第240話 デートをしよう!

 その後の数日はソネシエにとっても、ごく平和裏に流れていく時間だった。

 任務をこなすのはいつも通りなのだが、アクエリカのところへ直接拝命・報告に行く機会があるたびに、シャルドネ叔母様の笑顔を見ることができ、たいへん心が洗われる。


 叔母様は先日ソネシエたちが募兵リクルートした書記官の子とも打ち解けており、とても楽しそうに働いていた。

 もっともその子を連れてきたのは、ほとんどヒメキアの功績だったのだが。


 そのヒメキアはというと、最近は仕事が終わった後に、主に元・護衛チームのメンバーたちを家庭教師とし、談話室で勉強に励むことが多くなっていた。

 主な科目は、社会科だ。この魔族時代の一般常識だけでなく、戦闘における魔術の運用セオリーなども学んでいる。


 ソネシエ自身も含めて全員が忘れがちだが、ヒメキアもいちおう祓魔官エクソシストであり、〈銀のベナンダンテ〉の一員なのだ。

 といってもほとんど名目上のもので、体力・格闘訓練などはほぼ受けていないが、あくまで緊急回避と専守防衛を想定してのカリキュラムらしい。


 ソネシエとしてはいつものように「必要ない。ヒメキアはわたしが守る」と言いたいところだが……一方でヒメキアに勉強を教えるのは楽しいというのが、彼女の家庭教師に就いた者たちの共通見解だった。

 他者ひとの話をよく聞いて理解し、積極的に質問してくれる生徒というのは、理想的に過ぎ、望むべくもない存在だ。


「じゃあソネシエちゃん、銀に触ると、魔術で作ったものもみんな壊れちゃうの?」


「基本はそう。わたしの〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉で生成した氷も、銀が持つ魔力の無効化作用に従い、木っ端微塵に砕け散る。

 ただし例外があって、それは錬成系の魔術による生成物。


 魔力によって新たな物質や現象を創造・放出する、通常の攻撃魔術に数えられるような炎熱系、氷冷系、雷霆系、風嵐系、光芒系、闇影系、音響系、爆裂系、水瀑系等々と異なり、元からその辺にある物質を吸収・再構築する錬成系の魔術に対しては、銀はその魔力を介した変化そのものを阻止することはできても、変化後の物質を否定……つまり還元・消滅させることはできない。それはさすがにこの世界の理に反するため。


 よって錬成系魔術で生成した物質は、魔力を注ぎ続けて維持する必要もなくそのまま残留させることができるし、場合によってはすべての系統の魔術の中で唯一、逆に銀の」


 そこまで言ったところで、ヒメキアが笑顔のまま固まって頭から湯気を出していることに気付き、ソネシエは彼女の真っ赤になったほっぺをもちもちと捏ねて再起動を試みる。

 ちょっといっぺんに喋りすぎた、こういうところは兄と同じだ。


 そのイリャヒはというと、隣のソファでデュロン、ギデオンとともに、難しい表情で仕事の話をしている。


「また〈劇団〉かよ、あいつらどうやって捕捉すりゃいいんだ?」

「魔術的欺瞞ならいくらも暴きようがあるのですが、彼らのものは純粋な演技力ですからね。固有能力ではないということは、つまり後天的に教育可能な素養ということで、団員と思しき連中が引きも切らずに湧いてくる。まるでかつての〈永久の産褥〉です」

「全員をいっぺんに動かし、一網打尽にするというのも難しそうだな。命令系統がどうなっているのか、いやそもそも本当に組織として確立されているのかすら未詳だ」


 彼らが話題にしている〈劇団〉というのは、本当に演劇をする団体のことではなく、最近台頭してきた犯罪集団の通称である。

 奴らはとにかくどこにでも現れ、どんな役柄にも化け、なんでもやるのが特徴だ。


 この前はなんとか一家というギャングをホームパーティに招いたあるホストファミリーが、実は全員〈劇団〉の構成員で、なんとか一家を解体してしまったという報告が上がっている。

