第247話 ようやく開幕、狩猟劇

 だがトレンチはそこでいつもの調子を取り戻し、酒と煙草を持った無防備な両手を挙げ、楽しげに謳った。


「まぁまぁ、待て待て、一回落ち着けよ。先に言っておく……って言おうと思っていたのに、畳みかけやがるもんで機を逸した。

 とにかくだ、今回の件に俺たちはまったく関わってねぇ。てめぇらんとこの姫様との強引な取り決め通り……なぁ、イリャヒくん? お前の叔母様にも、その周囲にも、今後一切手を出す気はねぇ。

 神に誓っても聞く耳持たねぇだろうし、人狼二人の嗅覚に訊いてくれ」


 確かに嘘を吐いている様子はない。だがそれよりも気になる点に、当のイリャヒが言及した。


「……その件とやらについて、詳しく聞かせていただいてもよろしいですか?」

「クハッ! この俺まで情報屋として囲おうってのか? 横着はいかんぜ。

 真実ってやつは意外とそこら辺に転がってるもんだが、だからこそそいつをどう扱うかってのが、そいつにどういう価値が生まれるかを決める。

 要は水物なんだな。腐りもしねぇ金すら吸い上げ溜め込むしか能のねぇ俺たちに、あんまり高度な真似を求めてくれるな、パンクしちまう」


 これ以上はなにも助言する気はないということらしい。

 左手で優雅に料理の堪能へ戻りつつ、右手で虫にするように追い払う仕草をしてくるので、黙って引き下がるしかない。

 そして意外なところから賛同の声が降ってきたので、ますます従うしかなかった。


『そうよ〜、そのおおむねうなぎみたいなシルエットしたおじさんの言う通りだわ〜。コネは自分の力で築くものよ』

「誰が鰻だ、てめぇが蛇のくせに……」


 どこからか現れてデュロンの頭に乗ってくる青い有翼の蛇……正確にはそれを操るアクエリカは、二股に分かれた舌で正論をのたまった。


『あなたたち、二人の様子が心配なのはわかりますけど、その辺にしておきなさい。サボりでなくパトロールだと言い張るなら、繁華街とか酒場とか、この時間に見るべき場所があるでしょう? まったく、いくら身内が相手とはいえ、ストーキングまがいの行為を働くなんて、最近ミレインの風紀が乱れていると思いません?』

「アンタはいいよな、アクエリ姐さん。シャルドネ叔母様とソネシエ、両方に使い魔をくっつけてるから、両方の視点で覗けるもんな」

「そうだね。さっき二人が仕立屋さんに入ったときも、叔母様視点でソネシエの着せ替えを、ソネシエ視点で叔母様の反応を楽しんでおられたはずであるからして」

「うーん、私、純情なので、ちっとも知りませんでした。猊下は女好きの上に変態だったのですね」

「うむ。しかし、さもありなんな部分もある。歴史的に教会は女同士の情事を、男同士のそれよりも格段に甘く取り締まる傾向があり……」

「要するに問題は公私混同なのでは……」

『はいこっちで振り分けるわね! これは命令! 命令でしてよ! ちょっとその白い目で見るのをやめてくれないかしら、リッジハングの前で、統率の弛緩や権威の失墜という、付け入る隙を晒すなど愚の骨頂よ!』

「アンタが今みたいに普段から弛緩と失墜しまくってんじゃねーか……しょうがねー、散るぞお前ら。姉貴は寮に直帰しろよ」

『こんなときでも忘れないシスコンの鑑ね』

「アンタの使い魔いっぱいいるし、一匹くらいイリャヒのおやつにしてもいいよな?」

「それ私の側に拒否権あります?」


 暮れなずむ街へ三々五々去っていくデュロンたちをトレンチの、おそらく他意のない笑みが追う。


「ま、頑張んなよ。こっちとしても、奴らは煙てぇと思ってたとこだ。これを機に一掃……とまではいかねぇだろうが、少しはお掃除を進めてくれると助かるぜ」


 それが誰に向けた言葉なのかは……もちろん全員がわかっていた。




 シャルドネがソネシエの手を引いてオペラホールに到着したのは、開演予定時刻の10分前だった。

 ロビーを抜けるとすぐに、収容人数200人ほどの小劇場に入ることができる。

 そこまで大人気というわけでもないようで、席の埋まりは半分ほどだった。


 世間もお休みの日曜日ということもあってか、客層は老若男女がまちまちといったところである。

 真ん中あたりの段の、真ん中の通路に面した右側の席に、二人は並んで腰を下ろし、劇が始まるのを待った。

 そわそわしているソネシエの様子から、劇の内容も楽しみにしてくれているとわかり、一緒に来て良かったな〜と、シャルドネは微笑む。


 劇の内容はワイルドハントをモチーフにした、結構有名な演目……のはずだ。

 ワイルドハントというのは人間時代からあった民間伝承に出てくる、亡霊や精霊たちによって構成された狩猟団のことで、彼らの旅の様子を描いた物語が、現行の魔族社会では一定の支持を得ている。


