第292話 つまりこれが、アビスダイバーの真髄ってわけだ
「手は打ってある」と言われたきり、デュロンにとってはやきもきする待ちの時間が訪れていた。
夜目が利いてなお真っ暗闇の洞窟内に、アクエリカの声が反響する。
『ごめんなさいね。村の住民に見つかることがないように、念のため潜伏地点を遠めに設定してしまったのだけど、もうすぐ着くわ』
「着くって、誰が……?」
言うが早いか、地面がモコリと盛り上がり、出てきた顔には見覚えがある。
「あ、アンタは……落とし穴の姐御!」
『あ、そっか〜……あなたの認識はそこで止まっていたのよね〜。ちなみにデュロン、この前〈ロウル・ロウン〉でベナクくんを唆し、
「なんだと!? で、今そいつを手玉に取ってるアンタこそなんなんだ、アクエリ姐さん!?」
『うふふ〜。こんなこともあろうかと思いまして〜。だってほら、場所が鉱山だもの〜』
「……えーと、そろそろ自己紹介くらいさせてもらっていいさね?」
とにかく今は味方ということで、イザボーは部分変貌した右手を掲げてみせる。
「アタシの爪なら硬い岩盤も効率よく砕いて、直通経路を掘り出せる。
さあ若旦那、言っておくんな。目的地までの道程は縦穴か横穴、どっちがお好みだい?」
デュロンは横穴を選んだ。理由はいちおうある。
「ダーメね。もうわかったね、何度やっても同じことね」
反論しようとしたジェドルの喉は、呻いて血を吐くのが精一杯の様子だった。
「ぐはっ……!」
昨日サイラスがジェドルに肉をせびったのは、手持ちを切らしていて楽に補充したかったというだけではない。
サイラスがジェドルと同じ手札を持つということは、言い換えればサイラスはジェドルの知らない材料を使わないということでもある。
「皮肉なもんだね。オイラたち魔族の深淵を、もっとも深く掘り下げられるのは、お前であるはずなのに……実際にはオイラの方が、より本領に根差した援引を可能としている」
サイラスの特異体質〈
だがその代わりにサイラスは、一度に八種類の形質を同時発現できること、ひいてはそこから得られる膨大な経験則により、様々な種族の運用特性について浅く広く習熟している。
通常は己一個の肉体活性を厳密に制御し、常に最大のパフォーマンスを発揮する技術を、総じて〈
手が届く範囲のすべてにおいて良いとこ取りができれば、その瞬間ごとに求められる最高のスペックを常に叩き出せれば、理論上は最強の人型魔族となれるわけで、サイラスはその近似値を体現している自負がある。
……問題はなんらかの能力が素で飛び抜けて高い、卓越・特化した強烈な個に押し切られがちという点なのだが……少なくともジェドルの地力そのものはそうではないし、彼が育てていた肉の中にも、そこまで顕著な素材はなかったらしい。
さもありなんという部分はある。
「困ったね……お前もそうだが、オイラは
せめてもの抵抗の意思を見せるジェドルに対し、サイラスは無表情で距離を詰める。
「だからこういうとき、なにを使って引導を渡してやると、格好と収まりがつくのか、よくわからないね」
だから雑に殴ることにした。わけのわからぬまま終わりにし、済し崩しに勝利の報酬をいただこう。
物真似お化けに相応しい、グダついた決着を迎えさせてやろう。
それがせめてもの慈悲のつもりで、サイラスは混成獣化変貌形態の剛腕を振り抜いた。
この期に及んで、ジェドルの眼光は死んでいない。
それどころかより強く燃え盛るように見えたのは、サイラスの錯覚……ではなかったようだ。
確かに狗の悪魔ドグレギトは、約半年ぶりの「お喚ばれ」に際し、浮き足立っていたと表現しても差し支えなかった。
喜び勇んで馳せ参じ、依代に指定されたジェドル・イグナクスとかいうガキの精神世界の只中へ、無防備に飛び込んでしまったのも事実ではある。
「……!?」
ざぶん、と舐めるように身を包む深海のごとき暗闇に際し、かの悪魔が当惑の念に駆られたことは、なので無理からぬ事情ではあった。
悪魔が依代の潜在意識に侵入し、自分色に塗り替え、そこに顕在化した依代自身の精神体が悪魔と遭遇することで、両者による肉体の主導権争いが成立するわけだが……そもそもここは元々は依代自身の心象領域であるはずで、人魚や魚人というわけでもなく、心を病んでいるわけでもなさそうなジェドルが持つ原風景が、こんな真っ黒い液体のようなもので満たされている意味がいまいちわからない。
