第312話 デュロン怒りのスプーン曲げ
全体訓練開始の五分前になって、がやがやと運動場にやってくる一団がいた。
その姦しい声を耳にして、イリャヒの心も自然と癒されている。
「ならヒメちゃん、あたしたちも一緒に走ってあげるよ! つらい訓練もみんなでやると、ちょっとだけ楽になるんだよ! もちろん気休めなんだけど、心持ちって意外と重要なんだ!」
「ありがとうリョフメトちゃん! みんなも朝早くからごめんね、ありがとね!」
「しょうがないなー、ほんとにもー」「うちら優しいから付き合ってやんよ!」
「ふぅ……悲しみは、半分、に……はぁ……喜びは、倍以上、に……」
「タチアナちゃんもう息切れてるみたいになってるの、何回一緒に訓練しても慣れないのです」
「実際はめちゃくちゃ肺強いでござるのにな。おっと教官殿、申し遅れましてござりまする!」
勢いよく名乗りを上げようとするニンジャを手で制し、ファシムはヒメキアについてきた小柄な竜人少女たちを順に見回した。
「ああ、わかっている。リョフメト・ジャグニコフ、ニゲル・タピオラ、ヨケル・タピオラ、タチアナ・ダルマゲバ、ニェーニェ・ナヴァドヴァルナー、ドヌキヴ・ナバリスキーだな」
「なんなのこのおじさん!?」「さては十代半ばの女に興味津々だな!?」
「その疑いは先ほど晴れ……いや晴れてはいなかったが、普通に否定しておく。訓練を受ける頭数が減るならともかく、増えるのであれば俺から文句があるはずもない」
「おっ、なかなか話のわかるおっさんじゃん」「でもわたし鷲鼻の男って嫌いなんだよねー」
「タピオラの辞書に失礼って言葉はないの!? すみません教官さん、お邪魔します!」
「うむ、問題ない」
ぺこりと頭を下げるリョフメトの隣に歩み出て、ヒメキアが緊張気味に挨拶した。
「お、おはようございます、ファシム先生! 遅くなってごめんなさい!」
「なにも謝ることなどない、まだ数分ある。そいつらの気が早すぎただけだ」
「よ、よかったー、そうなんで……みんなーっ!?」
にっこり安堵し微笑みかけたヒメキアの顔が、奥に倒れている十人の姿を見て、驚愕に塗り替えられた。
彼女の連れの六人も、眼を丸くしている。
「わあ!? なにこのひどい有様!?」
「マジ死屍累々じゃん!」「超お亡くなりだよ!」
「ふぅ……このたびは、ご愁傷様で……」
「うわーん! もっとあなたたちと共に戦いたかったですーっ!」
「ラグロウルの意思はなんか良い感じで我々が受け継ぐでござる!」
「悪ノリの連携だけ完璧なのおかしくない!? 息はあるよ! 大丈夫!? なにがどうしてこうなったの!?」
慌てて駆け寄り助け起こすリョフメトに、ラヴァが歯噛みしながら答える。
「どうもこうもねぇよ……その教官のおっさんが、ただただべらぼうに強ぇだけだ」
「性欲が!?」「やっぱ!?」
「違ぇよ、なんでそうなるバカ姉妹!? だいたいデュロンとベナク、フィリアーノが混じってんじゃねぇか!?」
「フィルくん混ぜたらダメだよ」「話がややこしくなるよね」
「なんで!? ぼくなにかした!?」
「だってかわいいもん。こないだもほら、ドエロおじさんがさ」「そうそう。『今日はフィリアーノくんでいこうかな』って言ってたよね」
「なにが!? いくってなにを!?」
「あのクソ猪、やっぱ殺しとくべきだったかもしれねぇな!?」
騒ぎをよそにファシムは
「では本日の基礎訓練を始める。せっかくだ、貴様らも付き合っていけ」
というわけでイリャヒたち、デュロンたち、ヒメキアたちを含む全員が、仲良く運動場を走ることになった。
ちなみにイリャヒ自身はもちろん、今日も真っ先に脱落する。
「あー、ちくしょー……マジで勝てねー……」
デュロンは寮の食堂でテーブルに突っ伏し、くぐもった声を上げていた。
あれからすでに九日が経過している。全員まとめてボコボコにやられてしまった十人は、どうも徒党を組むのはあまり意味がなさそうだと悟り、その後は個別に挑んでいるが、やはりファシムには一向に敵わない。
そのうちラグロウルの連中も最初から大人しく訓練に混ざるようになり、ミレインの連中に至ってはすっかりファシムに心服していて、今や意地を張るのは実質デュロン一人となっていた。
毎日毎日、手を替え品を替え襲ってみるのだが、どうにもならない。
距離を空ければ〈
薄々わかってはいたが、ファシムは腕っ節だけでもベルエフの少し下、ドラゴスラヴと同じくらいある。
正直言って勝ち筋らしきものがまったく見えてこない。
今夜の夕食でデュロンと同じテーブルに就いているのは、イリャヒ、オノリーヌ、ラヴァ、ニゲル、ヨケルだ。
まだ諦めていないデュロンのためにファシム攻略の糸口を探ってくれるようで、イリャヒが九日前と同じ情報を、前より噛み砕いた表現で繰り返してくれる。
「もう一度おさらいしておきますね。あくまで私見ですが、〈
『内臓』に設定すれば皮膚や筋肉を含む一切の遮蔽物を無視・通過でき、魔術抵抗力で阻まれて内臓まで届かないなら『皮膚』か『生体』で表面攻撃に切り替えればいいわけです」
「それで間違いねぇんじゃねぇの? デュロンが避けることはできてるあたり、追尾や必中性能を兼ね備えてはいねぇみてぇだな。
