第296話 うちは自由だし酒飲んで出勤も全然OKだけどさ
どうやら一件落着のようだと、露天掘りの縁から底面を見下ろしながら、ギデオンは欠伸に近いため息を吐いていた。
味方が勝つことを確信していたというより、あの程度の相手を捌き切れないようでは困る、という心持ちだ。
「やった! デュロン、つよい! サイラスさんもすごい!」
「こらヒメキア、暴れるな。落ちるぞ」
勝利に歓喜して跳ね始めるひよこを押さえ、元通り自分の隣に座らせるギデオン。
猫のシュネーザの方がよほど大人しいくらいだ、困ったものである。
ただし諌めているギデオン自身、事程左様に警戒心や危機感を抱いていないのもまた事実だ。
村の趨勢が決定づけられたにも等しい状況であるにも関わらず、住民たちが剣呑な気配を放つ様子はない。
やはり教会の支配力を躱し続けるのも潮時だという認識が先行するのだろう、賢明で助かる。
ただし例外もあるようで、バカが暴挙に打って出る。
疲労困憊のデュロンとサイラスの隙を突いて、どこからともなく飛来した鳥人が、気絶したジェドルの身柄を掻っ攫い、あっという間に採掘場から去っていったのだ。
「なにっ……!?」
いや、正確には違う。黄金色の翼を生やしているのは、赤土色の髪を振り乱し、必死の形相を見せるパグパブだ。
彼女が
ギデオンが空間踏破能力を使えば、一瞬で追いつけるが……護衛任務の最優先事項は、対象の安全確保だ。
パグパブとジェドルの捕縛が重要でないとは言わないが、実質敵地でヒメキアを放置してまでやることでない。
そしていずれにせよ、それは彼のやるべき仕事ではないので、問題ない。
舞い散る羽根を光と影が貫いて、慌ただしい声と足音が駆けつけてくる。
「あーっ、もうこんなところに!」
「いいから追うわよ、まだそう遠くには行ってないはず!」
ホレッキとナーナヴァーが全身ヌルヌルになっている理由はわからないが、その状態でもエルフダッシュは結構速く、あの調子なら逃がしはしないだろう。
そう考えて見送ったギデオンだったが……すぐに認識を改めさせられた。
「!」
突如として起きた凄まじい地鳴りから、怯えきるヒメキアとシュネーザを守る。
震源はちょうど今ホレッキとナーナヴァーがやって来たばかりの、第一採掘場方面だ。
数秒と待たず、眼下に姿を現したその元凶を見て、さすがのギデオンも血の気が引いた。
なにがまずいと言って、一番の接近遭遇を果たしてしまった、デュロンとサイラスが惨死の一歩手前にいる。ここは緊急措置を採るべきと判断した。
たまらず駆け出すギデオンは、跳躍の寸前、護衛対象へ言い置いた。
「ヒメキア、俺を見ていてくれ!」
「えっ!? う、うん! あたし、見てるね!」
聞き届けた返事を後方へ置き去り、戦闘妖精は救出のため加速する。
数十秒前のこと。第二採掘場で行われている決闘の様子を使い魔越しに観ていたヴィクターは、〈ロウル・ロウン〉で推していたドヌキヴがやられたときと同じように、寝そべって足をバタバタさせることで落胆を表現した。
「あーあ、敗けちゃった。まあいいや、ジェドルはパグパブが保護してくれるでしょ」
「……いいの? ジェドルがヒメキアの血を得ることが、今回の肝だったんじゃ?」
なにごともなかったように岩肌から立ち上がり、ズボンについた砂を払いながら、あっけらかんと彼は答える。
「もちろん、そうなればいいなとは思っていたとも。でもそれはジェドルやパグパブの気持ちの問題だ。自主性って大事だからね。確かに、今から行うのはあくまでサブプランではある」
「でも、油壺の底に隠し溜めてたあんたの血、さっきの蛙の悪魔を喚んだときに、使い果たしちゃったんでしょ?」
「うん。だから次の悪魔を喚ぶために、今から新しいのを出さないとね」
そう言ってヴィクターは銀合金製のナイフを取り出し、躊躇なく自分の手首を切りつけた。
再生能力を無視して組織が傷つけられ、出血がしばらく止まらなくなる。
早くも眩暈がしてきたが、それは酩酊にも似たある種の快感を伴った。
「うわ……」
「やめてその、僕の精神が純粋に不安定みたいな反応」
「いや、あんたの血をその量で悪魔喚んでも、憑依時間は長くて一分も持たないでしょ?」
「うん。でもそのくらいあれば充分なのさ」
だらしのない恍惚の表情を浮かべている自覚はあるが、ヴィクターの理性はいささかも減じてはいない。
「あれ、エモちゃん、もしかして勘違いしてないかい? 手段と目的が逆かもよ?
僕が件の生体兵器を手に入れるために、ジェドルとパグパブを利用してると思った?
