第236話 灰には灰を、塵には塵を
アクエリカはもはや衒いもなく、自分の家であるかのように寛いでいる。
「わたくしも同感でしてよ。えーと、ちなみにいちおうあなたたちを滅ぼせる程度の戦力は揃えてきたつもりなのだけど、これは言ってなかったかしら?」
スリンジたちにとっては残念なことに、ハッタリではなさそうだった。
しかもアクエリカの言っている「滅ぼす」というのは、スリンジとトレンチ、この部屋にいる何人かの部下たちだけを指しているわけではない。
今この建物内に詰めている数十人全員、にすら留まらない。
ミレイン市内全域から手の者をすべて呼び集めても、正直言って微妙なところなのだ。
まずアクエリカとベルエフがまずい。次いでリャルリャドネ兄妹が揃っているのが厄介だ。
そして実はシャルドネも数の内に含まれている。昨夜は開けた荒野で追い込んだのでほとんど警戒する必要がなかったが、この女の固有魔術は室内で使われるとなかなか面倒臭い。
そして金貸しと同様に、アクエリカにも慈悲や容赦はない。
逆らう者は皆殺し、リッジハングの抱える暗黒産業すべてを呑み込み乗っ取って、資金どころか内情から洗浄し切るくらいのことは平気でやってのけるだろう。
そしてその「教会における新部門」を取り仕切るトップとして、確かにベルエフは複数の意味で、実力的に相応しいと言える。
スリンジと同じ結論に至ったようで、トレンチは素直に両手を挙げた。
「わかった、降参だ。ったく……よぅベルエフ、しばらく見ねぇうちに良い飼い主を見つけたもんだな?」
「なんとでも言え。もうてめえら相手に
「寂しいねぇ……互いに現場は若い者に任せちまったってわけか、歳は取りたくないもんだぜ」
トレンチが葉巻を取り出し咥えたので、スリンジは固有魔術の極小発動により火を点けてやる。
ゆったりと一服し、アンニュイに口を開くトレンチ。
「じゃ、しょうがねぇ、金は受け取ってやる。今回は特別に、これでチャラだ。口約束が信用できねぇなら、証書でも
「必要なくってよ。あなたのプライドが、覆すことを……」
アクエリカの言葉を遮り、トレンチは大仰なため息を吐いた。
大量の紫煙が彼女とシャルドネに向かって撒き散らされ、数十枚の紙幣が舞い上がる。
だがそれは二人に届く前に、イリャヒの固有魔術〈
アクエリカやシャルドネの髪の一筋、紙幣の一枚も燃やさないその精密性は噂通りで、トレンチも自分で仕掛けておいて感心の視線を向けている。
応えて吸血鬼のガキは健在の左眼を眇めた。
「女性の顔に煙を吹き掛けるとは、猊下の仰る通り、ずいぶんと育ちが悪いようですね」
「上司も上司なら部下も部下だ、言ってくれるね。そういうお前さんは神様がパパとは、悪くねぇ家を見つけたらしいな。守るべきものもできたようだし……良かったじゃねぇか、ぼうず」
その何気ない言い回しでイリャヒが明らかに動揺するのを、スリンジははっきりと見た。
「まさか、あなた……」
たっぷりと間を置いた後、徐々に肩を震わせたトレンチは、ついに歯を見せて破顔した。
「いや、悪ぃ悪ぃ! 残念だが、俺はそのオッサンとは別人だ。ただな、その気になればそこまで調べられるってのをわかってほしかったわけよ。どうだ、びっくりしたかい、イリャヒくん? なんならそのオッサンが、今どこでなにをしてるかも教えてやって構わないぜ。ちなみにこの情報は無料で譲渡してやってもいい」
イリャヒは多少なりとも気分を害したはずだが、反応は硬い口調と微笑に留めてみせた。こいつはなかなか大人なガキだ。
「……いえ、結構です。貴重な勉強をさせていただき、ありがとうございます。
そのお礼と言っては語弊がありますが、せめてもの利息代わりに、リッジハング両氏へ差し上げたいものがあるのですが、よろしくでしょうか?」
「お、なんだい? 貰えるものは呪詛以外なら、なんでも貰うぜ」
「では猊下、これを……」
恭しく手渡されたアクエリカが卓上に提示したのは、一目で安物ではないとわかる懐中時計だった。
急に殊勝な態度を見せたことには戸惑うが、兄の目配せを受けてスリンジが手に取る。
器用万能に見せているトレンチだが、鑑定眼含め、いくつかの技能は弟の方が長けている。
しかしスリンジはすぐに気負いが解けた。
「骨董としてはそこそこの価値がつくかもしれねえと思ったが……兄貴、こりゃダメだ」
「どうした?」
「肝心の時計が動いてねえ。おい、どういうつもりだ、眼帯小僧?」
ニヤニヤと眺めてくるアクエリカと、冷笑を浮かべているイリャヒが癪に触るが、彼らと似たような表情で、先に声を上げたのはトレンチの方だった。
「ハハ! なるほど、時間泥棒に止まった時間をプレゼントしてくれたわけか。気に入ったぜ、イリャヒ・リャルリャドネ! いや、正直に言うと、てめぇには前から目をつけていたんだ。どうだ、良かったら妹も一緒に、こっちへ来ねぇか? 給料弾むぜ?」
少しは揺れるかとも期待したのだが、笑えるくらい即答だった。いや、もしかしたらこの手の勧誘は慣れているのかもしれない。
「光栄なお話ですが、丁重にお断りさせていただきます。では用件も済んだようですし、猊下、そろそろお暇いたしませんか?」
「そうね。帰りに甘いものでも食べていきたいところだわ」
本気で帰る流れになっているところを、トレンチがあくまで上機嫌に呼び止める。
「クク……まぁ待て、そう慌てるな。こっちも礼にもう一つだけ、いいことを教えてやる」
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