第310話 vs.ファシム・Lesson.3 響圧と土塊

 ドルフィはまだ頭におくすりが残っているのか、素でアホなのかは知らないが、ファシムを前にしても余裕をブッこき、両腕を広げて高笑いする。


「あはははは! 見せてあげましょう、わたしの固有魔術〈反響酊威エコーチェンバー〉の真価を!」

「彼女のノリ、なんだか誰かに似ている気がしますね」


 ソネシエとギデオンが無言で見てくるが気にせず、イリャヒはけんに徹する。

 彼の魔力感知は、ドルフィの圧力魔術がファシムを完全に包囲しているのを把握していた。


 ファシムの筋力も相当なはずだが、脱出しようとする素振りを見せれば、ドルフィはすぐさま絞めにかかるだろう。

 爆裂魔術で強引に突破しようにも、圧力の壁に跳ね返されて自滅するものと思われる。


 けっして過信ではない自負を、ドルフィは上品な唇で苛烈に吠え立てる。


「さぁ、屈してくださいよぉ! わたしが紡いだ無敵の領域に!」


 ファシムが取った対処はシンプルだった。まずはその場で軽く跳躍する。背後へ向けた靴の裏から一定量の爆裂魔術を噴射したかと思うと、上斜め前方へ飛んで、ドルフィの圧力結界をあっさりと脱出し、華麗な着地を終えている。


「……えっ?」


 中近距離で眼が合ったのが運の尽き。ドルフィは慌てて効果範囲を修正し、再展開を試みたようだったが間に合わず、ファシムの全力疾走による最接近と、腹部への掌打を許してしまった。


「ぐぼぇっ!?」


 涎を垂らしながら崩れ落ちるドルフィの能力を、ファシムは平常心で解体していく。


「防音の小部屋を模した一定空間……具体的には、相手を中心とした約3メートル四方といったところか? この範囲に貴様の放つ圧力を反響・増幅する内壁を仮想し、回避不能の全面攻撃を成立させる……それが貴様の固有魔術〈反響酊威エコーチェンバー〉だ。生まれ育った環境由来の精神的な閉鎖性が、上手く長所として現れているな」

「な……なんで知ってるんです!? 識別名を授かる旨の書類が届いたのは、昨夜だったんですけどぉ!? わたしの情報、まだあれにしか載ってないはず!」

「ああ。ちょうど昨夜遅く、猊下がお休みになられる前にも一度、資料を請求した。そのため俺にとって貴様は『未知の新顔』ではなく『最新ニュース』なのだ。残念だったな」


 ドルフィの方も……というかこうしてここで挑んでいる者は全員、ファシムの能力についてわかっている範囲のことはすべて聞いているので、アンフェアとは言えまい。


 仮想の内壁に反響させるということは、ドルフィの放つ圧力魔術には、一定の流れが存在するということになる。

 ファシムは背後から跳ね返ってくる波を蹴った反動で、正面の手薄な一点を狙って頭から突き抜けた。だけなのだが……。


 おそらく魔力出力も総量も、ドルフィはイリャヒより下で、そしてファシムより上だ。

 にも関わらずファシムは、おそらくイリャヒと同程度の魔力感知能力を備えている。

 本人に理由を尋ねたら、「訓練したから」と答えるだろう。


「ドルフィ・エルザリード、貴様の場合はとにかく自分の得意とする中遠距離での交戦を維持することが肝要だな。それができない場合は、それはそれで脱兎のごとき逃走が必要となる」

「つ、つまり……?」

「走れ。間合いを詰められたら死ぬと思って、死ぬ気で走り倒せ」

「なんかわたしにだけ異様に厳しくないですかぁ!?」

「当然だろう。シャブなど喰うようなクソ虫を相手に、俺が容赦する理由などない。もう一度自分で内臓全部洗うつもりで走り込め」

「ぐすん……や、やりますよぉ! やればいいんでしょう!?」

「よろしい」


 ヒーヒー言いながらダバダバ走り出すドルフィを見送り、ファシムは運動場に面した石壁に向かって話しかけた。

 そこは倉庫で、こちら側には窓も扉もないはずなのだが……。


「ところで、貴様もそろそろやる気になったか?」

「ちっ……バレちまったんじゃしょうがねぇ」


 石壁がモリモリ動いて引き出し状に開き、太い腕を組んで胡座あぐらをかいた、筋骨隆々の小男が姿を現す。

 ガップアイが誰よりも早くそこに来て潜伏し、覗き穴でも空けて様子を見ていたらしいことには、イリャヒも気づいてはいた。

 が、ガップアイは相当上手く気配を消し、魔力も意識的に抑えていたので、普通に感知していたファシムはやはり凄腕だ。


 地面に降り立った生粋の小鉱精ドワーフは、いつものように気怠けだるそうに立ち、果敢に啖呵を切ってみせた。


「よぅ、都会から来たエルルィート様よぅ。『俺はなんでもお見通し』みてぇなツラしやがって、そういうところが気に入らねぇ。俺らみてぇな田舎の地ベタ虫なんざ眼中ねぇのかもしれねぇが、上ばっか見てっと足ぃ掬われるってことを教えてやらにゃなるめぇな」