はてどうしたものかと、ひとまず漂うドグレギト。水というわけではないようで、呼吸を阻害されるわけでも、炎の魔力を減殺されるわけでもないのは幸いだが……たとえれば墨で塗り潰されたキャンバスを出されて「ここに好きな絵を描いていいよ」と言われたようなもので、茫漠すぎて着手に迷う。
だがその懊悩も短時間に留まった。
気づけばこのダイビングのバディが、程近く寄り添っている。
ただしそいつは……ジェドルの精神体は、犬歯を剥き出しにして獰猛に笑っている。
止めの一撃だと過信して、効率を無視したゴテゴテのパワーアームで殴りつけたのが、結果的にサイラスにとって吉と出た。
様々な種族の筋骨と外皮で装甲した彼の拳は、ジェドルの顔面を貫通し……いや、すり抜け無効化される格好で終着したからだ。
「なんね……!?」
おかしい。こんなことができる特殊な種族の肉を摂取する様子は見られなかった。というか今のジェドルは、素の
そしてその見立ては正しかった。
だからこそ、ジェドルは得体の知れない黒い炎を発し……いや、炎そのものとなり、触れるものみな焼き尽くすことができるのだ。
「おあああああっ!?」
突っ込んだ右腕が灼熱に苛まれ、慌てて消化変貌をすべて解除するサイラス。
間一髪で自他認識の剥離が間に合ったようで、身代わりとして捨て切った生体装甲が燃え落ちていく様を、彼は混乱しつつも、頭のどこか冷静な部分で観察していた。
ほとんどの魔族は自前で再生能力を持ち、必然的にサイラスが消化変貌に用いている種族たちもその例に漏れない。
にも関わらずこの黒い炎に対しては、まるで無抵抗に破壊を受け入れている。
再生能力を阻害するという魔術の性質として理解はできるし、これだけ特殊で強力なものとなると、上位の魔族か、あるいはそれ以上……たとえば悪魔のものと考えれば納得はいく。
しかし、ならなおのこと普通の悪魔憑きとは異なり、ジェドルの肉体そのものが炎と化しているのはどういうわけだ?
「ハハッ……なぁ、サイラス」
原因は一つしか考えられない。ジェドルの特異体質〈
おそらく押し並べて
肝心の記憶を飛ばされており、また参考となるサンプルケースが乏しすぎるため、はっきりとは言えないが……サイラス自身も悪魔憑依に際して〈
「こんなことになっちまって、今さら言い出すのも気が引けるんだがよ」
つまり同様に、ジェドルは今憑いている悪魔の力を、精髄まで引き出す……この場合は端的に言うと、悪魔そのもの……物理攻撃の通らない、魔力の塊のような状態にあると考えられる。
悪霊と定義する方がわかりやすいかもしれない。流動する不定形となり、一方的な優位に酔いしれる、嗜虐の表情とも合致する。
「俺の記憶が間違ってなけりゃ……確か本物の
一手で形勢が逆転した。そもそも誰が悪魔を召喚したのだという、些事へと思考が逃避する。
再生不能の破壊の炎、それそのものと化したジェドルに対し、サイラスはもはや為す術がない。
「よぉ……結局俺を下に見てたから、こういうことになるんだよ!」
火を見るよりも明らかな死滅が、涎を垂らしてにじり寄る。
今際を迎えたサイラスは、走馬灯すら見ることができない。
恐怖で頭が麻痺したのではなく、思い巡らしても、誰の顔も浮かんでこなかったのだ。
オイラは空っぽだ。悟った悲しみさえ焦げていく。
だが結果的には、無駄が省けて助かったと言えた。
こういうしんみりしたのは、またの機会に取っておこうと、素直にそう思えた。
にわかに空っ風が駆け抜けて、悪魔の炎の頭部分に、大穴開けていったからだ。
「……なんだ、テメェは……なんで邪魔をしやがる……?」
もちろんジェドルには効いていない。実体のない化身が揺らめき、元の形を取り戻す。
再生方式としては妖精族の「空気の体」に、無限の修復力を与えたような感じだろう。
一方で、高速機動で炎を吹き散らしながら突っ切ったため、デュロンの方もほとんどダメージなしで着地して、振り返り様に景気よく煽る。
「なんだはこっちの台詞だ、ジェドルくんよ。てっきり火の輪潜りの練習をさせてくれるのかと思って、気持ちよく飛び込んじまったじゃねーか。
ところで、ルールは聞いてる。これで二対二だな、よろしく頼むぜ」
魔族の階梯を一時的に踏み越えたはずの
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