 しかし、考えてみればベナンダンテにも似たところのある伝承なので、ソネシエとしては不愉快かも……と今さら思い至って振り向くシャルドネだったが、別段そんなことはないようで、姪っ子は猫のような思慮深い横顔で、舞台の様子をじっと見つめている。

 ほっと一息吐いたシャルドネは、自分も劇に集中し始めた。


 今回描かれる狩猟団の頭領は、はっきりと名前こそ出されないものの、異教……北限神話の槍を持つ主神であるようだった。

 これを〈教会都市〉ミレインで演るのは角が立ちそうなものだが、アクエリカはあまりとやかく言わなさそうでもある。

 というか彼女の場合は確固たる信仰心の強さゆえ、「どこの何神がしゃしゃり出てこようとも、ジュナス様こそが最強なのよ」くらいは言いそうだ。


 狩猟団を構成する他の面々もキャラが立ち、会話シーンを通して顔と名前を一致させるだけでも楽しめた。

 もっとも、狩人という設定だからというのはわかるのだが、やけに弓使いの比率が高いのは気になった。


 とはいえ、劇の内容自体に不満はなく、ソネシエもそれなりに興味を持ってくれているようだ。

 だが二時間ある演目のうち(ちなみに中断による休憩時間などは挟まれない)、中盤あたりに差し掛かったところで、やや雲行きが怪しくなってきた。


「……妻とは、別れたんだ。あいつはあまりに俺に不実すぎる……」


 なんというか、湿っぽいというか……やけに人物関係がドロドロしてきたのだ。

 なんか思ってたのと違う。間違っても十代の姪っ子と一緒に観るような内容ではなかった。


 シャルドネはとてもいたたまれない気持ちになったが、きっとソネシエも同じはずで、彼女の方を見られない。

 叔母様はこういうのが好きなのか、とか思われてないかしら? 違うのよ〜ソネシエちゃん、私はもっとカラッとしたのが……というかさっきまでの華麗な殺陣たてはなんだったの!? ずっとあれをやっていてくれればよかったのに!


 ……いや、確かにこの頭領である主神の妻は愛と結婚と豊穣の女神でありながら、夫に対してはわりと平気で裏切りを重ねる奔放な面がある。

 なので設定上間違いではないのだが、それにしたって切り取り方というものがあるだろう!?


 なぜ英雄譚にいきなり愛憎劇を絡めるのか? その方が売れるからか?

 原典に忠実……というほど明確な原典が存在するわけではないが、脚本家はなにを考えていきなりここで舵を切ったのだろう?


 ちょっとマジでこれはどうかと思う。シャルドネは激怒した。しかしもちろん大人なので、文句を言ったりすることはなく、無言で悶々としつつも見続けた。


 無駄に回転を速めるシャルドネの頭が、余計な知識を手繰り寄せてしまう。

 確かその女神は、不妊に悩む異民族の王夫妻に、子宝を授ける林檎を届けさせる、というエピソードを持っていたはずだ。


 その連想と、舞台上で仲間たちから総スカンを食らう頭領の様子が紐付けされ、嫌なことを思い出してしまった。

『また駄目だったのか』『ちゃんとしてるのか?』『そもそもの結婚だったのに、ってんじゃ話にならないねえ』『こういうのはだいたい嫁の方が悪いと決まってる』『口答えするな』『せめて夫を守り立てろ』、とどめに『放っておけよ。たかが他者ひとのガキだろう』ときたもんだ。


「うぶっ……!」

「叔母様、どうしたの」


 気づけば悪心に支配され、前屈みになって口を押さえ、脂汗をかいたシャルドネは、またしてもソネシエに心配をかけてしまっていた。

 自分が誘った観劇でこの体たらくなのだ、予想できなかったとはいえ、我ながら情けない。

 しかし一方で、この子たちを相手に強がりは通用しないし、そうする必要がないこともまた、幸いにして忘れてはいなかった。


「ごめんね。ちょっと気分が優れなくて」

「では、一緒にお手洗いに行く。わたしについてきて」


 真ん中の通路に面した席にしておいてよかった。他の観客の迷惑にならないよう、こっそり立つソネシエに続くシャルドネだが、やはり申し訳なさが先行した。


「い、いいのよソネシエちゃん、続きを見たいでしょう?」

「途中までは面白かった。しかし……」


 階段状の通路を登りながら、ソネシエはふと振り返り、自分の頬をつつきながら、昼間に占い師から言われたことを、小声でそらんじた。


「おちびはまだ年頃ではない……わたしの春はまだ先、だそう」


 気を紛らわせるために冗談を言ってくれたのだと気づき、シャルドネの顔が自然と綻ぶ。

 それを確認したソネシエが出口に向き直ったので、シャルドネはその背中を追った。


「……んっ……!?」


 次の瞬間……シャルドネは背中側の左脇腹に衝撃を感じた。


 反射的に手で押さえながら振り向くと、眼を見開いた凶相がある。確か真ん前の席に座っていた男だったはずだ。


 彼が素早く引き抜いた刃は、赤に塗れつつも、魔族が恐れる銀の輝きを放っている。


 シャルドネが濡れた感触を得て手を引っ込めると、そこにも芳醇な血の色があった。


 これは私のじゃない。気が遠くなる彼女は、自分にそう言い聞かせるしかなかった。

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