第293話 食前酒だ、血の味から覚えてくれよ

 こいつはマジでヤベーな、というのが、黒焔ジェドルに対峙したデュロンの第一印象だった。


 挨拶代わりにとりあえず一発かましてみたが、まるで手応えらしきものを得られなかった。おそらく物理攻撃は無効、デュロンにとって相性最悪の相手だ。

 それでも、悪魔憑きに伴う派生能力であるとわかっているのは幸いだった。倒し切る必要はない、相手が勝手に活動限界に陥るまでやり過ごせば済むのだ。

 ただし半端は通じない。超積極的・超攻撃的に時間を潰し切る必要がある。そのためには一人では難しく、この場での相棒に協力してもらう必要があった。


 危うく難を逃れてジェドルから距離を取ったサイラスに、デュロンは努めて軽い口調で話しかける。


「よー、無事か?」

「なんとかね。助けてくれてありがとうね」

「いーってことよ。それより提案なんだが、あいつなんかメラメラ燃えてて、ジェドルのくせに生意気じゃね? 俺とお前でボコボコにしちまおうや」


 横目で視線を合わせて景気のいいハッタリをフカしてみせると、サイラスは察したようで、ニヤリと笑って調子を合わせてくれる。


「そうね、ちょっと調子コイててムカつくね。お仕置きの必要があるようだね」

「……黙って聞いてりゃ、テメェら、好き放題言いやがって……!」


 禍々しくもどこか神々しい、悪魔の化身となっていても、ジェドル自身の性格が変わるわけではない。

深淵潜者アビスダイバー〉の特性に、憑いてきた悪魔を自分の精神世界に沈め落として縛り付け、無条件に肉体の主導権を獲るといったものがあるのかもしれないが、いずれにせよ単純バカの人格が表出していることは、デュロンとサイラスにとって有利な要素の一つと言える。


「やれるもんなら、やってみろ!」


 吐き散らす気炎も意思があり、その心理に分析の余地があるなら、天災ほどに恐ろしくはない。

 サイラスも同じ考えのようで、デュロンの姿に眼を留める余裕がある。


「おっ、それいいね。オイラも真似しちゃうね」

「だろ? 名付けて脚絆形態ゲートルモードだぜ」


 まさしく厳密かつ強靭な活動能力を要求される場面だが、〈最適調整オプティマトウィーク〉の修得にはまだしばらくかかりそうだ。

 なのでデュロンは細かい変貌を一時放棄し、「足で走って足で蹴る」という、この上なく面倒のないコンセプトを押し出してみた。


〈ロウル・ロウン〉の優勝決定戦で仕上げた、ズボンのずり落ち防止というアホみたいな理由で作った餓狼形態ハンガーモードの修正版を、さらに下半身偏重にした感じだ。

 岩のようにどっしりとした足腰とは対照的に、上半身は走るフォームを維持するための、最低限の筋力しか残していない。


 どちらかというと耐久力の面で不安があるのだが、いずれにせよ全部避けるしかないので、些事といえば些事ではある。

 というか、前回対戦したときは無我夢中の勢い任せだったので、ドグレギトの炎に再生阻害能力があることに、デュロンはまったく気づかなかった。


 幸い今回もヒメキアが近くにいるが、彼女を駆り出して危険に晒すような真似は、可能な限り避けたい。

 それこそウォルコに叱られてしまうというものだ。


「……チッ、そういうことかよ」


 サイラスが消化変貌による肉体活性でデュロンとほぼ同じ形態に至るのを見て、さすがのジェドルも二人の狙いを察してしまったようだ。

 燃え盛る表情が冷静さを取り戻し、炎の体がぬるりと動いて距離を詰めてくる。


 二人は同時に反応し、二手に分かれて疾走する。ジェドルが繰り出す火の手は速い、舐めるように地を這い、瞬く間に至近へ到達する。


 デュロンとサイラスは、とにかく。蹴りの風圧で炎を煽り、勢いそのままに回避動作へ繋がるという、向こう見ずな逃げ腰とでも呼ぶべき奇妙な姿勢を維持する。

 けっして触れずに、かつ注意を惹き続けるという、神経の焦げる間合いを保つ。


 二人がかりでけしかけて、的を絞らせないというのも功を奏した。炎の体で触れようと躍起になっていたジェドルが、撒き散らし発射することに思い至ってなお、二人は付かず離れず、入れ代わり立ち代わり、死のフラメンカを踊り切る。


 実際、デュロンにとっても楽な作業ではなかった。普段の彼が魔術の発動前兆を感知できるのは、あくまで相手の肉体が思念の発露として体臭を醸し、それを読み取っているからに過ぎない。

