第305話 こんにちは、聖都ゾーラから来ました

 掴んでいた手を弾かれ、ヒラヒラと振ってみせながら、デュロンはファシムとの対話を試みる。

 といってもこの場合、挑発から始めざるを得なかったが。


「あーあー、困ったもんだね。口では理性的なことを言いながら、気に入らなけりゃ結局手が出る。本性丸見えなんだよ、隠してるつもりか知らねーけどな」

「……弁解するつもりはない。それより貴様ら、いつまで彼女を甘やかすつもりだ? 最近は特に街の外へ派遣される任務が多いと聞くぞ。疲れたと言ったら、負ぶって進むのか?」

「だとして、問題はないと思うぜ。むしろ近くで守れて効率的だと思うけどな。得意不得意とか役割分担って概念をご存知ない感じ? 一人でなんでもできちゃう先生にはわかんねーか?」


 言ってしまってから、この僻み丸出しの表現は付け入る隙を与えるなと思ったが、ファシムは思ったほど強くつついては来ない。


「ほう、意外だな。貴様の口から、努力を否定する言葉が出てくるとは。見損なったぞ、デュロン・ハザーク」

「お見逸れしましたの言い間違いかな? 才能の存在を無視する方がよっぽど努力を否定してるだろうが。成長と現実逃避の違いもわからずに教官やってらっしゃるんですか?」

「今の貴様を言い表すことわざは、様々な言語で散見されるが」

「はいはい、差し出がましいことを申し上げました。ついでに訊きてーんだが、アンタはヒメキアをどれくらいの強度で鍛えるつもりなんだ?」

「そうだな……まさか、貴様ほどとは言わん。一般の祓魔官エクソシストくらいのスタミナを目標にすれば充分だろう」

「なるほど。それで……具体的にどうなる?」

「得意なことだけ上手にできて、身内に褒めてもらえれば満足か? 楽で羨ましいな」

「さっきから俺の質問にほとんど答えていただいてる感触がしないんですけど」

「だろうな。答える義理がない」

「……そーっすか……困ったなー……」


 自分から突っかかっておいてなんだが、めんどくせーな、やめたくなってきたわ……とデュロンは内心でため息を吐く。

 一回気持ちを切り替えるつもりで、少し明るいトーンで口を開くが、どうしても苛立ちが滲み出てしまう。

 我ながら今日は調子が悪いなと思うが、自分ではどうしようもない。


「あー、当て擦りに聞こえたなら謝るし言い直す。ヒメキア自身がいいって言うなら、彼女のことを鍛えてくれることに、もちろん異論なんかねーよ。ただ目的がわかんねーから……」

「デュロン、大丈夫だよ。あたし、よわよわだけど、走りすぎても死んだりなんかしないよ。あたし、がんばってみようと思うんだー」

「あっ、うん。いや、お前のことそんなに弱いと思ってるわけじゃねーんだ。でも……」


 ヒメキアの性格では、嫌でも嫌とは言わないだろうというのもある。

 ただそれ以上に、ファシムの方針に関して、なんとなく引っかかるものがあるのだが、それを上手く伝えられないでいる。

 デュロンの煮え切らない様子に、ファシムも痺れを切らしてきたようだ。


「さっきから黙って聞いていれば、貴様は彼女のなんだ? 保護者のつもりか?」


 この問いで、デュロンの中の迷いが消えた。


 ほとんど直観で喋っていたこともあり、デュロンは自分が言っていることの正当性に、かなり疑問を覚えてきたところだった。

 一方でその直観が、ここで引き下がると後々良くないと言ってもいる。


 そうだ、こういうときこそだ。自分でわからないなら、神に委ねてしまえばいい。なにせ「神は正しい者に味方する」「決闘の結果は神の審判」だともっぱらの話なのだから。なので次に切る啖呵は、こうだ。


「いーや、俺はヒメキアの〈守護者〉だ。俺が持ってる中で、もっとも価値ある称号だ。

 これに傷をつけようってんなら、アンタの立場は関係ねー。の誇りにかけて、アンタに挑戦せざるを得ねーんだわ。お手数かけまして、本当に大変申し訳ねーんだけどよ」


 デュロンとしては不退転の決意で口にしたのだが、ファシムの反応は、呆れから肩の力を抜き、深いため息を吐くというものだった。


「ベルエフ・ダマシニコフは優秀な祓魔管理官エクソスマスターだと聞くが、奴がプレヘレデから……正確には〈聖都〉ゾーラから持ち込んだ、このなんでも果たし合いで解決しようという気風だけは考えものだな」

「思考停止だってのは言われなくてもわかってるよ。めんどくせーなら断ってくれ」

「いや……俺もここへ来る前に住んでいた地だ。存分にてられていて、肌に馴染んでしまうことがなにより嘆かわしい」


 思いのほか乗り気なのはありがたいが、もう一度だけ確認しておく。


「何度も言うが、ヒメキアや俺たちに理由を説明してくれりゃそれでいいんだよ。簡単なことだろ? お互い気分よくいかねーか?」

「…………」


 なんなんださっきから、といよいよイライラしてくるデュロン。基礎体力をつけさせたいだけならそう言えばいい。

 この状況というか感覚になんとなく心当たりがあるのだが、それがなんなのか思い出せないのがなおもどかしかった。

 まあいい、殴り合うと決まったのだから、あとはなにを言っても微差だ。


「あーハイハイ、ご機嫌斜めになると腕組んでそっぽ向いてシカトしちゃうタイプの僕ちゃんなのね。そんなに嫌なら答えてくれなくて構わねー、俺もテメーのかいてる吠え面でも見て、一人で勝手に満足するからよ」