「どうも誤解があるようだが、今俺から言えることは一つだ。やってみろ」

「お言葉に甘えましてぇ!!」


 丸太のように隆起する両腕で、ガップアイは鍋蓋サイズの両掌を、勢いよく地面に叩きつける。


 彼の固有魔術は〈傀儡工廠ゴーレムメーカー〉、ベッタベタな錬成系の典型である。

 無生物であれば大抵の物質を捏ね回し、駆動木偶ゴーレムとして動かせる。

 今、運動場の土をガチガチに固めて盛り上げ、5メートルほどの巨人型に仕上げたのも、その作用によるところだ。


 今までの流れを隠れて見ていたわりに、リュージュと同じ轍を踏んでいるのでは、と危惧したイリャヒだったが……石の巨人を操るためにガップアイが注ぎ込む魔力は、その表面を毛細血管のように循環する形で流れている。

 これなら盾となるべき駆動木偶ゴーレム自体に魔術抵抗力が発生するため、純粋な貫通力や破壊力でしか抜くことができなくなる。


 そして多少壊したところでどんどん修復され、付け入る隙となりはしない。

 そして、紛れ当たりや巻き添えも避けるために、ガップアイ自身は後方から一歩も動かず、遠隔攻撃に徹している。


 なるほど、ファシムがしていた指摘とは正反対の方向性だが、リュージュの中途半端な両構えという失敗の修正案を提示できている。

 戦闘が始まるとガップアイは完全に集中し始め、煽ることもやめて油断が見られない。


「……」


 対してファシムは自棄を起こしたかのように、迫り来る石巨人の左半身へ、執拗に爆裂魔術を連射した。

 そして修復されるタイムラグの間に、左半身側に落ちた石ころに駆け寄っている。


 助走をつけて蹴り出されたそれは、空中で曲線軌道を描き、阻もうと伸びた巨人の指先からギリギリ逃れて、驚くほど正確にガップアイを狙う隕石となる。

 そしてファシムは石蹴り遊びをした直後に、再び石巨人に向かって、今度は正面切って〈透徹榴弾ステルスハウザー〉を連発し始めた。


 もちろん透過することはなく、威力不足のため貫通することもなく、さっきまでと同じで普通に表面を削るだけだ。

 なにをやっているのだろうというイリャヒの疑問は、しかし彼の中ですぐに解けた。


 石蹴りによる狙撃を見てガップアイの頭に一瞬でも自分自身の防御がチラつき、石巨人から意識を逸らせば、そいつは魔術抵抗力を失った、単なる棒立ちの石像と化す。

 不可視の凶弾にあっさり抜かれて、錬金術師は爆殺だ。


 だがそうはならない。ガップアイは飛んでくる石を目視で確認しつつも、石巨人に魔力を送り続けることをやめず、その掌はファシムを握り潰さんと広げられた。

 頼みの綱であろう石蹴りも、どうやら元から軌道が十数センチズレていた上、ガップアイがさらに慎重に距離を取ったことで、彼の数メートル手前に落下し……爆発した。


「ぶわっ!?」


 なまじ目視で確認していたのが凶と出たようだ。散弾した鋭い破片の一つがガップアイの左眼に刺さり、彼の攻撃意識が一瞬だけ寸断される。

 大鷲は獲物の隙を見逃さない。撃ち続けていた〈透徹榴弾ステルスハウザー〉の一つが堅固な石壁を容易にすり抜けて、ガップアイの堅肥かたぶとりの腹で炸裂した。


「おぐっ!?」


 目潰しを食らっても、いや食らったからこそ、ガップアイは己の危機を悟って魔力で身を固めていたようで、魔術抵抗が成立し、粉砕されたのは腹筋と出臍でべそで済んだ。

 そして小鉱精ドワーフにも自己再生能力はある、のだが……それがファシムの癖なのか、狙いが腹で良かった。もし顔で炸裂していたら、ガップアイの眼に刺さっていた欠片が眼窩を通して脳まで潜り、さすがにアウトだったかもしれない。


