第237話 だから悪党はやめられない

 いかにも胡散臭そうに振り返るアクエリカとイリャヒの様子を気にせず、トレンチは気持ち良さそうに問わず語りを始める。


「お前らの言う通り、こちとら育ちが悪くてね。俺とスリンジは長森精エルフ小鉱精ドワーフのハーフなんだが、種族間の融和ってのとは程遠い。あまりお嬢ちゃんたちには聞かせたくねぇが、親父がおふくろを……まぁ、そういうこった。で、結果産み捨てられたわけだな」

「ねえ、それ長くなるかしら? わたくし終わるまで寝ていていい?」

「そりゃねぇだろアクエリカさんよ。さっきはお前が長々とリャルリャドネ家の凋落について講釈垂れてくれたんだ、今度は俺たちの身の上話も、少しは聞いていけや。なあベルエフ、いいだろ?」

「……構わねえが、手短に済ませろよ」


 おっかない男ではあるが、奴の嗅覚ではトレンチの話題選びから悪意を検出することはできなかったらしい。

 それもそのはず、兄は本当に有用な情報を提供するつもりで喋っているからだ。

 文字通り人狼の鼻を明かすというのは、実はそこまで至難というわけではない。


「んじゃ遠慮なく。見りゃわかるが、俺とスリンジは体格も性格も能力もかなり違う。あー、どっちがどっち似で、どっちがどっちの種族だったかは、この際訊かないでくれよ。

 まぁ昔からずいぶん掛け離れた兄弟だとは言われてきたさ、それは別にいい。

 種違いだの腹違いだの、そもそも血が繋がってねぇんじゃねぇかだのよ。それも構わねぇ、俺ら自身もときどき思ってたことだ、許す。

 だがそんな俺たちも……」


 機を察し、スリンジは顔の両脇で両手の人差し指を立てた。

 隣を見るまでもなく、兄が同じことをしているのがわかる。


「……耳だけは同じだ。この耳を笑った奴だけは全員殺してきた。お前らに対してはどうやらそうしなくて済みそうで、こう見えて安堵してるんだぜ。なぁ、イリャヒくん?」

「そうですよね。兄弟姉妹の絆を茶化すような者は、殺しても構わないと思います」


 小鉱精ドワーフのそれのように丸くて厚ぼったく、先端が少しだけ長森精エルフのそれのように尖っているという、ある種の巻き貝を思わせる妙な形が、ガキの頃からからかいの対象になりやすかったのも事実だ。

 だが再び本気でビビり倒しているシャルドネには申し訳ないのだが、このくだりは本題にまったく関係ない前振りでしかない。


「だけどよ、血は争えねぇってのは本当なんだなぁ。結局俺たちゃこうして、金貸しなんぞに身をやつしてる。

 いや、この仕事自体は別に嫌々やってるわけじゃないぜ? ただな、因果ってやつを感じざるを得ねぇ。

 なぁシャルドネ、イリャヒ、ソネシエ。お前ら吸血鬼の秘儀について、さっきアクエリカが喋ってたよな?

 古い習性に由来するってやつ。実は俺たちが血を引く長森精エルフにも、そういうのがあるんだよ」


 重要情報が飛び出る予兆を感じれば、聞いている側も身構えるものだろうが、話している側も一種の恍惚状態に陥るものだ。

 黙って流れに棹さしているスリンジですら、その感覚を共有しているのだから、トレンチがどれだけ気分良く喋っているかは容易に想像できる。


「といっても別に俺らがを使えるってわけじゃねぇ、所詮はハーフだしな。ただ知ってるってだけだ。こういう種族共通で持ちうるものを、固有魔術に対して血有魔術という。この用語は初めて聞くかな? 長く生きるってのも悪いこっちゃねぇ、こういう雑駁な豆知識が色々と、この自慢の耳から頭へ入ってくるわけよ。で、長森精エルフの血有魔術に〈支払猶予グレイスピリオド〉ってのがあってな、こいつが実は〈恩赦の……」


 そのとき、にわかに部屋中へ立ち込めた大量の魔力にてられ、スリンジはいきなり水の中へブチ込まれたかのように錯覚した。

 トレンチは呼吸を阻害されるほどではなかったようだが、放たれた掣肘に応じ、薄笑いはそのままに、すでに口を閉じている。


 対して、アクエリカは見たことがないくらい鬼気迫る表情でまなじりを決し、癖の強い青髪が嵐にでも遭ったかのように波打っている。

 眼に見えて動揺を晒してしまった彼女は、それが治まった後、恥じ入るように静かに釘を刺した。


「……そこまでにしておきなさい。舌禍で死にたくはないでしょう」

「おお、怖い怖い。だがその顔を見られただけでも、今日ここへ呼び出した甲斐があったってもんだぜ。これからもよしなに頼むよ」

「そら、お客様がお帰りだ! てめえら、丁重にお見送りしやがれ!」


 スリンジの号令により隣の部屋に控えていた連中もドヤドヤと出てきて、童女のようにむっつりと口を閉じたアクエリカに胡麻を擦りながら、玄関までエスコートしていく。

 部下たちの中にもわりと普通にアクエリカのファンも多いのが頭の痛い話だが、今回の件をちゃんと見ていたなら、自分たちの上司のことも少しは見直してくれたと信じたい。


 一気に喧騒が去り、二人きりになった応接室で、スリンジは率直に尋ねた。


「いいのか、兄貴? 最後に一回だけ蛇の尻尾を踏んづけてやることはできたが、それまでずいぶん舐めた口を利いてくれやがったぜ」


 トレンチは不味そうに葉巻を吸い、誰もいなくなった対面のソファへ改めて紫煙を吐きつつ愚痴を垂れた。


「しょうがねぇだろ、あいつらずいぶん部下を仕上げてやがる。お前も含めたうちの部隊長・班長クラスは、祓魔官やつらで言えばせいぜいが若手エース級程度だ。実力的にもその上に立つ七人の管理官マスターを下し、メリクリーゼとアクエリカに肉薄するところまでがまず夢のまた夢だぜ」


 真面目にミレインの司教座へ攻め込む算段を想定できる時点で非凡なはずだが、肝心の駒がお粗末では絵空事にしかならない。それはわかっているので、スリンジは頭を下げる。


「す、すまねえ……面目ねえ」

「責めちゃいねぇさ。いずれにせよ今は時期が悪ぃ。戦争仕掛けるのはやめておこう……な」


 打って変わって会心の笑みを浮かべてみせる兄に、スリンジも同じものを返した。


 世界の真実なんぞ知ってしまったところで、具体的な利用手段がなければ宝の持ち腐れだ。

 情報戦に使おうにも、信用される素地がなければ与太話以上の効果はない。


 なのでこれだけでは単に、無闇な厄ネタを掴まされたに等しいのだが……少なくとも、踏ん反り返ったジュナス教会上層部の喉元に突きつけるに足る寸鉄として機能する……そのことを確認できただけでも、今回は収穫だった。


 だから悪党はやめられない。いずれ最悪のタイミングで致命の一刺しをくれてやろうぜと、リッジハング兄弟は互いの肩を叩き合い、部屋一杯に高笑いを満たした。


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