「……貴様らに説明する必要はない。今したところで理解できないだろう」

「あっそ。理解の放棄を許可してくれてありがとうございます」


 ファシムが取ったのは、仁王立ちで右掌を突き出すという、構えとも言えない構えだった。だが舐めているわけではないことはわかる。


「……いいだろう。ただ手短に済ませたいところだ、しつこく食い下がられては困る。初対面時に貴様へした自己紹介をまだ覚えているか」

「俺のことどんだけバカだと思ってんだよ……さっきの今じゃねーか。近接格闘と魔術射撃、両方の教官を務めるってやつだろ」

「無駄に心臓がデカいだけあって、さすがに血の巡りは悪くないらしい。どうだ、どちらかが相手に一撃入れれば終わりというのは」

「異論はねーな」

「貴様に合わせて、あくまで近接格闘の先達として振る舞いたいものだが」

「いいよ。どうせ両方得意なんだろ、好きに使ってくれ」

「よろしい。では、貴様の蛮勇に対する敬意の表明として、識別名だけでも教えておこう」


 ファシムの放つ気迫が一段階深化する。

 それは魔力という具体的な脅威に裏打ちされている。


「俺の固有魔術は〈透徹榴弾ステルスハウザー〉。見ておくとそれなりの勉強になり、役に立つはずだ。これから続く貴様の、長い長い、祓魔官エクソシストとしてのキャリアの中でな」


 その皮肉は結構効いた、とデュロンは顔を歪める。

 ファシムは口に出さなかったが、おそらく「祓魔官としての」の後に、「そして〈銀のベナンダンテ〉としての」が続くのだろう。

 そうならないために戦っているのだ。なんとしても見切ってみせる。


「「…………」」


 無言で対峙する両者が、動き出すきっかけは唐突に訪れた。

 いや、正確に言うと、始まった瞬間には、すでに終わっている。


「……ッ」


 発動前兆が読めなかったが、その理由はなんとなくわかる。問題はそこではない。


「ぐはあっ!!?」


 ファシムが放った爆裂系の固有魔術は、不可視の上に、デュロンの頑丈な筋骨を無視して、無傷のまま透過し、いきなり内臓のド真ん中で炸裂してきたのだ。

 不可避のダメージに体が無音の悲鳴を上げ、口から大量の血が溢れる。

 全身の末端まで伝播する痛みと、それよりも大きな無力感を叩きつけられた。


 ドラゴスラヴのようなただ出力のイカレた大爆発に対する驚愕や畏怖とは異なる。

 カラクリを理解できない精密攻撃に対する、自嘲を含んだ困惑の苦笑が浮かんだ。


 これは練度の産物だ。才能すごいで片付けることすらできない。

 そう、たとえばウォルコのような強さを、この男は持っている。


「デュロン!」


 ヒメキアが叫びながら駆け寄ってきてくれるが、手で制する。

 彼女はいつも、敗者の元へ先に走る。

 そのこと一つ取っても、この場の趨勢は明らかだ。

 だがデュロンは意地でも、姿勢も虚勢も崩さない。


「あー、クソ……敗けちまったか、ハハ。もう一回頼むぜ、教官殿よー……言っとくけど、俺が勝つまで続けっから!」


 まさしく予想通りといった感じで、炎熱鳥人ガルーダは嘆息する。


「だから言ったのだ。立場上ここで貴様を殺すわけにもいかん。こうなると明日からもまた、しつこく食い下がってくるのだろう? 善後策だ、今回のルールを今後も適用してやろう」

「血が足りねーバカの頭でもわかるように言ってくれると助かる……」

「一日一回、一撃限りのトライだ。それ以上はさすがに付き合い切れん。好きなときにいつでも襲いかかってこい。貴様の要望通り、それがハロウィンの夜まで続けば、さすがに諦めもつくだろう」

「おまけに地獄耳かよ……クソが……わかった……けどよ……」


 人間時代からよく言われるように、骨格筋に比べて内臓筋は鍛えにくい。

 とはいえたった一撃で効かされて、意識を持っていかれるというのは、なんたる文字通りの腑抜けか。

 仕方ないので言うべきことだけは、揺れる指先でなんとか相手の顔を指差して言っておく。


「……信頼も、納得も、なく……いつまでも、他者ひとを……動かせると思うなよ……!」


 霞む視界が見せた錯覚かもしれないが、答えるファシムの鉄仮面は、少しだけ悲哀に歪んでいた気がする。


「わかっている。そして、貴様も……いずれ、わかるときが来るだろう」


 だったら今わからせてくれよ、という言葉は焼けた喉に引っかかり、そのまま飲み込んで消えてしまった。

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