第306話 脳の筋密度がちょっと低いだけね
どうやらあの後あのまま、仰向けにひっくり返って気絶してしまったらしい。
数分後に自力で復活したデュロンは、約束は約束なため、大人しく訓練に参加し直した。
常にない運動量を強いられて息を切らすヒメキアを、歯痒い思いで見守りながらも、結局ファシムの言いなりになるしかない。
疲れ切った様子のヒメキアは、それでも寮の仕事を普段通りにやってくれている。
デュロンに手伝える範囲にも限度があり、いるとむしろ邪魔だと言ってネモネモに厨房から追い出されたため、やはり見ているしかない。
無理して笑っているのがわかり、いたたまれない気持ちになった。
夕食が終わり、早めに就寝するという彼女を上階へ見送り、寮の地下訓練場を訪れたデュロンは、ドラゴン革サンドバッグくんに鬱憤をぶつけまくった。
「ちくしょう! なんなんだよあいつ! なにが『見ておくと参考になる』だよ、見えねーんじらねーか!」
「うははは! そいつは一杯食わされちまったね、デュロン!」
任務に出ていてあの場にいなかったサイラスが、小さめのドラゴン革くんを連打しながら、背中越しに笑い声を届けてくる。
傍らでは同じく別件で参加していなかったギデオンが、片手倒立指立て伏せの途中で、汗を落としながら口を挟む。
「わからないな、なにが問題なんだ? 逆にヒメキアの体力が増えることで、俺たちにデメリットがあるのか? 良い機会だと思うがな」
「あ? んだよギデオン。ファシムを倒すより先に、まずテメーをボコり直してやろうか?」
「お前に一方的にやられた記憶はないんだが、一度の辛勝がそんなに嬉しかったのか? いつまでも格上気取りを続けられても困る、改めて格付けを明確化しておくのも悪くない」
「こらこら、今お前らで揉めてる場合じゃないだろうね!?」
互いに詰め寄るデュロンとギデオンだったが、サイラスの仲裁より顕著に、地下へ降りてくる足音に聞き覚えがあり、自然と頭が冷えて、掴み合っていた
「やあ、励んでいるね。でも喧嘩は良くないのだよ」
オノリーヌ・ハザークは風呂上がりのようで、デュロンと同じくすんだ金髪を、今は解いて肩口に流し、手櫛で梳きながら歩いてくる。
実の姉に対してこういう表現をすべきではないかもしれないが、すっごい良い匂いがする。
デュロンの悩みは一目瞭然なようで、手近なベンチに腰掛けて、彼女はさっそく助言をくれる。
「弟よ、君の抱えているモヤッと感を言語化してあげよう。ヒメキアの体力強化の目的について、わたしも気になってアクエリカに尋ねてみたのだが、彼女も聞いていないそうだ。
状況と条件だけ見ると、ファシムはヒメキアをなんらかの任務に参加させる準備を、独断で整えていると思われても仕方がない。
そうだとすれば、むしろ我々が止めない理由がないため、わたしは君の判断と行動を支持するよ」
ようやくデュロンは、自分がなにを危惧してあんなにしつこく突っかかっていたのかを理解した。
一事が万事というやつで、「良かれと思って」「結果良ければすべて良し」という感じで、なにも説明せず勝手に進めるタイプの奴を放置した挙げ句、ある日突然ヒメキアが姿を消す……というような事態が、なにより恐ろしい。
具体的に言うとウォルコがまさにそうだったわけで、あんなのは二度と御免被る。
「それだ! ありがとよ姉貴」
「お安い御用なのだよ」
新しくやって来た教官に初日から弟の内臓が爆破されたというニュースは、彼女の耳にも入っていたようで、すでに頭と口と足を回して調べてくれているようだ。
その様子に感銘を受けた……わけではなさそうだが、サイラスが彼女に話しかける。
「オノリーヌ、こんばんはね。今夜もお前は顔が綺麗でおっぱいがでかいね。良ければこの後オイラとエロいことしないね?」
「そんなあけすけなナンパがあるものかね」
「というより、どちらかというと自殺だな」
ギデオンに指摘され、背後に真顔のデュロンが立っていることに気づいたサイラスは、慌てて振り返って弁解してくる。
「お、おい、待つね!? 冗談に決まってるね!?」
「黙れ。弟の前で姉を口説くからには、命を懸ける覚悟があると見做すぜ」
「ないねそんな覚悟!? このシスコン、すげー気が立ってるね!?」
なんとかデュロンが落ち着いたのを見計らい、ちょうど休憩に入ろうとした三人に、オノリーヌは持ってきてくれていた飲み物を渡し、自身も口にしながら話を続けた。
「他にもいくつか気になる点がある。たとえば任務中の緊急回避行動をヒメキアの自助努力義務とするなら、彼女に地を這わせるより先に、やらせるべきことがあるのではないかね?」
「地を這うって言い方……せめて走力とか……あっ?」
「うむ、だからわかりやすく言ったのであるからして」
最後に見たのがだいぶ前だったので、デュロンも忘れていた。
ヒメキアはいちおう鳥人なのだが、飛ぶのがいまいち下手くそなのだ。
臆病な性格のせいもあるのだろうが、落下しそうになった際にとっさに翼を開くというのが特に苦手な様子だった。
養父のウォルコは
だが
オノリーヌはすでにその疑問をぶつけた後なのだという。
「答えはこうだ。えーとね……『もちろんいずれは教えるつもりでいる。ただ、より体力を消耗しやすい鳥化変貌しての飛行機動より、普通に地上を走らせ、基礎体力をつけさせる方が先決だと判断したまでだ』だったっけ」
「自然な回答に思えるが」
「そうだね。ただそれを聞いているとき、
オノリーヌは種族に恥じない、悪辣な笑みを浮かべて喝破する。
「あれはねえ、つまり……わたしが人狼であることを鑑みて、嘘を吐かないように注意しながら喋っているという状態だったのだよ。
正直者というのとは少し違うね。わたしたちが今まで散々引っかかっている、『嘘を吐かずに騙す』という技術が、ファシムはどうもちょっとだけ苦手なようだと心得たまえ」
道理で覚えがあるわけだ。ファシムがデュロンの質問に対する回答をほとんど避けていたのも、真偽の判定自体をさせないためだったらしい。
「ファシムはなにかを隠している、それはわかっている。残念だけど現状、外から探りを入れられるのはここまでだろうね。
なので差し当たっては、デュロン、君が無理矢理手に入れたというチャンスを存分に使いたまえ。
なんだかんだ言って、なにかを聞き出すにはブン殴って脅しつけるのが一番だからして」
「うーん、やっぱり人狼ってしっかり蛮族なんだね。オノリーヌ、オイラお前のことは頭のいい女だと思ってたけど、実際はデュロンよりは脳の筋密度がちょっと低いだけね」
「褒め言葉と受け取っておこう。というわけでわたしの出番はここまでなのだよ」
姉が身を引くような仕草をすると、彼女の向こうにある地上へ続く扉を開けて、黒髪黒眼に黒服が似合う、吸血鬼の兄妹が背中合わせのかっこいいポーズで姿を見せている。
「話は聞かせてもらいましたよ!」
「聞かせてもらった」
アホ丸出しだが、今もっとも頼れる助言者がこの二人だった。
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