いいや、違うね。あの二人がこうやって追い詰められたとき、足止めのためにポンコツ眠り姫を叩き起こす……正直に言うと、僕の中では最初からこのつもりで、こっちがメインだったわけ。
ジェドルは気分を害するだろうけど、背に腹は代えられないよね」
「じゃあなおのこと、ヒメキアの血は必要なんじゃない?」
水盆に溜まる自分の血を、揺らめく炎を見るときと同じ気持ちで眺めつつ、ヴィクターは詩でも吟ずるように口ずさむ。
「ノンノン。ジェドルはさ、目の付け所はいいんだけど、やり方に無駄が多いんだよね。護衛を排してヒメキアを捕まえ、洞窟の中まで連れていくとか、普通にめんどくさいじゃん。もっと簡単にやろうよ。そう、たとえば……。
サイラスやデュロンがそうだったし、さっきパグパブもそうなってたんだけどね。
悪魔は憑依するとき、依代の肉体が再生機能不全なんかで損傷・消耗したままになっていると、基本的に自前の魔力で全回復させるサービスを提供してくれるようだ。
といっても別に親切心によるものじゃない。玩具の駆動に支障があると、遊びが楽しくないからさ。
悪魔が使う回復魔術は、もちろんヒメキアのそれには劣るんだろうけど、一定の状態異常をも治癒しうる権能であると、僕は推定しているわけで。
ともあれ、実際に試してみよう。ダメだったら、そのときはそのときだ。
形象は蜘蛛、属性は土。第三十一の悪魔ダーダリン、我が元へ顕出せよ!」
「うわあ!? ちょっとヴィクター、やるときは今からやるよって言いなさいよ!」
普通の会話からシームレスに詠唱へと移行したことで、エモリーリは肝を潰したらしく、その慌てぶりにヴィクターは笑ってしまう。
その間にも、水盆から暗黒物質が立ち上り、ラテアートで描かれたような、コーヒーとミルクを思わせる美味しそうな縞模様を持つ、巨大な蜘蛛の悪魔が姿を見せる。
というか実際に、鋏角で小さなカップを持っていて、へべれけの様子だった。
【ハァーイ、俗界のみんな、元気!? みんらのアイドル、ダーラリンひゃんのお出ましらろーん! ひれ伏せひれ伏しぇー! あっはっは!】
「酔ってる? 酔ってるよね?」
【酔ってないれしゅよぉ! わらくひを酔わへっちゃらば大したものれす!】
「べろっべろじゃん……いや、うちは自由だし酒飲んで出勤も全然OKだけどさ」
【このマスター話わかるぅ! おしゃけじゃにゃくてコーヒーらけどね! でゅふふふ!
ほれであちちのよりひろにゃにゃってふれるお肉の塊ひゃんはろこのろたたでにょ?】
「なに言ってるか全然わかんないんだけど……もうちょい呂律回してくんない?」
【らからぁ! わきしをひょーいはへたい相手は誰ざんす!? って言ってんのぉ! 状況と文脈でわかりゃろろ!】
「ああ、そうだね、ごめんごめん」
この村では秘匿事項に該当し、おそらくアクエリカやデュロンも、いまだ掴んでいないだろうが……ヴィクターはこの村を訪れ、村長や副村長と顔合わせを済ませるだけで、容易にその名を知ることができた。
「ザカスバダクだ。君があれを動かせないなら他の対象に変えるけど……」
【あーもー、バカにするらぁ! 生き物らららんれも憑依できらぁ、なめんにゃよ! 大きいやつらとひょっと操るのが難ひーへど、わたひゃんなら可能れふ! 腕前見へひゃるどー!】
不明瞭に宣言するなり再び暗黒物質と化し、第一採掘場方面へ飛んで行くダーダリン。
その酔態を面白く見守った後、ヴィクターは補完関係にある相棒を振り返った。
「どう、エモちゃん? 上手く運びそう?」
未来を見通す梟の少女は、風に遊ばれる長い金髪を押さえながら、半ば呆れたように微笑んでみせる。
「今のところ、あんたの望みのものは手に入ることになってるわ」
「よし、ならこの線で行こう。ザカスくんには頑張ってもらわないとね」
生体兵器・ザカスバダクの仕様とスペックを知っているヴィクターは、とにかく初動が肝心だと理解している。
もっともそれは対処する側も同じだと、受難者たちに思いを馳せた。
今度こそ敗けろ、デュロン・ハザーク。墓標くらいは立ててやる!
「おいおいおい、なんだなんだ!?」
いきなり起こった地鳴りに狼狽えるデュロンだったが、すぐにそれが先ほどイザボーに開けてもらい、自分が通ってきた横穴の向こうから発生していることに、そこそこの聴覚で察していた。
あそこにいるのがなにかって、そんなことは言うまでもない。
迎撃体勢を整える暇もなく、それは砕いた岩を爆散させつつ、大穴開けて現れた。
『うーっひゃっひゃっひゃ! ザカスくん、お砂場に到着ぅー! 遊び相手も揃ってるじゃんよ! ねぇねぇっ、あーたーしーもーまーぜーてー♡ なんつって! 今の声、幼女っぽくなかった!? 超かわいくない!? あははははは! もう興奮で酔いとか覚めちゃったっつーの!!』
……なんだかめちゃくちゃうるさい悪魔が憑いているようだが、それすら文字通りのノイズでしかない。
問題は悪魔が憑いていることそのものではなく、それによってこの生体兵器の眠りが覚まされてしまったことなのだ。
悪魔が去った後は、こいつ自身が思い出した機能と使命そのままに、暴れ続ければいいだけなのだから。
体高約5メートル、体長約20メートルの、鰐に蜘蛛を合わせたような姿をしている。
巨大な鉤爪を有して爬行する八本脚は度外れた馬力でうごうごと蠢き、見るからに硬い鱗の上にうっすらと毛のようなものを纏っている。
鼻腔に並んで上を向く、宝石のように円らで美しい眼は四対八個、怪しい輝きを放つ。
開いた大顎には口唇に沿って並ぶものとは別に、鋏状の巨大な牙が横向きに開閉する。
「マジかよ……」
大陸を覇する怪物という触れ込みにしては、いささか貧相な体躯と言わざるを得ない。
だが今ここでデュロンとサイラスを喰い殺すためには、充分なスケールを有していた。
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