 しかしそれよりも……とイリャヒは地面を顧みる。イリャヒも似たようなことを何度かやったことはあるが、あんななんの思い入れもない石ころに対して、しかもあんな瞬時にできるものなのか? と舌を巻いた。


 イリャヒがソネシエやデュロンにやったように、ファシムは蹴った石に固有魔術を付与して飛ばしたのだ。

 とにかく思いつく限りの基礎・汎用技術を網羅している。この盤石を崩すのは容易ではなさそうだ。


 内部破壊には至らなかったため、気絶を免れ睨み上げるガップアイの眼光を、ファシムは正面から受け止めて口を開く。


「貴様の課題は、ソネシエ・リャルリャドネの正反対だな。すでに錬成した駆動木偶ゴーレムの変形は滑らかだが、とっさの切り替えと新規作成が遅い……というよりする素振りもなかったというのは、少し自分の能力を大雑把に捉えすぎなのではないか? 竜でも相手にする場合はまだしも、通常規格の人型魔族に対しては、コンパクトに振るえる鎚を用意しても良かろう」


 ぐうの音も出ない様子で眼を逸らす小鉱精ドワーフに、炎熱鳥人ガルーダは肩をすくめて言い添える。


「そして……俺は特にエリート志向なわけではない。先ほどの話を聞いていたのならば、教会組織における出世というものを、俺がどう捉えているかもわかるはずだ。ジュナス教会では、誰も真の意味でトップに立つことはできない。なぜなら……」

「……ジュナス教会に、救世主ジュナスよりも上の存在はいないから……」

「その通り。だがどうせなら信徒の中でも登り詰め、より近くで神に仕えたい、という猊下のお考えも理解できるものの、俺自身はそこまでする気概はない。

 どちらかというと今やっているように後進を育成し、組織としての存続に貢献する方に興味が強い。よって下を見ているということになるため、貴様の理屈で言うなら、俺の足を掬うのは、どうやら難しそうだ」


 ガップアイは観念したようで、胡座をかいて頭を下げた。


「悪かった。実は〈聖都〉ゾーラの知り合いに一人、とんでもねぇ上から目線のネチネチ野郎がいるもんで、そいつ由来の先入観を、あんたに投影しちまってたようだ」


 和解に安堵するかと思いきや、ファシムは思案げに顎を触っている。


「なるほど。ガップアイ・ガトーホン、貴様のエリート嫌いの原因はわかったが、その反骨精神は悪いものではないぞ。さっきも言ったように、俺の望みは貴様らの成長だ、そう易々と尻尾を丸められては困る部分もある。

 なのでこういう言い方をしておこう。神や天使、枢機卿や聖騎士という、抗う気力すら湧かぬ『天の領域』を除いた一般の祓魔官エクソシストの中では、確かに俺は比較的上位に位置していると言えよう。

 貴様ら若造にとっては、いまだ仰ぐしかない生態系の頂点に類するというわけだ。地ベタを這い回る哀れなクソ虫どもよ、悔しければこの俺を撃ってみろ」


 ついにガップアイは破顔し、ファシムを見上げる視線が敬意の混じったものに変わっている。


「……また相手してもらっていいか、教官殿」

「俺の時間を圧迫しない範囲内ならな」


 もうすぐ正規の訓練開始時刻だ、このなし崩しに始まった個別指導も終わりが近づいている。

 そして二人のやり取りを聞いていて、イリャヒはもう一つ気づいたことがあった。


 特に今のガップアイに対してがそうだったが、ファシムは飛行すれば容易に優位を取れる場面であっても、一度も鳥化変貌による翼の展開を行わない。

 つまりそうする必要がないほど、彼我ひがに力量差があるということなのだが……。


「やれやれ、お前ら揃いも揃ってだらしがないね」


 それなら次はどうだろう? すべてに長ける、なんでもできるという、ファシムの理想と実力に、おそらく若手の中ではもっとも肉薄し得る彼なら?

 ぶらぶら歩いてやって来たその姿を見た途端、ファシムの頬が自然とほくそ笑む。


「誰かと思えば、いささか見知った顔が見えるとはな。ゾーラではあまり虐めてやれなかったが……貴様が正式な祓魔官エクソシストになったという朗報を、もっとも喜んでいるのは訓練を課す俺かもしれんぞ」

「今日のオイラは絶好調ね、この勢いで飛ぶ鳥の一羽くらい落としてやるね」


 言うが早いかサイラスは、すでに肉片を口にしていた。

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