 ボスの正体も一切不明、とにかく関わりたくない連中である。


 などと考えていたソネシエは、傍らに近づいてきた足音を察知し、体ごと振り向いた。

 そこにはシャルドネが立っていて、遠慮がちに声をかけてくる。


「ソネシエちゃ〜ん、今いいかしら〜?」

「叔母様、こんばんは。今夜は星が綺麗」

「あ、は〜い、こんばんは〜。そうね〜、ここまで上を向いて歩いてきたわ〜。

 ……ソネシエちゃん、明日はお休みだって聞いたんだけど、その……なにか予定はある?」


 ソネシエは再起動中のヒメキアを眺めながら思い出し、率直に答える。


「ない。どう過ごそうか、迷っていた」

「そ、そう? えーと……もし良かったらなんだけど……これっ!」


 叔母様が嬉しそうに取り出したのは、とある劇団が市内のホールで開催する演劇の観覧チケットだった。

 ……つい今しがた〈劇団〉の話を聞いていたので複雑な気分になるが、犯罪集団が犯罪行為の公演を行うわけはなく、名前を聞いたことのある、実在する劇団の名前が書かれている。


 ソネシエの沈思黙考をどう受け取ったのか、叔母様は慌てて言い足した。


「あ、あのね、前々職……前々々職だったかな……の同僚にそういう伝手のある人がいて、いつか暇になったら行きたいなーみたいなことを話したのね。たぶんそれを覚えててくれて、私の近況を風の便りに知ってくれたのか、その人の名義で私の私書箱にこれが投函されていたの。2枚あるんだけど……うーん、もしかしたらソネシエちゃんは観ても楽しくないかもしれないんだけど、有名なタイトルだし、もし良かったら、一緒にどう? みたいな……」


 尻すぼみになるお誘いの言葉を逃さず捉え、ソネシエははっきりと意思表明した。


「行く。叔母様との思い出を、たくさん作りたい。仮に劇が退屈でも、不満は生じない」

「そ……ソネシエちゃん〜っ……! 嬉しいわ、ありがとう〜!」

「良かったね、ソネシエちゃん! 明日はシャルドネさんとデートだね!」


 だばだば涙を流す叔母とにこにこ笑みを振り撒く親友に挟まれ、しばらく多幸感でぼーっとしていたソネシエだったが、ヒメキアの言葉を反芻し、ハッとした。


「デート……」

「そうだよソネシエちゃん。明日は一日お休みだもんね?」

「そう。……叔母様、劇は何時からなの」

「えっ? えーと、夜六時からって書いてあるわ」


 ソネシエはすっくと立ち上がり、意思表明を決意表明へと昇華した。


「なら、明日は一日、シャルドネ叔母様とデートをしたい。色々なところを一緒に回って、楽しいことをしたい。それがわたしが今できる、もっとも有意義なこと」


 とはいえ相手にも都合があり、少し強引だったかとソネシエが顧みると、シャルドネ叔母様は……にっこり笑った状態で動かなくなっていた。

 イリャヒとデュロンが席を立ち、目の前で手を振ったりして確かめるが、やがて愕然と所見を口にする。


「し、死んでる……」

「いや、立ったまま気絶してるだけだが……大丈夫なのかこの人、どんだけ姪っ子大好きなんだよ」

「私が言うのもあれですが、叔母様はなんというか……すごく健全な方向に伸びているだけで、絶対値で言うと、その……」

「変態だな」

「変態です」

「へ、へんたいなんだ……」


 変態だが、それでも慕って止まない叔母であることに変わりはない。

 明日はなにを着て行こうかと、ソネシエはさっそく楽しみになり、そわそわと足踏みをし始めた。


「フ……これもまた愛だな」


 ふと聞こえた呟きの方を見ると、ギデオンがなにも持っていないように見えた掌から、赤い薔薇の花を出現させるという手品を披露し、ニヤリと笑いかけてくるところだった。


 それを見て閃き、ポンと手を打つソネシエ。

 どうやら明日は、楽しい一日になりそうだ。

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