放たれなかった魔弾

第248話 何を劇的と感じるかはまあ人それぞれ

 意識を手放しかけたシャルドネだったが、すぐにそうする必要がないことに気づいた。

 シャルドネ自身の血にしては、やけに臭いがきついのだ。


 ぼとり、と落ちる音に振り向くと、喀血する青い有翼の蛇と視線が合い、その群青の眼から末期の光が消えていくところを、シャルドネははっきりと目撃した。

 ソネシエの方から別の一匹が飛んできたかと思うと、シャルドネの肩に止まり、アクエリカの声が耳元で慰撫の言葉を囁いた。


『お気になさらず……こんなこともあろうかと、準備していましてよ』


 ソネシエがカバーできない方向は、シャルドネについているアクエリカの使い魔が警戒する……そういう護衛プランが組まれていたのだろう。

 背後から脇腹を刺されそうになった瞬間に這い出てきて、身代わりとなってくれたのだ。


 一撃で命を砕かれ、泡と消えゆく使い魔の一匹を、しかし掬い上げようと試みる余裕すらない。

 魔族に対する絶対凶器を握り締め、シャルドネに殺意を向けるのは、前席の男一人ではないからだ。


 具体的には老若男女の観客全員が、形も刃渡りも種々なれど、一様に銀の光を放つ剣や刀、ナイフを手に手にじわじわ包囲を狭めてくる。

 それだけでなく、壇上の演者もすでに全員が二重の意味で芝居をやめ、槍持つ者は投擲の構えに、弓持つ者は番えて引き絞る。


 なるほど、パニックになった観客の中に何者が紛れているかわからず、わざわざ手口を開陳するなど百害あって一利なしなため、犯罪集団が犯罪行為の公演を行うわけはない。

 ただしこのように観客・演者が全員グルで、悪質なサプライズパーティを開いてくれる場合は別なのだ。


 シャルドネも彼らの評判を聞き及んではいた。しかし一方で彼らが自分を狙う理由に心当たりはない。……いや、一つだけある。だが、まさか……。


「一つだけ訊きたい」


 シャルドネの思考をソネシエの、微塵の動揺もない声が遮った。

 姪っ子は叔母に代わって前席の男と対峙し、叔母が自分と背中合わせになるよう、袖を引いてくる。


「仮にわたしたちの動向を把握していたなら、ここへ至るまで何度でも襲撃の機会はあったはず。なぜ、ここなの」


 てっきり理性のない凶漢かと思っていた男が、わりと普通に話すのが背中越しに聞こえてくる。


「ハハ……いくつか勘違いしてるな、お嬢ちゃん。まず俺たちは別にあんたたちの動向を逐一把握なんかしちゃいない。ただお便りを応募して、今ここに誘っただけだ。

 次に、確かに俺たちは犯罪組織だが、戦闘も暗殺も専門じゃない。街中に潜伏し、あるいは隊伍を組んで襲撃……なんて高度な真似はできやしない。待ち伏せが常套手段なのさ。

 最後に、金で依頼を受けもするが、ただ殺すだけじゃ意味がない。そう、こうして……」


 上擦り裏返る声を通して、シャルドネは底冷えする狂気の針を突き刺される心地がした。

 今男がどんな表情をしているか、こちらからは見えないが、お目にかかりたいとは思わない。


殺さなきゃなあ。だろ? そうでなくっちゃ、俺たち〈劇団〉の仕事とはいえないし、意味がないよなあ!? 地味にサックリ、なんてやっちゃあ、団長殿に叱られちまうぜ!」


 呼応して、周囲の殺気も高揚する。まずい。ソネシエ一人ならこの人数と得物でも、なんとか切り抜け脱出できるのかもしれない。

 だが今はシャルドネというお荷物を抱えている。なんということだ、またドジを踏み、足を引っ張ってしまっている。


 その場にへたり込んで頭を抱えたい衝動を、彼女は抑えるので精一杯だった。

 ふと気づくと、眼前に青い有翼の蛇が一匹浮いており、使い魔を通しても減衰しないアクエリカの威が、澄んだ声とともに放たれた。


『シャルドネ、合図したら走りなさい。あなただけでも逃げるのよ』

「そ、んな……」


 確かに、誘導灯のように浮遊するその蛇の背後には、両開きの大きな扉が見える。

 しかし、どうやって〈劇団員〉たちの攻撃を掻い潜り、あそこまで到達すればいいというのか?


 なにより自分のミスで巻き込んでおいて、ソネシエを置いていくなどありえない。

 しかし敵の包囲攻撃が始まると同時、シャルドネはアクエリカの意見が適切であることを理解した。




 両開きの大きな扉に両手で触れる。展開範囲を両扉全体に、破壊対象をすべての蝶番に設定。

 固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉を発動。貧弱な両腕で一押しするだけで、燃え盛る両扉が小劇場内へ倒れ込んでいく。


 予想通り、場内後部にいる〈劇団員〉たちはこちらに背を向けているため、降りかかる炎に呆気なく巻かれ、容易く恐慌に陥った。

 イリャヒはその様子を悠々と眺めつつ、優雅に一礼してみせる。


「お取り込み中大変失礼! そしてもう一発失礼いたします!」


 再び放った炎は、中央の通路を蹂躙する形で一直線に伸び、シャルドネとソネシエに直撃・爆発して、この余波だけでも数人が散った。

 火元であるイリャヒに対し、すでに何人かが迫っているが、戦闘において彼の取り柄はこの炎しかない。


「重ねて失礼」


 なので無造作にブッ放す。青い煉獄の中でもなお歩みを止めない彼らの胆力には敬服するが、残念ながら携えた刃は一つもイリャヒに届かず、〈団員〉たちは燃え尽きていく。


 銀の武器には魔力への浄化作用があるため、イリャヒの炎も容易く切り裂くことができる。

 ただし無効化できるのはその斬撃の軌道上のみであるため、すべて打ち消して防御し切るという曲芸的な迎撃は至難と言える。


 たとえば人間の魔術師が相手なら、剣術込みで凌ぐこともできるのかもしれないが、あいにくイリャヒは吸血鬼である。

 無限に近いと定義される潤沢な魔力を惜しみなく放出すれば、火傷の範囲は広がり続けるばかりで、すぐに抵抗できなくなる寸法だ。


 そして、そんなことは些事でしかない。固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉の本領はあくまで、味方と識別した存在を一切傷つけないばかりか、対象に触れるものみな焼き尽くすほどの、苛烈な加護を与える点にある。


 中央通路に形成した炎のトンネルを走り抜け、汗だくで自分の元へ到達したシャルドネ叔母様を、イリャヒは優しく迎え入れて労う。


「やあ叔母様、災難でしたね。後は我々に任せてください」

「はぁ、はっ、あ、ありがとう、イリャヒくん……で、でも、ソネシエちゃんが……」

「お気持ちはわかります。けどね……どうか見ていてあげてください。あの子がどんなに強く、頼もしいかを」


 もはやこうなった以上、相手に勝ち目はないと確信し、イリャヒはただ慈愛の視線で、観客席の中央を見下ろしていた。


 そこには氷の剣を携えて、炎の衣を纏い、果敢に戦い、舞い踊る妹の姿がある。


 どんな大劇団の有名演目より見る価値があると、これもまた彼は確信していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る