第294話 不味いんだよ、比類なく不味い!
やっぱり俺に策士は向かねーな、と自嘲するデュロン。
彼がジェドルに仕掛けた目論見は、成立させるためにいくつかの憶測がすべて当たっている必要があるという、針の穴を通すような不安定な代物だったからだ。
まず前提として、化身化した悪魔憑きの肉体は一つの炎の塊となっているのだから、表皮や内臓の別もなく、(そうする意義があるかはまた別の話としても、)この状態のジェドルの体内へなにかを入れること自体は、実際に足を突っ込めたことからも、容易であると考えられる。
その上で、
そして、悪魔が贄として魔力含有量の高い血液を好むことは、憑依の持続時間が伸びるという実利的な側面も含めて、何度か確認済みである。
ならば、魔力ゼロの人狼であるデュロンの血液を、彼らはどう感じるのだろう?
味覚というのは摂取物の栄養価を推し量ることがその主な機能の一つであると、いつだか姉が言っていた。
悪魔も魔力の感知器や受容体のようなものを持っているはずで、そこに快不快が生じること……悪魔が一定以上にグルメで、かつ、ドグレギトがその紳士的な口調ほどには寛容ではなく、ジェドルの精神世界内でキレて暴れ、肉体の主導権を脅かしてくれることに賭けるしかない。
最後に、それによってジェドルの冷徹をどこまで切り崩せるかという問題がある。
デュロン、ウォルコ、リュージュがそうしたように、それでも地力で悪魔を捩じ伏せ、主導権を保持する胆力があるのなら、デュロンとサイラスは敗けて死ぬだろう。
またサイラス、ベナク、パグパブがそうしたように、さっさと抵抗をやめて主導権を譲り渡し、悪魔が暴れるに任せても、デュロンとサイラスは敗けて死ぬだろう。
中途半端に意地を張り、かと言って押し切れもせず、ダラダラと拮抗状態を続けてもらう必要があったのだが……結論から言うと、どうやらどれも外れてはいなかったようだ。
「貴様ら……さすがの吾輩ももう我慢ならん! それがこの世界のもてなし方なのか!? 上位存在に対する敬意というものが欠片もないのか!?」
今、ジェドルの肉体の主導権を握り、表出している人格はドグレギトのものだ。
自らの力である炎の化身を戦慄かせ、手ずから止めを刺さんと迫り来る。
完全にカタにハメてやった、もう怖くない。軽い足取りで躱すデュロンを、ドグレギトはさらに追撃しようとしたが、右足に続くはずの左足が頑として動かず、上体が奇妙に捻れて、顔面の筋肉が不自然に歪む。
「待てコラ駄犬、リードの長さが足りねぇか!? テメェはこの俺の糧となり、黙って力だけ貸してりゃいいんだよ! あと少しだったのに、なにを邪魔してやがる!? ちょろっと血ぃかけられたからなんだってんだ、貴族のお嬢じゃねぇんだぞ!?」
なんとか交代したジェドルは辛うじて数発の攻撃を繰り出すが、デュロンは冷静に躱しつつ、四指を伸ばした両手を前に突き出して、先ほどと同じように血液を噴射する。効果はないが反応は覿面で、化身の面相が苦渋に満ちた。
「ああっ、だからそれをやめろと言っている! デュロン・ハザーク、貴様の肉体は依代として最高のものだが、貴様の血液は生贄として最低のものだぞ! 不味いんだよ、比類なく不味い! 今すぐあの小鳥の娘と代われ、すぐそこで見ているのはわかっている!」
「バーカ、誰が二目と会わせるかよ。だいたいあいつは猫好きなんだ、生まれ変わって出直してこい」
「そういう問題かよ!? いや、これはテメェら両方に言ってんぞ、駄犬とクソ狼!」
「一人芝居が楽しそうだな、お前ら意外と相性いいんじゃねーの?」
「誰がこんな奴と!」
「今のどっちだ、両方の総意か?」
ヒット&アウェイでガンガン血をブチ込み、相手が悶えるのを面白く感じ始めたデュロンだったが、生体活性で血圧を上げすぎたようで、眼や耳、鼻や口から流れ出るのを自覚する。
初めての試みということもあってか、再生能力がいまいち上手く働いていないし、強烈な喉の痛みを覚える。
だが有効なので続ける。ついでに
今度こそ確信した。この調子なら制限時間を潰し切れる。
悪魔を焚き付け肉体の主導権争いを起こさせるという、内側への撹乱方法を採り始めたデュロンを、サイラスは少し離れたところで眺めていた。
冴えたツラして本当に冴えている、やはり大した奴だと、自然に笑みが浮かんだ。
しかしあれもそう長くは保たないだろう。本来はサイラスの戦いであるはずなのに、任せてしまって申し訳ないことだし、最後の一押しくらいは手助けしたい。
ドグレギトの炎が有する再生阻害能力は精強なようで、サイラスの炭化した右脚はいまだ治り始める兆しがない。
人間の戦士なら逆立ちしても這ってでもデュロンの元へ駆けつけることを考えるのかもしれないが、あいにく魔族は、
今、脚はどうでもいい。最悪、後でヒメキアに治してもらえばいい。
ここから動けないならなおのこと、ここから援護行動を取るべきだ。
サイラスはポケットから肉片を二つ取り出し、口へ放って咀嚼する。
〈
さすがに生体と比べて魔力は繊細なため、こちらは八種同時とはいかず、二種同時が限界だが、俗に言う属性混合型の固有魔術を、即席作成できるというのは大きい。
問題はどうやってジェドルを掣肘し、最大限の時間を稼ぐかである。
答えはすぐに出た。伊達に幼い頃からあのガキをからかっていない。
「おっ、まずいね……」
そのガキは変わらず翻弄されてくれているようだが、貧血なのだろう、デュロンの動きが鈍くなってきた。
仕掛けるなら今だと感じ、サイラスは腹の底から声を出す。
「やい、ジェドル、このバカ! こいつを食らうといいね!」
「あぁっ!?」
どれだけ眼中にないふりをしていようと、サイラスの呼びかけは無視できないだろうと踏んだのだが、案の定、体ごと振り返ってくれる。
その素直さはかわいいものだが、今は付け込ませてもらう。
効くはずのなかった血鉄砲というバカバカしい子供騙しで見事に踊らされてしまっているジェドルに対し、サイラスまでもが液体による攻撃を仕掛けたら、ジェドルはどう思うか。
「テメェ火が相手だから水ならいけると思ってやがるな!? そんな単純なわけねぇだろ、舐めてんじゃねぇぞ!」……という感じか。
だから避けるでも迎え撃つでもなく、奴は受ける。
主導権を握っているのがドグレギトでも、やはりサイラスの浅慮を疑い、同じ結論に達するはずだ。
果たして奴は……奴らはそうした。
だが残念、サイラスが放った波濤は水ではなく、液化爆薬だ。
「!!?」
炎の体が炸裂し、闘技場の中央に砂煙を巻き起こした。
無論、ダメージはないだろう。すぐに収束するだろう。
サイラスの懸念はただ一つ、化身が散り散りになったまま悪魔が去り、ジェドルの肉体が細切れのまま生体へ還元してしまうことのみだ。
ムカつくガキだし今や完全に敵だが、死んでほしいとはまったく思わない。
「……クソ、がぁ……!」
見覚えのある憎らしい、苦み走った顔を目にして、聞き慣れた罵言を耳にしたことで、ようやくサイラスは安堵の息を吐いた。
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