展開してフワーッと降りてきたのだろうが、害意も脅威もなさすぎて、近づいてくる気配にまったく気付けなかった。

 莫大な魔力をその身に秘めていながら、まるきり普通の少女にしか見えないというのも、特異な性質ではある。


 お世辞にも頼りになるとは言いがたい年下の先輩は、常にない真剣な表情で、サヨに向かって挨拶している。


「こんばんは、はじめまして! あたしヒメキアっていいます! 横入りごめんなさい! でもどうしてもドルフィさんが心配だったから!」

「い、いえ……別に厳密な一対一を期しているわけじゃないし、わたしは特に文句はないのだけれど……」

「そっか! よかったです!」


 にこー! と笑う彼女を片腕で抱き寄せ、サヨから視線は外さずに、ドルフィは早口で問い質した。


「ちょ、ちょっとヒメキアちゃん、なんでこんなところを一人でウロウロしてるんですか!? デュロンくんと一緒に先の部屋へ行ったはずじゃ!?」

「でもデュロンに相談したら、ドルフィさんを助けてあげてって言われたんだー。それにあたしにはヨハネスもいるから!」


 ててーん! と猫を差し出すヒメキアに対し、呆気に取られるしかないドルフィ。

 サヨも同様のようで、しばらくまごまごしていたが、表情に余裕を取り戻していく。


「ふ、ふふ……ドルフィさんの代わりに、あなたがわたしの相手をしてくれるということで、い、いいのかしら……?」

「そういうことだよ! 受けて立ちます!」

「なに言ってるんですかヒメキアちゃん、クソ雑魚最弱ひよこなのに!?」

「ひどいよドルフィさん!?」

「……も……問答、無用っ……!」

「ギャーッ!? ヤバいですヒメキアちゃん!」


 二人で騒いでいるうちに、またサヨが鞭のように腕を一振りし、不可視の力が襲ってくるのがわかる。

 いや、正確にはそうだろうと思えるだけで、ドルフィにはサヨが魔力を消費したことくらいしか感知できていない。

 魔術戦闘において、辛うじて攻撃の起点を把握できるだけというのは、致命的な劣位だ。


 そんな未知数の相手だというのにヒメキアは無防備に前へ出て、ちっちゃな手足を突っ張り、堂々と迎え入れる体勢にある。

 デュロンはいったいなにを考えているのか、寄越したひよこがぺしゃんこになってしまう!


「ふん!」


 だがそうはならなかった。自信満々に鼻息を吐くヒメキアは、倒されるどころか小動こゆるぎもしない。

 ドルフィには依然サヨが扱う力の実態は感じ取れないが、ヒメキアの力との間でなんらかの反応が発生したようで、靡くヒメキアの髪の流れを見る限りでは、サヨの力は弾き返された……いや、ヒメキアに接触する直前で取って返したように見えた。


 普段は雷が鳴るどころか、羽虫の群れが頭上を通るだけでビクッとなるくらい、根っからのビビリであるヒメキアが、に対してだけは、滅法強気に指差して、正体を言い当てている。


「おばけだ! おばけ! こんなにいっぱいいるところ、あたし見たことないよ!」

「お、おばけ……? というかヒメキアちゃん、サヨさんの操っているものが見えてるんですか……!?」

「見えるよ! ばっちり! おばけたちはあたしのことを、すごく怖がってるんだー。だから大丈夫だよ!」


 てっきり暗喩でそういう識別名を付けられた念動力系の能力だと思っていたのだが、サヨの固有魔術はガチおばけタイプだったらしい。

 いや、それ以前にまず、ドルフィとしてはこの世界におばけが実在すること自体が初耳だった。

 どうやら現在の魔族たちが、いわゆる霊感や霊能というやつが退化しているだけで、たぶん「彼ら」はいつでもずっと近くにいたのだ。ということは……。


「……ん? てことはヒメキアちゃん、普段からおばけ見えてるんですか……?」

「たまにね! でもデュロンやソネシエちゃんがびっくりしちゃうかもだから、あたし言わないんだー。たとえば寮の……」

「やめてくださいそれ以上言わないでくださいわたしがこの齢でおねしょしたらヒメキアちゃんのせいですからね!」

「だ、大丈夫だよドルフィさん! 夜中トイレに行きたくなったら、あたしがついてってあげるから!」


 そして動揺しているのはドルフィだけではなく、サヨも同様だった。


「な、なんなのかしら、あなた……!? どうしてこの子たちが見えるの……!?」

「へへーんだ! ヒメキアちゃんは特別なひよこなんですよ!」

「へへーんだ! そうだよ! あたしは……ひよこじゃないからね、ドルフィさん!?」


 正直ヒメキアを侮っていた、とドルフィは自らの不明を恥じる。

 悪霊退散能力という意味では、たぶん彼女の右に出る祓魔官エクソシストは存在しない。下手すれば救世主ジュナスその人を含めてさえだ。


 ただヒメキアはその魔力を今まで、回復以外に使ったことがほぼないはずだ。

 なら多少なりとも魔術戦闘に慣れているドルフィが、彼女を導いてあげればいい。


 一人なら無理でも、二人ならサヨに勝てる!

 今度は両腕で、敵に見せつけるように抱きつきながら、ドルフィはヒメキアに要請した。


「お願いします、ヒメキア先輩! わたしたちであのおっぱいおばけをやっつけましょう!」

「よ、呼び方ひどくないかしら……!?」

「訂正します。覚悟してください、おっぱい風船さん!」

「せめておばけは残して……!?」


 腕の中で「まかせて!」と囁く、ヒメキアの息がドルフィの頬をくすぐり、それはとても心地のよい感触だった。

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