第309話 vs.ファシム・Lesson.2 突進と播種

 ソネシエがトコトコやってきて、イリャヒの隣で三角座りをする。

 妹の頭を撫でながら、彼は次の手合わせに視線を移した。


「「……」」


 右掌を突き出しただけという構えのファシムと、得物を手に棒立ちのギデオンは、しばらく無言で対峙していたが、いきなりギデオンの姿が消える。


「うぐっ……!?」


 と思えば、少し前進した位置で腹を押さえ、血を吐きながら失神するところだった。

 妖精族であるギデオンは、魔力がゼロというわけではないが、体内への爆撃を抵抗レジストできるほど多くもなかったようだ。


 例によってファシムは倒した相手を見下ろし、意識を取り戻すのを待って話しかけている。

 手を差し伸べたりはしないのは、彼が考える訓練相手への礼儀なのだろう。


「貴様は祓魔官エクソシストというわけでもないようだし、俺の説教を聞く義理は……」

「いや、聞いておきたい。どちらかというと、俺というよりはお前を知るためにだが」


 そういえばギデオンも「ファシムに探りを入れる」と言っていたが、考えてみれば会話の下手くそなこの男が、誘導尋問などに長けているとも思えない。

 身を挺して突っ込み情報を得るというのが、つまりは彼なりのやり方なのだろう。


 おそらくそのあたりはわかった上で、ファシムは見解を述べた。


「そうか。ならば……自分でわかっているだろうが、貴様ら赤帽妖精レッドキャップの空間踏破能力は、出会い頭の不意打ちでこそ最大の効果を発揮する。発動条件が『対象と視線を合わせる』なので難しいところではあるものの、しっかり対峙してからの正面戦闘で使うと、このように格好の餌食となる可能性が常に生じる。あまり迂闊には踏み込まないことを推奨しておく」

「なら……俺はお前のような者に対して、どう戦えばいい? 近接格闘も飛び道具も、通用するとは思えない」


 ギデオンが素直に尋ね返すのを、イリャヒは意外に感じた。頑固でプライドの高い男だというイメージを持っていたが、明確な格上相手に意地を張るタイプではないようだ。そういえばベルエフに対しても、一度戦って圧倒されたという理由で、従順な態度を示していたのを思い出す。


「そうだな……これも単なる思いつきな上に、貴様一人では成立しないことなのだが……眼を出せる者を探して、組んでみるという手もあるかもしれん」

「……相手の能力を看破できるような者という意味か?」

「いや、そうではなく……そんな能力があるかは知らん、理論上の話だが……たとえば相手の背中へ蝶の紋様のように、眼と定義できるものを投影するという、一見どういう意味があるかわからん能力を持っている者がいたとする。そいつの助力を得られれば、貴様はどんな相手の背後へも容易に肉薄できるようになるだろう。というような与太だ」

「そうか……俺はまだ、一人で戦うことに固執していたかもしれない……そういえばまだデュロン以外の者と、ほとんど連携したことがなかった気がする」

「貴様の来歴を鑑みれば、それもまたやむを得まい」

「……俺のことまで調べてあるのか?」

「というか、資料が置いてあったので読んだ。作成したのはおそらくグランギニョル猊下だ。粘着質だとか偏執狂だとか、所構わず発情するとか、ずいぶん酷いことも書いてあったからな」

「俺はやはりアクエリカを殺そうと思う。イリャヒ、お前も手伝え」

「なんで私を巻き込もうとするんですか、嫌ですよ。あと、ほぼただの図星ですし。教官殿、彼を止めてください」

「なるほど確かに、今の俺にとって猊下は直属の上司だ。しかし俺が真に仰ぐのは救世主ジュナス様のみ。極論、ミレイン司教どころかゾーラ教皇が誰であろうと、俺にはさしたる関係がない」