 今のジェドルは動く炎の魔力そのものなのだ、ほとんど直観で対処するしかない。サイラスにしても、ジェドルの思考・行動パターンをある程度知っているから、なんとかできている芸当に違いない。


 極限の緊張状態の中、何十秒か……おそらくすでに一分以上は経過した。

 ドグレギトの……すなわち化身ジェドルの活動時間は、もうそう長くは残っていまい。

 徐々に要領も掴んできた、このままのペースで動き続ければ、なんとかこいつを捌ききれる。


 ……もしかしたら二人のそんな確信が、ジェドルに油断として伝わってしまったのかもしれない。


 黒焔となっても変わらない、彼の緑色の眼が、冷静から冷徹へと、さらにもう一段階深化したように、デュロンには見えた。

 灼熱に晒されているにも関わらず、背筋が凍って震え上がる。


 気づけばサイラスの右脚は、膝から先が炭化し崩れ落ちていた。


「いっ……!?」


 あまりの早業に反応も間に合わず、バランスを崩して倒れるしかない彼を、デュロンも呆然と眺めるしかない。

 速さ自体が増したのか、要領を掴んだのか……いずれにせよこの短時間で、ジェドルが炎の化身における〈最適調整オプティマトウィーク〉を修得してしまったことは、どうやら間違いないようだった。

 デュロンもサイラスも、まだこいつを甘く見ていたのだ。


「テメェは後でいい……先に潰しておかなきゃならねぇのは」


 尾を引く軌跡を眼で追うことすらままならず、焦眉の急がそこにある。


「お前だ、デュロン・ハザーク」


 もはや是非もない。避けるか受けるかの二択を迫られ、避ければ倒れて、生きた火災が覆い被さっている。

 パワーもスピードもスタミナもタフネスもなんの意味もない、絶対強者による審判の場が設けられていることに、デュロンはその只中で前髪を炙られるに際し、ようやく気づくことができた。


 仰向けに寝かされてしまったが、腕も脚もまだまだ動く。しかし動かす意味がない。何度避けようと数手先で追いつかれるし、打撃も斬撃もまったくの無駄だ。

 そしてもはや数秒先に、明確な死が迫っていた。


「あばよ、狼野郎。肉の味くらいは覚えてやるぜ」


 眩しい漆黒に照らされて、デュロンの脳はかつてない速度で回転していた。


 サイラスは脚をやられた、再生も救援も間に合わない。炎の弱点、風……それはもうやったし、あまり意味がなかった。

 イリャヒがいれば、ソネシエが、リュージュが……いや、この仮定は意味がない。もし一時的な無力化に成功したとしても、どうせ数秒で元に戻るのだ。その数秒を稼げずにこうして窮しているわけだが、なにか根本的に考え方が間違っている気がする。

 熱い、眼球と鼻腔が限界だ。どうする? 姉貴ならこんなときなんと言うだろう? ヒメキアなら……いや彼女を巻き込むわけにはいかない。ヒメキアの血が、悪魔、喚んで……違う、ウォルコの二の舞……。


「!」


 取り留めのない思考が明後日の方向で噛み合い、デュロンは確証のない、まるで頼りない閃きを得た。

 とにかく今はこれに縋るしかない。もはや恐怖で腕も脚も動かないが……体内の活性と、指一本程度なら、その限りではない。


 デュロンはジェドルに向けた両掌の真ん中を、部分変貌した親指の鉤爪で引っ掻き、その傷穴から加速させた血流を、水鉄砲のように噴出した。


「……?」


 避ける必要が皆無ゆえ、無防備に浴びたジェドルの戸惑いは、嗅覚感知がなくとも容易に察せられる。

 当たり前だ、まったく意味のない行動である。こんな微量の液体で消火などできるわけがないし、眼にかかったとしてもそこも炎なのでなんにもならないし……なんというか、あまりの浅慮に対してむしろ硬直してしまうという、相手の気持ちはよくわかる。


 にも関わらず、まるでブレる様子がなかったジェドルの瞳には、明らかな動揺が浮かんでいる。

 意思に反したように唇が戦慄き、憤怒の形相と抗議を表明した。


「オ、オイ……なんだ今のは……? デュロン・ハザーク、ふざけるのも大概にしろよ!?」


 どうやら思いつきは上手くいったようだと、いまだ残る火刑の恐怖に震えながらも、ひとまずデュロンは虚勢の笑みを浮かべ、軽口を叩いて応じておく。


「別に? 煽るばかりじゃ芸がねーから、冷や水かけてやっただけだよ」

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