まぁそうだろうよ、固有魔術にもリソース上の限界ってもんがある。なんでもかんでもできちまうインチキクソ能力なんてのは、ごく一部の上位層……それこそ強すぎて隠遁するか王族になるしかねぇレベルの連中くれぇだ」
大好きな肉料理を美味そうに喰いながら、ラヴァが冷静に補足してくれる。
俗に言う『負け慣れ』の状態にあるのだろう、キレていないときの彼女は頭がキレる。
それでも頬張ったまま喋ったり、フォークで顔を指し示してきたりと、基本的に行儀は悪いのだが。
「姉貴の……ヴァルティユの許可が出て、ほとんど合同訓練の形になってる。あたしらももうちっと付き合ってやんよ」
「わりーな、ラヴァ」
「いいって。そもそもデュロン、別にてめぇが『誰でもいいから頭数さえ揃えばいいや』って感じで、あたしらを適当に集めたわけじゃねぇってことはわかってる。
一定以上の近接格闘力と魔術抵抗力を両立できる……つまり『勝つための便利な駒にできそう』じゃなく、『敗けても大怪我にはならなそう』って基準で集めたメンツなんだろ。
あたしらを壁に使うどころか、てめぇが先陣切って囮んなってるのを見りゃ、嫌でもわかったさ」
そうはっきり言われてしまうと恥ずかしいので、デュロンは慌てて誤魔化した。
「いや、そりゃな……俺だって良心ってもんがある。テメーらみてーな跳ねっ返りならいいとして、リョフメトやニェーニェ、タチアナやドヌキヴみてーな小柄で大人しい子らが吹っ飛ばされるのは、さすがに気が咎める」
「ねえねえ、うちらはうちらは?」「ここにもかわいい小動物が二匹いるんですけど?」
きゃるるん、と上目遣いで見つめてくるタピオラ姉妹に、デュロンは無の感情で答えた。
「タピオラ姉妹は……まあいいか」
「扱いひどくない!?」「うちらだって生きてるんだよ!?」
ワイワイ騒ぐ戦闘員たちをよそに、内勤デスクワークのオノリーヌは、優雅にお茶を飲みながら、まるきり
「大変だね君ら」
「オノリーヌ、なにかアイデアを出してくださいよ。あなたそれが仕事みたいなところあるでしょう?」
「それは勝てるポイントがある相手の話であるからして。現時点ではどうにもならないと妥協して、今はひたすら力を蓄えたまえよ」
「ドライだなー姉貴は」
「……もっとも、わたしも思うところがないでもないのだけど」
そう呟いた彼女の視線の先には、隣のテーブルで普段通り微笑みながらお喋りしている、ヒメキアの姿があった。
ファシムのことなので、そこまで無理な訓練を課してはいないのだろうが、それでもいくぶん疲れた顔をしているように見える。
そのあたりを重々承知の上でだろうが、ラヴァリールが肩を組んで諭してきた。
「デュロンくんよぉ、お前の姉ちゃんの言うことも一理あるぜ。うちらの民族だって戦闘力の低い奴らはいるが、そいつらだって体力が要らねぇわけじゃねぇ。つーかヒメキアに限った話でもなく、あたしらやお前らだって、まだまだ基礎が足りてねぇんだ。もうしばらく下積みに徹しようぜ。な?」
「……そういうわけにもいかねーよ。ヒメキアだって仕事が終わった後、やりてーことが色々あるはずだ。それを、いつまで経ってもなんのためか説明する気もねー、『いつかは役に立つから』『あなたのためを思って』とかなんとかで、あいつの貴重な時間を食い潰す権利なんざ、たとえ親だろうとあっちゃいけねーんだよ……ってのも、もちろんあるが」
デュロンは憤怒に駆られ、握力で捻じ曲げたスプーンをテーブルの上に取り落とした。
「こうもいいようにやられっぱなしだと、そろそろどうにかして野郎のあの高慢ちきなツラに一撃ブチ込まなきゃ、腹の虫が治まらなくなってきてんだわ!」
「お前目的変わってんじゃねぇか……気持ちはわかるけども」
「その一撃が難しいから、こうして苦労してるんですけどね」
「どうどう、落ち着けデュロンくんー」「うちらのお肉を一切れあげるよー」
「わ、わりー、取り乱した。ありがとう。この際だから言うと、ラヴァなら結構スッといけるんじゃねーかと思ってたんだよ」
「言いてぇことはわかるけどな、あたしの身体能力って、内部循環込みでお前と同じくらいなんだわ。で、内部循環解いた途端、腹ん中吹っ飛ばされっだろ。結局攻撃の択が足りんから、そうなるとあたしとお前の差って魔術抵抗力の有無くらいしかねぇわけで……」
「すまない、ちょっといいかね?」
控えめに挙手するオノリーヌへ、他の五人の視線が集まる。
「わたしは初日にあったというやり取りに立ち会っていないし、普段から訓練に関わりがないから、知らなかったのだけど。君らの勝利条件って、ファシムを叩きのめすとかダウンさせるとかでなく、一撃入れることだったりするのかね?」
質問を質問で返すのは礼儀に反するとはわかっているものの、デュロンは思わず尋ねる。
「姉貴……もしかして一撃入れるだけなら、方法があるのか?」
「あるとも。それもデュロン、君が以前使った単純なやつがね」
そう言って彼女は狡悪に、されど愛らしく、ニヤリと笑ってみせた。
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