「猊下は信望がないようであり、あるようでない。とても不思議」


 妹の身も蓋もない感想を聞き流したイリャヒは、ふと気になり尋ねる糸口を探す。


「ところで、教官殿……えーと、その……いい天気ですね?」

「急に会話が下手になりすぎだ、イリャヒ・リャルリャドネ。貴様の訊きたいことはわかる。俺がここへ派遣される契機となったのは、さるお方……いや、貴様らは知っているだろうし、いいか。かのペリツェ公が操る使い魔の猫が、デュロン・ハザークが寮の庭で、『アクエリカ・グランギニョルをゾーラ教皇に担ぎ上げる』という主旨の内容を認めるのを確認したという事実だ。もちろん枢機卿である猊下には、当然そうなるべき資格がある。ただ……それを良しとしない派閥もあるというだけだ」


 場の空気が若干ピリつくのを感じたようで、ファシムは気楽に言い添える。


「安心しろ、なにか具体的な妨害命令を受けているわけではない。というか、仮にそうだとしても、俺が猊下に対してなにかできるとも考えにくい。俺が上層部の意向に従っているのは、彼らが現時点でグランギニョル猊下よりからというだけなのだし」


 つまり先ほどの言い草も裏を返すと、アクエリカがさっさとジュナス教会のトップに立ってしまったら、喜んで彼女に従うという意味なのだろう。

 この場に人狼がいないことがやや悔やまれた、発言内容の真偽を確定できない。まあ本人がそう言っているのだからひとまず信じておくか、とイリャヒはこの件を保留し、自分の役割に頭を戻した。


 赤帽妖精レッドキャップの空間踏破能力は瞬間移動でなく高速移動であり、発動後に阻害・遮蔽された場合の反応条件がどうも複雑なので、〈透徹榴弾ステルスハウザー〉が空間上の指定座標に照準して撃つタイプである線を、完全には消せなかった。

 ファシムが指摘したように、ギデオンが発動軌道上にわざわざ突っ込んで自滅してしまっただけである可能性が残るからだ。


 イリャヒが感知したファシムの魔力軌跡も、ギデオンの腹の中までで止まってしまったので、ファシムがそもそもその地点に罠として置きに行った結果なのか、ギデオンの初期位置に撃ち込もうとした結果なのかがわからない。

 かと言って対象となる人物や物体に照準して撃つタイプかというと、それもなんだかしっくり来ない気がする。やはりもう少し何度か見る必要がありそうだ。


 すぐにその何度かちゃんがやって来た。すっごく不本意そうにやって来た。

 ファシムもイリャヒと同じことを思ったようで、眼を丸くして話しかけている。


「おや、意外だな……なんなら貴様は遅刻してくるものとすら思っていたぞ」

「わたしもよほどそうしようかと思ったのでありますが……」

「リュージュ、ちゃんとやって」

「はい!」

「ナチュラルに年下から叱られてるじゃないですか、良い返事すぎます」


 ソネシエの言うことはわりと聞く怠惰な竜人は、あまりやる気があるようには見えない猫背の、構えているのかつんのめりそうになっているのかわからない様子で、ほとんどなし崩しにファシムと対峙した。

