第234話 時間泥棒

「もちろん、そのつもりでしてよ」


〈青の聖女〉の意外な言葉に、スリンジは眉を顰めた。

 だが口ばかりでもないようで、彼女はリャルリャドネ兄妹のさらに後ろに付き従っている、ローブを着て仮面を被った巨漢の荷物持ちから、大きな鞄を受け取った。


 入口でボディチェックは徹底させているはずだが、若い衆が仕事をサボったわけではないというのはわかる。

 なぜならその鞄はなにか細工が仕掛けてあるわけでもなく、普通にペリシ紙幣がぎっしりと詰まっているだけだったからだ。


 アクエリカは両者を隔てるテーブルの上に、その中身を無造作にブチ撒けた。

 そしてそれを見たからこそ、スリンジとトレンチの表情は再び曇らざるを得ない。


 銀行員や金貸し相手に、桁の誤魔化しは通じない。

 トレンチが適当な数枚を拾って検めている(これは数えているのではなく、いちおう贋札でないことを確かめている)のを横目に、スリンジはバカデカい拳をテーブルに叩きつけ、胴間声を張り上げた。


「ふざけてんじゃあねえぞ、てめえら! リッジハングを虚仮にして、タダで帰れましたって話を、一度でも聞いたことがあんのか!? ああ、コラ!?」


 いちおう役割として脅しつけてみたのだが、残念なことに怯えてくれるのはシャルドネ一人だけで、スリンジは内心「俺も焼きが回ったのかなあ……」と若干落ち込んだ。

 一方のトレンチは「相手が悪いんだから気にすんな」と言いたげに弟の肩を優しく叩いて、彼も彼で仕方なく、わかりきったことを口にする。


「まあまあ、落ち着けスリンジ。……しかしだねぇ、実際こいつの言う通りではある。お嬢ちゃんたち、こりゃじゃねぇか。利息って概念から改めて説明した方がいいか? それとも俺らのことを、底抜けに優しいおじさんたちだと思い込んでんのか? いずれにせよ、勘違いは早めに正した方が良さそうだな」


 穏やかな声音でありながら、深い怒りを滲ませたその語調を聞いて、兄の冷酷な本性を嫌というほど知っているからこそ、横で聞いているスリンジは下手すればシャルドネ以上に、背筋が凍る思いを味わった。

 いや、具体的には知らないからこそ、いくらでも最悪の想像が膨らむシャルドネの恐怖こそ、同情こそしないが計り知れるものがある。


 だからこそ、震える両手で卓上の札をいくつか掻き集めてトレンチへ差し出し、今にも泣き出しそうな顔ながらなんとか眼を合わせて、歯の根が噛み合っていないが話しかけることはできるシャルドネに、スリンジは内心で称賛を送ってしまった。


「あ、あ、あのっ……! じゅ、10年前は、これほどの大金を、貸し、て、くださって、ああありがとうございました……! お、おか、お返しさせていだだきますっ……!」


 よく言えた、とすら思う。俺が同じ立場なら確実に漏らしている自信がある。

 彼が兄貴の様子を横目で伺うと、トレンチはどちらかというと困惑していた。


「んー……いや、お礼が言えて偉いんだけども、俺の話聞いてた? 当時の書類とか持って来ようか? これだからお貴族様ってやつぁ、世の中の道理ってもんを……」


「……時間泥棒」


 そのとき、組んだ脚に頬杖を突いていたアクエリカが、掌に包み隠すようにボソリと呟いた一言を、スリンジは聞き逃すことができなかった。

 トレンチも同様のようで、ソファの背凭れに体重を預けて脱力し、顔を歪めた苦笑いで肩をすくめる。


「おいおい、言うに事欠いて酷ぇじゃねぇか、アクエリカさんよ? 俺たち相手に喋る暇自体が無駄だってか? こっちだって忙しい中でこの場を設けてやってんだ、取るべき態度ってもんがあるんじゃねぇの?」

「カマトトぶるのはおやめなさい、トレンチ。あなたの耳目に集まる情報や教養に、が含まれていないとは思えないわ。わたくし、そこだけは評価していましてよ?」


 遠慮のない物言いに興を覚えたようで、トレンチの表情から苦みが薄れ、笑みが深まる。


「フフ、評価か……光栄な限りだが、そのわりにはこの街へ赴任してきたとき、俺たちに対してはなんの挨拶もなかった気がするが」

「当たり前でしょう、市長殿とは訳が違うわ。どうしてこのわたくしが、社会のダニ、薄汚いドブネズミ、役立たずならまだしも害になる異分子を表敬訪問しなくてはならないの? むしろまだ駆除されていない幸運を、毎日の礼拝で感謝してほしいくらいでしてよ」

「てめえ、いい加減に呪いが及んで、舌から尻まで真っ二つに裂けんぞ!? なんなら手ずからそうしてやろうか!?」


 半分は本気の苛立ちで怒鳴るスリンジを、今度は兄も諌めない。

 瞑目して片手で額を押さえるトレンチの様子を見て、傾聴姿勢だとでも思ったのか、イカレた口先女はその本分を発揮してくる。

 おそらく魚売りの井戸端会議を最終形態まで推し進めると、アクエリカになるのだと思われる。


「まあまあ聞いてくださいな。わたくしもたまには一司祭として、説教の一つも垂れたくなるものでしてよ。

 とかく時間というものは、神によって万物へ等しく与えられたものであるがゆえに、あなたたちはそれを盗んで売り払っていることになってしまうの。

 世の中の道理と言うなら、今は我々ジュナス教会が支配する魔族時代。『同胞ではない者からは利息を取っていい』という例の抜け道も、魔族という包括的な枠組みそのものによって塞がれてしまっていることは、当然気づいているわよね?

 もっとも、親に捨てられて道端の雑草として育ち、一度も正業に就いたことのない、楽して稼ぐことばかり覚えた甘ったれの坊ちゃまくんたちにはちょっとだけ難しいお話かもしれないけど、早めに理解していただけると嬉しいわ」

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