 ファシムはそういう手合いにも誠実に接し、平等に機会を与えてくれる素晴らしい教官だ。


「貴様の狙いはわかっている。なにも言うな、力で示せ」

「半分くらい諦められているせいで逆に優しい……!?」

「それは優しさなのでしょうか……とにかく、頑張ってください」

「任せろ! 教官殿、わたしがあなたに一撃入れたら、以後一切の訓練を免除していただく!」

「要求に遠慮と躊躇がなさすぎる……」

「しかも昨日面と向かって通達された、相手の基本方針を完全無視している……」


 ギデオンとソネシエすら戦慄する破格の条件提示にも、ファシムは冷静に応じる。


「構わん。できるならの話だがな」

「よっしゃあああ! 聞いたな!? お前たち聞いたな!?」

「小躍りするのは勝ってからにしてください、糠喜びにならないように」

「そうであるな! では……そうしよう」


 見慣れたはずのイリャヒすら、背筋に寒気を覚えた。

 ついさっきまでダレていて、今の今まではしゃいでいた女とは別人としか思えない、戦闘民族としての獰猛な微笑へと、リュージュ・ゼボヴィッチの表情は一瞬で変貌している。


 まさに先ほどファシムがソネシエに話していた、抜く手も見せぬ早業というやつを、リュージュはいつの間にか遂行していた。

 種はすでに撒かれた後である。生命息吹バイオブレスもとうに放たれている。


 イリャヒが「始まった」と思ったときには、リュージュはファシムに王手チェックをかけていた。

 リュージュが太陽だとすれば、その光を遮るように、極太の蔓性植物が十数本、ファシムに向かって伸びている。

 今回は本当にやる気のようで、その後ろからリュージュ自身も詰めるべく駆け寄っている。


 イリャヒの眼からは、蔓性植物がマメ科だということだけはわかった。

 使用状況から推察するに、炎熱系や爆裂系の魔術を浴びると、そちらの方向へ種子が弾けて、銃撃のように襲いかかるとか、そんな感じだろう。

 物理攻撃力・魔術攻撃力・魔術防御力が高いファシムも、物理防御力は並程度と見える。


 植物を止めるためにはリュージュを狙うしかないのだが、リュージュを狙うためには植物が邪魔だ。

 退いたり避けたり、徒手で突破したりしても、リュージュは次手を用意しているはず。


 もしやと思われる算段だったが、最初の段階で呆気なくつまずいた。


「ごびょほっ!?」


 蔓壁を無視して、〈透徹榴弾ステルスハウザー〉がリュージュの内臓で炸裂したからだ。


 竜人は体内の魔力がさほど濃密ではないが、内部循環を使っている最中の魔術抵抗力は、吸血鬼などの上位層と大差ない。

 だが〈ロウル・ロウン〉開催中に何度か見たように、外部放出と内部循環は同時併用できない。それがリュージュが痛撃を許した原因だというのはわかる。


 問題は〈透徹榴弾ステルスハウザー〉の対象通過条件がますます霧中となったことだ。

 ひとまず植物の細胞とリュージュの腹筋という二種二枚の遮蔽物を無傷で抜いたことで、単なる内部破壊能力ではないということは確定した。


 なら、後は……イリャヒの〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉同様に、照準した対象のみを攻撃する? いや、それだと体内に……間違いではないが、微妙に表現が異なるような……。

 イリャヒはほぼ答えを掴んだ感触を得ていた。一方で、脂汗を流して失神から覚めたリュージュに、ファシムがどういうことを言うかもおおよそ予想できた。


「今のは悪手だったな、リュージュ・ゼボヴィッチ。俺の爆撃が目視を必要とするかは、まだ判然としていないはずだ。相手の姿をわざわざ自分からも隠してしまうより他に、無防備に腹を晒して下僕の育成に執心するより先に、やるべきことがあっただろう?」

「ななな、なんでありましょう……?」


 完全にわかっていてすっとぼけている様子の彼女を、ファシムは冷血な眼で見下ろす。


「内部循環だ。体内への干渉を防ぎつつ、竜化変貌の鱗と荊の鎧でガッチリ守りを固めれば、属性の相性は劣位であるにも関わらず、俺に一撃食らわせられる可能性が貴様にはあった。

 なのになぜ安きに流れる? 貴様は貴様の植物に戦いを任せすぎ、頼りすぎ、先行させすぎだ。

 怠けるな、自分の手足を動かせ。まず今やるべきことは……わかっているな?」

「はい、すいませんでした……なんか楽して勝てるかなと思って、つい……」


 まだ全体訓練の開始前であるにも関わらず、一人で走らされ始めるリュージュを、イリャヒ、ソネシエ、ギデオンは哀れに……思うことはあまりなく、視界の端で見過ごした。

 ファシムは腰を軽く捻って関節を鳴らし、その勢いのまま振り返る。


「やれやれ。よし、次は貴様だな、ドルフィ・エルザリード?」

「どえええ!? なんでもうわたしのこと知ってるんですか、気持ち悪!?」

「酷い言い草だが、まあいい。るのか、らないのか、どっちだ?」


 少女が浮かべた上長森精ハイエルフらしからぬ、好戦的な笑みが答えだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る